六之五
石鎚は、喉の奥で唸りだした。低く、腹に響いてくる、地響きのような声だ。敵を前にした狼が威嚇するようでもある。
すると、どうしたことだろう。
目が血のような赤さで鈍く光り、口が耳まで裂けて牙が生え、鋼のような筋肉がさらにふくれあがってゆく。その圧力に屈するように着物が裂け、はちきれんばかりの肉体が姿を現す。体には赤黒い毛がはえて覆い、手足には黄色い毛が密生する。さらに、尻からは尻尾が伸びでてくる。いや、尻尾ではない。それは真っ黒い蛇である。
「俺が宿す妖魔は、鵺」
化け物と化した石鎚が喋った。まるで地獄の底から湧き出してきたような悪声だ。
「今、その力を解き放つ。全力をもって、お前を斬り裂いてやる」
鵺――。
猿の頭に狸の胴、虎の四肢に蛇の尻尾をもつ戦慄の妖魔だ。
――このままでは、必ず負ける。
十兵衛は目の前の化け物に体が震えた。
しかし、負けと決まったわけではない。石鎚が変化したように、十兵衛にも秘めた奥の手がある。
十兵衛は、左目の眼帯をはずし、
「オン・アミリテイ・ウン・ハッタ!」
軍荼利明王の真言を唱える。左目から妖気がほとばしり、三池典太の刀身を赤く染めあげる。
石鎚は、大長刀を普通の刀のように片手でもち、振り上げる。
巨体から、天を突くように伸びる大長刀が十兵衛を圧する。
咆哮のような、石鎚の気合いが轟き、虎の力をもつ脚で砂浜を蹴る。天蓋を突き破るほど高く飛びあがったその異形の体が、凄まじい圧力で落ちてくる。
激烈な一撃を、十兵衛は横に飛んで躱した。
石鎚は大長刀で地面に直径三間(五メートル半)ほどのクレーターを穿ち、砂礫を撒き散らす。衝撃波が十兵衛を襲い、その体を跳ね飛ばす。
――なんという破壊力か。
十兵衛は慄きをこらえられなかった。
もはや、太陽を背にした地の利など何の意味ももたない。
抉られた大地の中心で立ちあがった石鎚は、片手持ちの大長刀を頭上でぐるぐる回し始めた。刃と腕の長さに柄の長さも加えた、六尺(百八十センチ)はあろうかという、大長刀の大車輪だ。
地面を蹴った石鎚は、ひと息に十兵衛のところまで飛んでくる。
十兵衛は後ろに跳ねて躱す。
着地した石鎚は、血走った獣の目で十兵衛を睨む。
唸りをあげて回転する大長刀が空気を引き裂く。切っ先がかすめただけで大地が裂ける。
こんな攻撃を刀で受ければ、刃が折れるのは必定である。逃げていては、いつかは斬り裂かれるだろう。
琥珀の右の瞳と赤い左の瞳で、目が回りそうになるほどの大長刀の大回転を、凝視した。
――見つけた。
攻略法はすぐに見つかった。だが、それを実行できるかが大問題である。
――だが、やるしかない。
十兵衛は決心を固めると、なんと、石鎚に向けて走りだした。そして、ここが間合いとみると、虚空に飛びあがる。大回転に飛びこむ自殺行為に等しい行動だ。
だが、十兵衛は、飛びあがると、三池典太を左手にもち、右手で脇差を抜いた。抜いた転瞬には投げている。大回転する大長刀へ。
たやすく脇差は大長刀に跳ね飛ばされる。
石鎚の意識が脇差にむいた瞬間、十兵衛は大回転に突っ込んだ。
次の瞬間、大回転はとまり、石鎚は二の腕から血を流し、十兵衛は石鎚の背後に着地していた。
そう、十兵衛は、大回転の中心である、石鎚の腕を狙って飛びこんだのだ。当然、そこには斬り裂く刃はなく、ただ生身の腕があるだけだから、飛びこんだとて十兵衛を斬ることはできはしない。十兵衛が石鎚の腕を斬ったのみだ。
されど、石鎚も凡庸な剣士ではないし、妖魔の力を得ている。
常人離れした反射神経で十兵衛の軌道と太刀筋を読み、回転させていた腕を強引にとめて身を捻った。
ゆえに、十兵衛が石鎚に付けた傷は、わずか人差し指ほどの長さであった。
石鎚は獣のように唸って、十兵衛へと体を振りむけた。
十兵衛も立ちあがり、石鎚を睨む。




