六之四
波の静かに打ち寄せる汀に舟が漕ぎ寄せ、石鎚は、ひょいと浜辺に飛びおりた。すでに襷を掛けて股立ちをとって、気合い充分、準備万端といった様相だ。
筋肉の盛りあがった腕が袖から見え、背には物干し竿のごとき大長刀を負っていた。
石鎚をおろした舟は湖の彼方へと漕ぎ去ってゆく。
――地の利をとられたな。
十兵衛は歯噛みした。
このままでは、正面から日の光を受けて闘わなくてはならない。
――さて、どう位置の不利を補うか。
考えながら、はおった黒い合羽を脱ぐ。刀の下げ緒で襷を掛けて、袴の裾を引きあげて帯に挟む。
石鎚は、四間(七メートルほど)の距離で足をとめた。
「柳生十兵衛ッ」
石鎚が呼んだ。
「石鎚弾右衛門ッ」
十兵衛が返した。
ふたりは睨みあった。絡んだ視線から雷光がほとばしりそうなほどの睨みあいである。
「十兵衛、よくぞ臆せずにこの場にきた。褒めてやろう」
「褒められるほどのこともない。勝つとわかっている闘いに何を臆するものか」
石鎚が快活に笑った。
「負けたり、十兵衛」
そう言って、背中の大長刀をはずすと、するりと抜いて鞘を浜辺に投げた。
「地の利をとられては、もはや勝つ見込みなどはないぞ」
佐々木巌流のごとく大長刀をもつ石鎚が、宮本武蔵のようなことを言う。豊前小倉の船島で両人が決闘したのは、十一年前のことである。決闘の様子は、虚実ないまぜにせよ、剣術家の間ではすでに知れ渡っていた。
「負けたり、弾右衛門」
そう言って、十兵衛は三池典太を抜き放つ。
「勝つつもりなら、鞘は捨てまいに」
言い返されて石鎚はまた笑った。
「なに、こう鞘が長くては闘いの邪魔になるでの。お前を斬ってから拾うゆえ懸念は無用」
十兵衛は八双に構え、石鎚は右下段に構えた。
見る見るうちに太陽は昇り、赫耀たる光を浴びて、十兵衛は目を細めた。その眩さのなかに見る石鎚の大長刀に、思わず威圧されそうになる。
石鎚の構えるのは、よく見られる二尺三、四寸(七十センチ前後)の刀よりずっと長く、三尺五寸(百五センチ)はある大長刀だ。対して、十兵衛の三池典太は、通常の刀より短い二尺二寸(六十六センチ)。
刀の長さでは圧倒的に不利なこの状況下で、勝ち目があるとすれば、石鎚の一撃を躱し、懐に飛び込むことだが、さて、そううまくゆくだろうか。
先日見た、石鎚の太刀捌きを思い起こせば、まるで、普通の長さの刀を振り回すごとくに、大長刀を扱っていた。大長刀の短所であるその重さを、ものともしない膂力を石鎚はもっている。振り切った隙に間合いを詰めることなど、はたしてできるものか……。
「惜しや、十兵衛。若い身空で儚く散るか」
「虚しや、弾右衛門。口数が多いのは不安だからか。喋っていないで、かかってこい」
ふたりの間を一陣の風が吹き抜ける。漣がさわさわと音色を奏で、鳶が歌う。
睨み合うこと三呼吸ばかり、石鎚が、すっと間合いを詰めてくる。
瞬く間に間合いに入った石鎚は、十兵衛の左下から大長刀を振りあげる。
反射的にそれを受けた十兵衛であったが、刀はたやすく弾かれる。
十兵衛はさっと引いて、間合いを離す。
石鎚は追わずに下段に構えて腰を落とす。
十兵衛の手が、じんと痺れていた。
予想以上の石鎚の一撃の重さだ。受けに回ると、すぐにも腕が折れてしまいそうなほどの衝撃であった。
そろり、そろり、十兵衛は、横に動いた。
右手、波打ち際へと。
石鎚も追って、蟹のように横に足を運ぶ。
十兵衛はそのまま波のなかへと踏み入った。
石鎚は波打ち際にとどまる。
足を洗いながら、十兵衛は汀を東へゆく。なんとか位置を変えて、太陽を背にしようとの思惑だ。
そうはさせじと石鎚は汀を挟んで十兵衛と並行して進む。
飛沫をあげて十兵衛は走る。
砂を蹴って石鎚が追う。
十兵衛は砂浜へとあがる。
待ち受ける石鎚が大長刀を薙ぐ。
十兵衛は天高く飛びあがり、長く伸びる一閃を躱す。
落下しつつ、そのまま三池典太を石鎚の額めがけて振りおろす。
だが、凄まじい速さで大長刀が返ってくる。
飛んだまま体をよじり、ひらりと躱して、十兵衛は地に降り立つ。
そこへ、続けざまに石鎚が大長刀を振りあげる。
左から襲ってきたその一撃を、十兵衛はあえて受ける。
石鎚の力のこもった一撃を刀で受けて、十兵衛は跳ね飛ばされる。
あっと思ったのは、石鎚だ。あまりに手ごたえがない。
十兵衛は大長刀を受けた刹那に全身の力を抜き、あえて弾き飛ばされたのだ。
飛ばされた先は、石鎚の東、つまり、太陽を背にする位置である。
暁光が、立ちあがった十兵衛の背を照らし、前面を漆黒に染めあげる。
その暗い影のなかで隻眼だけが、ぎらりとした光明を放っている。
「ぬう」石鎚が低く唸る。「小癪なり、十兵衛!」




