二之八
呼吸を整えつつ刀を鞘に納め、十兵衛は辺りを見回した。
照潤も、箏太郎とおさちも、無事なようだ。
振り返って十数間離れた曲輪の上へ目をやると、くノ一はまだそこにいて、こちらを凝視している。
助けてくれた感謝のつもりで十兵衛が頭をこくりとさげると、意外にも、くノ一は立ちあがって障子堀に飛びおり、こちらにむかって歩いてくる。左右の腰に一本ずつ、後ろ腰に二本、計四本もの短刀を差しているのが、奇妙だ。
だが、殺気は感じられない。闘いを挑んでくる様子ではなさそうだ。
くノ一は無遠慮なほど間近まできて足をとめた。
そうして顔に巻いた覆面を取ると、可愛らしい顔が現れた。卵のような顔の輪郭をして、丸い大きな目、高くはないが形のいい鼻、赤くふっくらとした柔らかそうな唇。小柄で童顔ではあるが、体つきは意外にも大人びていて、胸は十兵衛よりもずっと大きくふくらんでいる。うなじで束ねた髪が、眩しいほど赤い。
「助けてくれたのは二度目だね。ありがとう」
十兵衛が微笑みながら言うと、くノ一は、
「二度も助けてあげたのだから、頼みごとのひとつも聞いてくれるわよね」
にやりと笑ってそんなことを言うのだった。
「銅鏡を欲しいと言っても、あげないよ」
「あなたの意思に関係なく、そのうち勝手に頂戴するからいいわ。それよりも、仲間に加えてくれないかしら?」
「冗談ではありません」と口を挟んできたのは、畝に這いあがってきた照潤だ。「銅鏡を狙っている泥棒と一緒に旅などできるものですか」
怒気をはらんだ言葉を無視して、くノ一は続けた。
「私よりも、銅鏡を狙っているあの侍たちのほうがよっぽど危険よね。ならば、仲間は多いほうがいいでしょう。手を貸してあげる」
「私たちの敵は、あなたにとっても敵、というわけか」十兵衛は合点がいったような顔だ。
「そう」
「ま、いいだろう」
「ちょ、お待ちください、十兵衛殿」照潤が声をあげた。「銅鏡を盗もうという者を同道させるなど、言語道断、お考えなおしください」
「銅鏡を狙っている相手なら、目の届く場所に置いておくほうが安全だと思わない?なまじ、見えないところからたえず狙われるよりもね」
「そ、それはそうかもしれませんが」
「まあ、銅鏡は――、六道冥衆と言ったかしら、あいつらを倒してから貰うことにするわ」
小悪魔的、とでも言おうか、くノ一はどこか底意のある微笑を浮かべて言った。
十兵衛は気さくな笑みを返し、照潤は疑心に満ちた視線を返した。
そこへ、畝へおさちを助けあげた箏太郎も寄ってきた。
「私の名は、穂波。齢は十六。藤林長門の娘よ。伊賀から公儀隠密に派遣されてきてるってわけ。藤林が公儀(幕府)に忠誠を誓う証としてね。服部の下風に立つのも癪だけど、時の流れには逆らえない。あ、そうそう、討魔忍としての修行もちゃんと積んでいるから、ああいう妖魔を宿した連中とも充分闘えるわ。信頼してくれていいわよ」
秘密厳守の隠密のわりには、よく喋る娘だった。
「よろしくね」
と穂波が片目をつぶってみせたのは、箏太郎に向けたものであった。
箏太郎は照れて顔を赤く染めている。
「じゃあ、ゆこうか」十兵衛が言った。
こうして味方とも間者ともつかぬ、新たな仲間を加えた十兵衛一行の旅が再開された。
一行が山中の集落を出ると、森は次第に開けてきて、道の両側に田畑が広がり始めた。
そうして三島宿まで、あと十町(一キロちょっと)ばかりになった頃、不意に先頭を歩いていた十兵衛の体がぐらりと揺れた。
と見えたと思ったら、刹那、ばたりと倒れ伏した。
皆があっと驚いて駆け寄り、
「いかがしました、十兵衛殿?」
と箏太郎が十兵衛を仰向けにすると、彼女の顔が林檎のように真っ赤だ。
照潤が額に手をやると、
「これは、ずいぶんな高熱」
目を丸くするのだった。
十兵衛はうっすらと目を開けて、荒く息をしながら、
「そう騒がないで。強い妖魔を倒すために祓魔眼の力を使うと、いつもこうなんだ。三島まではもつと思っていたのだけれど……」
意識が朦朧としているようだ。
「ど、どういたしましょう?」
不安げに皆を見回す箏太郎に、穂波が、ひとり冷静な顔をして言った。
「ともかく、三島までもう少しなんだから、あなた、かついで運びなさいな」
箏太郎が照潤に救いを求めるように視線を送ると、彼女は穂波に同意するように頷いた。
箏太郎は、十兵衛を背負い、三島宿を目指して歩きだしたのだった。




