四之一
夜はよどみなく更けてゆく。
おさちの家は寝静まり、しじまの中でただ、熱にうなされる柳生十兵衛の小さな呻き声だけが、部屋に響いていた。
照潤が、濡れ手拭いを桶の水にひたして絞り、十兵衛の額にのせると、そっと欠伸をもらした。
それを横で見ていた穂波が、わずかに口を開いた。
「ねむたいなら、ねむればいいじゃないの。私が替わってあげるわ」
「まさか」と照潤が答える。「まだ敵とも味方ともわからないのに、あなたひとりに十兵衛殿の看病をさせるわけにはいきません」
「まったく、疑り深いのね。尾張の連中を倒すまでは、私はあなたたちの味方だと言っているでしょう」
「いったい、あなたをどこからどう見れば、信用できるというのです。昼間、私たちが捕らえられていたとき、心を読んだ城咲という男が驚いていたでしょう。あなた、あの時、いったい何を考えていましたの?」
聞いた穂波がくすりと笑って、からかうように、
「知らないほうが、心の健康にはよろしいわよ」照潤の口調を真似た。
「だから、信用ならないと言うのです」
すると、廊下の襖がするりと開いた。
おさちが、新しい水をいれた桶を持ってきてくれたのだ。
「私が替わりましょう。おふたりのお床はあちらの部屋に用意しておきましたので、どうぞ、お休みください」
「そうですか」と照潤は素直に厚意を受けいれた。「ありがたく休ませていただきましょう」
と立ちあがって手でまねくと、穂波も立ってむかいの部屋に入っていったのだった。
おさちは十兵衛とふたりきりになると、しばらくは十兵衛の顔や首筋の汗を拭いていたが、照潤たちが寝床についたと思われる頃、掛け夜具をそっとめくった。
荒い息をしているものだから、十兵衛の胸が大きく上下していた。
そうしておさちは十兵衛の寝巻をくつろげた。
熱で汗ばんだ十兵衛の胸元が見える。
と、おさちは、ゆっくりと頭をさげ、衿から覗く十兵衛の胸元に、顔を近づけてゆく。
その唇が、白い肌に触れる、その寸前――、
「うん、どうしたの?」
唸るように言って、十兵衛が首をもたげた。
はっとして、体を起こしたおさちは、
「あ、あの、ずいぶん汗をかかれているご様子でしたので、寝巻をお替えしようかと思いまして。申し訳ございません。起こしてしまいまして」
「いや、いいよ」十兵衛の声に力がまるでなかった。「じゃあ、着替えようかな」
と、ふらふらとした様子で布団の上に立ちあがった。
「その前に、ちとご不浄」
などと言って、厠へゆこうとする。
おさちは、おぼつかない足どりの十兵衛につきそって、裏口の外にある厠までいき、まっているとき小さく舌打ちしたようだった。
寝間に戻った十兵衛が寝巻を新しいものに着替えて、夜具にくるまると、ほどなくして寝息をたてはじめた。
さらに半刻(一時間)ばかり、十兵衛の世話をしていたおさちは、十兵衛がぐっすり眠ったのを確かめると、まったく物音ひとつたてずに、部屋をでていった。
そろそろとした足どりで階段をのぼり、二階の萩野箏太郎の眠る部屋へとくると、そっと戸を開け、中にはいった。
衣擦れの音もしとやかに、おさちは着物を脱ぐと、箏太郎の夜具のなかに、白い裸体を滑りこませた。
その温もりに、ふと箏太郎が目を覚ました。
「は、な、なにを、おさちさん?」
たちまち眠気も吹き飛んだ箏太郎は、体に絡みつくおさちの肩をつかみ、引き離そうとする。だが、まるで男のように力強く、おさちは箏太郎の体から離れない。
「箏太郎様」おさちの吐息が、箏太郎の耳朶に触れた。「明日旅立ってしまえば、二度とお会いすることもありますまい」
「は、はあ」
「今夜かぎり。今生の思い出をつくりとうございます」
「い、いけません、おさちさん」
「いけませんと言うて、もう体の芯が熱く硬くなっておりますよ」
そう艶めかしく言って、おさちは、箏太郎の手のひらを、自分の豊満な胸に持ってゆくのであった。
柔らかい、えも言えぬ心地よさが箏太郎の手のひらから脳の芯まで駆けのぼる。
熱き血潮が滾るようだ。
鼓動が高鳴り全身の血が体の中心に集まってくる。
今まで味わったことのない感覚に、箏太郎はすっかりのぼせて、頭が真っ白になり、
「おさちさん!」
もはや、おさちの夫のことなどまるで念頭にない。ただ、若い衝動のおもむくまま、箏太郎はおさちの体にむしゃぶりついた。




