二之五
その男、鵜戸李介は今にも切りかかってきそうな雰囲気だ。
十兵衛たちは、一様に訝しんだ。
距離は十間。互いの剣の間合いからは、まだまだほど遠いのだ。なぜあの位置で構えるのか。
皆の疑念などお構いなしに、鵜戸が居合斬りの要領で、刃を閃かせた。
瞬間、十兵衛が横にいた箏太郎とおさちを押し倒した。
三人は、右手の木々の間に転がった。
と、三人の後方にあった櫟の幹が、斧を叩きつけたような音を立てて、斜めに裂けた。傷は深く、幹の三分の一ほども抉られている。
いったい何が起きたのか!?
皆の目はその木の傷に釘づけになった。
ちょっと離れた場所にいた照潤も、あわてて木の陰に身を寄せた。
「な、なんですか、今のは?」
声を震わせて訊く箏太郎に、十兵衛はひとつ唸って答えた。
「何かを飛ばしたように見えたね」
「いったい何を?」
「それはわからない」
十兵衛は木陰から男を観察した。刀はすでに鞘に納まっている。男は腰をかがめて、右手を柄に置いて、全身に妖気を漲らせていた。中肉中背で、頬骨の張った顔で、目を細めて油断なく、こちらを静かに睨む。
男が何を飛ばしてきたのかは見当がつかないが、速さは鉄砲の弾丸ほどではない。例えれば、膂力の強い男が全力で投げた石塊くらいの速さだ。飛んでくる軌道と、撃ち放つ瞬間さえ見極めれば、今のように躱すこと自体は難しくはない。だが、連発されれば、躱しきれる自信は十兵衛にはなかった。
――さて、どうする?
十兵衛が自分に問うたとき、男の口が開いた。
「わしの名は、鵜戸李介と言う。どうした、柳生十兵衛。隠れていては勝負にならんぞ」
十兵衛は頭を回転させ、敵の攻略法を考えた。そうしてしばらくして、
「みんなはここに隠れていて」
「いかがなさるのです?」不安げに照潤が訊いた。
「どうにかして、あやつに近づいてみる。近づきさえすれば、勝機は見えるだろう」
「私が、囮になりましょうか?」
言いだした箏太郎を十兵衛はとめた。
「いや、それだとかえって気が散る。私ひとりで大丈夫」
そうして息を整えると、十兵衛は道に飛びだした。
鵜戸の刀が鞘走る。
見えない何かが飛んできた時には、十兵衛は斜めに道を横切って、反対側の森のなかに飛びこんでいた。
十兵衛はこうして稲妻状に道を横切りつつ、少しずつ間合いを詰めてゆくつもりなのだ。木々を盾にして森のなかを大回りして近づくことも考えたが、それだと、敵は十兵衛ではなく、隠れている仲間たちを狙うだろう。それだけは避けなくてはならない。十兵衛自身が斬りこみつつ、囮ともなるのだ。
再び十兵衛が飛びだす。
透明の刃が道を走る。
反対側の木の陰に十兵衛は滑りこむ。
この戦法で不安だったのは、鵜戸が間合いを詰められるのを嫌って、次第に後退してゆくことであった。それでは、いつまでたっても敵のもとにたどり着くことはかなわない。だが、鵜戸は立つ位置を動く気配はない。
十兵衛が走る。
見えない刃が飛ぶ。
道の反対側の木に十兵衛が隠れる。
と、皆のほうから短い悲鳴があがった。おさちの声である。隠れていた木が切りつけられたのだ。
――やっと間合いが半分ほどに縮まったと言うのに。
道を挟んだ斜めむこうの仲間たちの影を見て、十兵衛は敵の作戦に唇を噛んだ。
鵜戸は、素早い動きで攻撃を躱す十兵衛を無視して、隠れている仲間を倒す算段なのだ。残酷な手段を選ぶものだ。こちらの嫌がる方法を相手は躊躇せずに取ってきた。
恐怖に耐えきれなかったのだろう、おさちが走りだした。その背中にむけて、鵜戸の刀が振られた。
木々の間を縫って、見えない刃が飛ぶ。
おさちが斬られるか!?
そう見えた瞬間、箏太郎がおさちに飛びついて押し倒した。
箏太郎が悲鳴をあげた。
彼の背を、刃がかすめたのだ。
「箏太郎、大丈夫っ?」
十兵衛の声に、箏太郎は手を振って答えた。深手を負っているわけではないようだ。
――これでは、私が鵜戸に近づく前に、他の誰かが倒されてしまう。
鵜戸は、十兵衛が仲間を囮にして自分のもとに突っこんでくることはないと、読み切っているだろう。十兵衛は歯噛みせざるをえない。
鵜戸が刀を振る。振っては納刀し、また振る。凄まじい速度の抜き打ちだ。
箏太郎が隠れている木の樹皮が傷つき、白い幹が露になる。見えない刃によって傷がどんどん深くなる。三回ほどの攻撃で、木が軋みだし、音を立てて倒れてゆく。
隠れていた箏太郎はすんでのところで横に転がった。木の下敷きになることはまぬがれたが、見えない刃がさらに襲ってくる。
箏太郎は、転がって、何とか攻撃を避けた。
十兵衛は道へと飛びだした。
そうして反対側の森へ走りこむと、今度は隠れようとはせず、そのまま森の奥へと走ってゆく。
「みんな、走れッ!散り散りになって逃げるんだッ!」
十兵衛の声に促されて、照潤、おさち、箏太郎も、森の奥へと走りだしたのだった。




