三之一
この物語のころより、六十年ほども昔になる。
永禄七年(一五六四)のこと、柳生十兵衛の祖父石舟斎は、師の上泉信綱からの課題、「無刀取り」を会得せんと、大和柳生の庄にある戸岩谷に籠もって工夫を重ねていた。
戸岩谷は、天照大御神が隠れた岩戸を手力男が放り投げた、その岩戸が落ちて砕けた巨石が散らばる、神秘の気が漂う森である。
霧が森に立ちこめるある日、その巨石のひとつの前で、無刀取りの修練をしていた石舟斎が、ふと、岩の上に天狗が立っているのを見つけた。
岩は四間(七メートル)四方ある。
その上から、天狗が殺気を漲らせ、石舟斎に今にも飛びかかってくる気配である。
――おのれ、魍魎めがッ!
石舟斎は飛びあがり、天狗を一刀両断した。
天狗を幹竹割りにした刀は、そのまま巨石までも断ち割った。
するとどうであろう。
突如、天はかき曇り、夜のように辺りは暗黒に包まれ、巨石の割れ目から無数の黒い影が湧き出し、四方八方へ飛び散ってゆくではないか。
――これは、妖魔か!?
はからずも岩に封印されていた妖魔を解き放ってしまったことを、石舟斎は悟った。
この岩は後に「一刀岩」と呼ばれることとなる。
これが、柳生と妖魔たちの因縁の始まりであった。
その後生まれた石舟斎の子、又右衛門宗矩には何の兆候もなかったのであるが……。
慶長十二年(一六〇七)――。
大和柳生の庄と江戸柳生屋敷で、同じ日に、ふたつの命が産声をあげた。
ひとりは男の子。
もうひとりは女の子。
男の子は、柳生の庄にいた正妻おりんの腹から生まれた。
女の子は、江戸屋敷で妾のおみよの腹から生まれた。
その時、江戸屋敷にいた宗矩は娘を見て瞠目した。
まだ皺くちゃの顔をして、けたたましく泣く娘の左の瞳が赫々と輝き、その真ん中には梵字が浮かびあがっているではないか。
――こ、これは……。
宗矩は前年に亡くなった父石舟斎から聞いていた一刀石での話を思い出した。
隔世遺伝とでも言うのか、石舟斎が一刀岩で浴びた霊気を、孫であるこの赤子が宿していると宗矩は直感した。
数日後、柳生の庄からきた使いによって、同日同時刻に男子が生まれていたことを知らされた。
数えてみれば、このふたりは、父石舟斎が黄泉路へ旅立った頃に、ちょうど種が宿ったことになる。石舟斎の生まれ変わりか、それとも……。
――この娘は、妖魔と闘う運命を背負って生まれてきたのだ。
祓魔眼を持って生まれた娘。
父石舟斎が解き放ってしまった妖魔たちに気づかれれば、命が危ない。
――なんとしても、娘の存在を隠さねばならぬ。
一計を案じ、娘は夭逝したと世間には触れた。そして、名を鞘花とつけたものの、息子と同じ七郎という名で呼ぶことにした。これで子供のうちだけでも妖魔の目から隠秘することができるだろう。
宗矩は、娘が、己の過酷な宿命に負けぬよう、また、妖魔たちに立ちむかう力と勇気を身につけるよう、厳しく鍛え育てた。
そうして、鞘花は成長した。
兄が元服して十兵衛と名を改めたのに合わせて、自らも十兵衛を名乗り、十三の齢から、柳生討魔衆として、妖魔との激烈な闘いに身を投じていったのであった。




