六之三
箏太郎が、荒い息を鎮めながら納刀して、十兵衛に振りむいた。
「あの男、いったいどういうつもりなのでしょう。果たし合いなど黙殺してしまうのがよろしいかと」
「そういうわけにもいかんさ」十兵衛も刀を納めつつ答えた。「決闘を反故にしてしまえば、恨み倍増、このあと執拗に追いかけてくるだろうよ。それよりも、いっそのこと決闘をしてしまったほうが気が楽というものさ」
「勝てますか?」
「わからん」十兵衛の言いようはまるで他人事だ。「あの男――、石鎚と言ったか、そうとうな手練れだ。下手をすると、私の父ですら手こずるやもしれん」
「そんな」
「ははは、勝負は時の運。やってみなくてはわからないさ。それに、期日を明後日にして余裕をもたせてくれるなんて、ちょっと気が利いてると思わないか?」
「さ、さあ」戸惑いつつ、箏太郎は辺りを見回した。「この僧侶たちはどうしましょう」
辺りには、十兵衛の峰打ちで気絶している者たちと、石鎚に斬られた者たちの死骸が、累々と転がっている。
「ほうっておけばいいさ。死んだ者たちも、覚悟の上だろう。気を失っている者たちが目覚めれば、勝手に片付けてくれるよ」
「何者だったのでしょう」
「公儀隠密とみている」
「え、そんな」箏太郎は目を丸くした。「十兵衛殿からしたら、同じ公儀の者たちでしょう?」
「父は剣術指南役だが、私は、厳密には公儀に属していないからな。仲間でもなんでもないよ」
「公儀隠密となると……、穂波さんがついに裏切ったということですね」
「とも言いきれぬ。時機が奇妙だ。裏切るとすれば、ふたつの機会が考えられる。ひとつは六道冥衆をすべて倒したとき。もうひとつは、私が六道冥衆に倒されたとき。そのどちらか。その前に箏太郎を篭絡できていればなおよし、だな。おそらくは、首領の服部半蔵が、穂波のそのまどろこいやりかたに業を煮やして刺客を放った、といったところだろうな」
そうしてふたりは、その日は浜松に泊まった。翌日は浜名湖の東岸を北上してから庄内半島を南へくだって村櫛の集落へと着き、寺を見つけると一夜の宿を請うた。住職は気軽に泊めてくれた。ふたりの関係は、面倒なので、姉弟ということにしておいた。
庫裡の一室で床を並べ、ふたりは横になった。
十兵衛は眠れず、じっと暗い天井を見つめていた。
隣の床からは箏太郎の静かな寝息が聞こえてくる。
女である十兵衛とひとつ部屋で夜を明かすことに、ほんの数日前まで抵抗があった箏太郎だったが、今ではもう平然と眠っていた。いや、疲れが総身に溜まり、羞恥をうわまわるほどの眠気によって、夢の世界に誘われたのかもしれない。
――勝てるのか?
十兵衛は思う。
これまで渡り合ってきた六道冥衆たちも手練れぞろいであったが、明日決闘する石鎚は格が違うと感じていた。どのような勝負になるかは見当もつかないが、決闘様相を頭に思い描けば描くほど、目が冴えて眠気が遠ざかってゆくのだ。
――明日、私が負ければ……。
銅鏡が敵の手に渡るだけならまだしも、おそらくは箏太郎の命すら奪われるであろう。想像するだけで、それがたまらなく悔しいのだ。
――何としても、勝たねばならぬ。
隣に眠る、弟のようなこの少年の命を守るために、是が非でも勝たねばならぬ。
十兵衛は寝返りをうった。
明日の朝までは、すべてを忘れよう。勝負は数刻後だ。もうじたばたあがいたところで、どうにもなりはしないのだ。勝つも負けるも、勝負してみねば、わからない。
やがて闇に漂うような心持ちになり、しだいに眠りに落ちていったのだった。
翌朝――。
星さえも瞬きを隠す暁闇に、十兵衛と箏太郎は寺をでた。
村櫛の浜に着くと、東の空がぼんやりと明るみをおびている。南に目をむければ、いくつかの島が、墨汁のような湖に滲んで見えた。その彼方には、浜名湖をふさぐように陸地があって、今切口で途切れつつも東から西へと続いている。
いつしか、日が東の大地のむこうから頭をだし始めた頃、その黄金色の光を背にして、一艘の舟が近づいてきた。
舳先に片足を乗せて、男が立っているのが見えた。




