五之二
雨のあがった宿の庭で、木と木がぶつかり合う乾いた音がする。
十兵衛を相手に、木の棒をもって打ちかかる箏太郎であったが、なんなく十兵衛は手にもつ棒をくるりと回して受け流してしまう。
今朝になって雨はあがったものの、大井川の水量がさがるまでもう一日くらいはかかりそうだ、という宿の主の言に従って、もう一泊することになった十兵衛一行であったが、これ以上暇をもてあますのも耐えられぬ、と十兵衛と箏太郎は適当な木を拾ってきて、剣術の稽古をしているのであった。
箏太郎、今度は、ぐっと力をいれて鍔迫り合いにもちこむが、たちまち十兵衛に押し返されてしまった。女である十兵衛の細い腕の、どこにそんな力が宿っているのか。
――いや、力ではなく何かしらのコツがあるに違いない。
と箏太郎は気づくものの、そのコツがなんであるかはいっこうに見当がつかないのだ。
「おい、どうした小僧」
「もっと腰を落とさんか」
「女にやられてばかりじゃ、格好がつかんぞ」
同じ宿に泊まっている者たちが冷やかしを言う。
いい暇潰しとばかりに見物しているのは、だいたい武家が多く、縁側に座って酒を片手に囃したてるものだから、箏太郎は気が散ってしかたがない。
十兵衛のほうは野次などどこ吹く風。
「喧騒に集中が乱されるなど、修行がたらん証拠だ」
そう言って、ぴしりと箏太郎の小手を打つ。
尾張へむかう旅が始まって十二日になる。十兵衛との稽古は、これまでにも何度か経験してきた箏太郎であった。
――柳生新陰流は御留流でしょう。他流の箏太郎さんに勝手に稽古をつけたりしちゃ、怒られるんじゃないの?
と茶化す穂波に、十兵衛は、
――黙っていればわかりゃしないよ。
などと気楽なものである。
箏太郎は中条流で、父から数年手ほどきを受けたくらいだ。
幼少より父宗矩から厳しく指導されてきた十兵衛とは、齢は近くとも、剣術の腕前には雲泥の差があった。
四半刻(三十分)ばかりの打ち合いで、箏太郎の息はすっかりあがってしまっている。
前かがみになって、肩で息をし、間合い取る足運びもそろわない。
箏太郎はうわずった気合い声とともに木の棒を振る。力と動きの噛み合っていない一撃を十兵衛にひらりと躱され、容赦なく肩を打たれた。
「そんなことで、お父上の仇が討てるかッ」
十兵衛の一喝に肩を震わせるが、しかし、箏太郎はもうふらふらだ。
「どけどけ小僧」
上背のある中年の侍が足袋裸足でおりてきて、箏太郎の棒をもぎ取った。
「次はわしと勝負してもらおう、娘」
「いや、そう言われても困るんだけどな」
十兵衛の戸惑いをよそに、侍が打ちかかってくる。
さっと身を翻しつつ、十兵衛は棒を相手の棒に絡ませて手首を捻る。と、侍はもんどりうって地面に倒れた。
何が起こったのか、その場にいる誰もわからない。
男姿の女にいいようにあしらわれて、侍はかっとなった。
「ええい、今度は本気でゆくぞ」
「まて」牢人の男が割ってはいった。「次はわしの番だ」
「抜け駆けはみっともないぞ。わしにやらせろ」さらに壮年の侍がでてくる。
「勝手なことを言うな。わしが先に闘っておったのだ」
「おぬしは、すでに一度負けたではないか」
「おとなしく引っこんでおれ」
だいの大人たちの諍いを、十兵衛はあきれ顔で眺めるのだった。
翌朝、十兵衛一行は島田宿を出立した。
大井川の水位は、帯上通と呼ばれる、臍くらいの高さだった。
箏太郎のみならず、女である十兵衛と穂波も、平気な顔で川越人足に肩車されて、川を渡ってゆく。穂波なぞは面白がって、人足の首を脚で絞めつけてからかっている。
が、尼僧の照潤は、
「女子が男に担がれるなど、とんでもない」
そう言って、連台を頼んで乗った。連台は梯子状の乗り物で、人足四人に担いでもらうものだ。
そうして、一行は、越すに越されぬ大井川を越したのだった。




