四之四
箏太郎は刀を振りあげた。
地面を蹴って、美倉と名乗る男に走り寄り、刀を振りおろした。
美倉はひょいと躱し、抜き打ちに刀を振るった。
あわや、両断される運命にあった箏太郎であったが、美倉の目の前を飛び過ぎた何かによって、救われた。
穂波が投げた手裏剣であった。
箏太郎は体勢を立てなおし、正眼に構えて、美倉を睨んだ。
たった数日の道行きではあったが、おさちに恋し、肌が触れれば鼓動が高鳴り、体から発せられる香りに恍惚としていた。
その想いがこの目の前の男――、正しくは目の前の男に魂を乗り移らせた男に、憎悪をむけさせた。
箏太郎の目尻は吊りあがり、憎しみの光が瞳に宿っている。
「おいおい、何をそう目くじらを立てている。女の命は助かったし、俺を恨まなくたっていいじゃないか」
箏太郎は、おさちの尊厳が踏みにじられたことへの憎しみもあったが、自分自身の尊厳も愚弄されている気がしていた。
今の今まで、箏太郎はおさちが、昼間に一行が三保の松原に出かけていた間に乗り移られたものだと思っていたが、まさか、という思いが頭をよぎったのだ。
――まさか、最初からではなかったのか?
美倉という男が、最初からおさちさんに乗り移っていたのではないか、という疑問だった。
――だとしたら、とんだお笑い種だ。
裸のおさちを見たときから想いを寄せ、彼女の肢体がまぶたの裏に焼きついて、眠れぬ夜すらあった。そのおさちの心が男だったと思うと――、男に愚弄されていたのだと思うと、身悶えするほどの悔しさが体を駆け巡る。もちろん、先ほど箏太郎を油断させるために色仕掛けを仕掛けてきたことも赦せぬ。
しかし、最初から乗り移られていたのだとすると、辻褄の合わないこともある。妖気を読みとれる十兵衛がまったく気づかなかったし、六道冥衆の刺客がおさちを攻撃したこともあった。なにより、おさちの家を知っていたことも腑に落ちない。
「いつからだ」
箏太郎は、絞りだすように、美倉に訊いた。
「いつから、おさちさんに乗り移っていた?」
美倉は笑みを浮かべて、
「いつから?そんな重要なことかね」と寸時思案して、「そうか、わかったぞ。横恋慕している女の心が実は男だった、などとは、考えたくないよなあ」
そう言って笑った。人を嘲弄する不快な笑いかたであった。
「お前たちが、女と出会う前からだったかもしれぬし、今朝かもしれぬし、ついさっきかもしれぬ」
箏太郎は、ふたたび怒りにまかせて刀を振った。
が、美倉は片手の刀ではじいた。
「よせよせ、こんな男の体に入っているとはいえ、俺は尾張柳生四天王のひとりに数えられている。お前程度の腕では、かないはせぬ」
「かなわぬまでも、命をかけておぬしの腕の一本を貰う」
美倉は笑った。
「気概は買うがな、腕の一本や二本失ったとて、俺は誰かに魂を移すことができるのだぞ。そんな簡単なことにすら気づかぬのか。血のめぐりの悪い小僧だ」
箏太郎は、みたび打ち込んだ。
肩を狙って振りおろし、胴を狙って薙ぎ、首を狙って突いた。
だが、まるで歯が立たぬ。
美倉は、まるで子供に稽古をつけるように、軽く刀を振って、箏太郎の連撃をあしらってしまった。
後ろにつつっとさがった箏太郎を追って、美倉が踏み込み、刀を振った。何気ないように見えて、凄まじい速さと力を秘めた一閃である。
――やられるっ!?
箏太郎が覚悟した刹那、横合いから、棒が振りおろされ、美倉の手を打った。
美倉は数歩さがって間合いをとり、棒を構える尼僧を見る。
「箏太郎殿」照潤が諭すように言った。「逸ってはなりませぬ。私も共に闘います」
すると、美倉の背後にふっと影が現れ、小さな刃が閃いた。
美倉は寸前で殺気を察し、身を捻って躱した。躱しつつ片手殴りに刀を振ったが、影はすっと飛び退った。
穂波であった。
「私もいることをお忘れなく」
穂波は間合いをはかりつつ、短刀を構える。
四辻で、三方から美倉を取り囲む。
包囲された美倉は、冷や汗の一滴でも流せば可愛げがあるが、眉ひとつ動かさず、三人を見回した。
「柳生十兵衛に近づくには、お主らのなかの誰かの体が必要だ。選ばれた者は殺しはせぬから、安心しろ。さて、誰の体を貰おうかな」
「そういうのを、とらぬ狸の皮算用と言うのです」照潤が皮肉を言う。
とらぬ狸の皮算用どころか、とらぬ人間の体算用をする男は、しかし、微塵も動揺せず、平然と立って、三人を値踏みするように見回している。




