一之一
奇妙な娘は足を急がせた。
道の両側から山が迫り、見あげれば樹々の間に細い夜空があった。四月の澄んだ空に星々が煌めき、今にも三日月が山のむこうに姿を隠しそうである。すでに五つか、五つ半(午後八時から九時)か。
細い月から漏れるように降るわずかな光のもとで、提灯ももたずに、娘は小仏峠を東へと歩いている。十七の娘とは思えぬ颯爽とした足運びだ。
そのいで立ちが奇妙なのである。
赤い男物の着物を着、手っ甲脚絆、腰には大小二本の刀を差し、肩には舶来の黒い合羽を纏っている。青味がかった髪を後ろで束ね、左眼には鍔の眼帯をつけていた。背は高く、並みの男ほどもあり、細面で切れ長の目と、筋の通った鼻と、薄い唇をもった娘だった。
やがてその娘は、小仏の関所に至った。
すでに門は閉じられていたが、娘が呼ぶと、でてきた関守たちは、まず娘の姿を怪しみ、次に娘が夜更けに関所を抜けようとすることを訝しんだ。だが、娘が懐から取りだした木札を見ると、すべての疑念を捨て去り、門を開けて娘を通した。何か特殊な木札なのであろうか。
娘は平然とした顔と足どりで関所を通り抜けた。
駒木野をすぎると、急に空がひらけ、満天の星々が降ってくるようであった。
街道の周囲は田畑が広がり、点々と建つ農家から漏れる灯明かりが地上で光る星にすら思えた。
ふと、娘が足をとめた。そしてゆっくりと首を回した。
北のほう、街道から半町(五十メートル)ほど離れたところにある小ぢんまりとした百姓家を、その隻眼でじっと見つめた。
明らかに、異様な気配がある。
森に寄り添うようにして建つその家は、玄関の戸が開けっ放しで、灯火がくっきりと入る口の形を描いていたが、その光が不意に明るさを増した。
と見る間に炎が吐きだされ、煙が流れでてくる。
――妖気!?
百姓家が燃え始めたことよりも、娘は炎とともに噴出してくる不気味な気配に気もちが引き寄せられた。
娘は走った。
雨戸が内側から倒れ、なかから黒い影がひとつ飛びだしてくる。
続いて、ゆっくりと小柄な影が現れる。その右の手には抜き身の刀が握られていて、炎に照らされた刃がぎらりと光った。
最初に飛びだしてきた男は、地面に転がり、尻もちをついた形になって刀を小柄な男にむけて、威嚇するように振り回した。
娘はふたりの間に割ってはいると、刀を抜き放ち、ためらいもなく、小柄な男に切っ先をむけた。その男の全身からは、どす黒い妖気が漂っている。
突きつけた刀は、これも娘がもつには不似合いな身幅の広い重厚な刀だ。
三池典太――。
魔を祓う聖剣である。
突如、黒い合羽を翻し、目の前に現れた赤い影に、小柄な男は驚愕した。が、それも一瞬。すぐに平静を取り戻した。
「どけ」
まだ声変わり前と思われる、女のような声で喋った。
娘が目を凝らして見た、炎の明かりに照らされた男は、前髪を垂らした、白皙美顔、十三、四歳の少年であった。
「面妖な娘よ。余計な手だしは無用にいたせ」
そう言ったのは、あの、尾張名古屋城の護摩堂において豹変した美童、芦津普賢丸であった。
「黙れ、妖」娘は静か、しかし鋭く言った。「何ゆえこの者に害をなす。次第によっては斟酌なく斬る」
「我の妖気を見抜くとは、いったい何者?」
普賢丸を睨む娘の、琥珀色の片目に鋭い光が煌めいた。
「柳生十兵衛」
聞いて普賢丸は目を見張った。
「ぬう、こんなところで巡り合うとは思わなんだ。そうか、江戸柳生にふたりの十兵衛あり、と噂に聞いてはいたが……。ひとりは家光に近侍する男十兵衛。ひとりは諸国を漫遊し妖魔を打ち払う女十兵衛。まさか真実存在するとはな」
「だとしたらいかがする」
普賢丸は赤い唇をにやりと歪めた。
「だとしたら、必ずや我らに仇をなすであろう。この場で打ち倒し、石舟斎以来の因縁を断つ」
見ず知らずの少年の口から祖父石舟斎の名がでたことに眉をひそめる十兵衛であった。
と、普賢丸は左手の指を立て、虚空に文字を描くように動かしつつ、口のなかで何か呪文のようなものを唱えた。
「いでよ、この地に果てし怨霊たちよ。眠りより目覚めて我に従え」
すると、百姓家の庭のそこかしこが盛りあがり始めた。そうして地面のなかから現れでたのは、人の骸骨であった。土煙をあげ、ばらばらのまま宙に浮きあがった骸骨は、しだいに組み合って人の形をとってゆく。
カタタタタ……。
骨と骨が打ち合い、まるで笑ってでもいるような音を立てる。
しかも、その手には、錆びた刀剣が握られているのだ。
十兵衛はさっと周囲を見回した。
現れた骸骨の化け物たちは、数えて十体。
それらが、関節を軋ませ、歯を打ち鳴らし、十兵衛と背後の男を取り囲んで、じり、じりと迫りくる。




