二之二
長閑な田園風景がずっと続き、萌えいづる若葉の青い匂いも爽やかで、これから訪れる苦難を忘れさせてくれるようだった。
柳生十兵衛一行は、八王子から街道伝いに真っすぐ南下していた。急げば一日で東海道の平塚まででることができたが、旅もまだ始まったばかり、無理をして中途で疲労困憊してしまうわけにはいかなかったし、敵の襲撃を警戒して、日が暮れてからの移動は極力避けたいという意図もあった。
なので、大事を取って当麻で一泊し、翌朝、渡し舟で相模川を渡った。
相模川を左手に見ながら歩を進め、そうして、大山へと続く道をすぎた頃である。
どこかから、女の叫び声が聞こえてきたようだ。
最初は皆、気のせいかとも思ったが、しかし耳を澄ませば、確かに女子の叫声だ。
声のしたほうを見れば、半町ばかり先、川の土手で男と女がもつれあっている。
まだまだ、戦国以来の倫理道徳の欠如した人間がのさばっている時代である。女性の苦痛などおかまいなしに凌辱し、平気な顔をしている男のなんと多いことか。かよわい女たちは災難に遭わぬよう、祈って生きるしかない世の中だ。
「昼日中から女子を手籠めにするなど、赦せません」萩野箏太郎が言った。声には、若者らしい正義感が漲っていた。
「昼日中でなくとも、赦せません」
照潤が得物の棒を手にして走りだそうとしたときには、すでに十兵衛が川原のふたりに駆け寄っていた。
女の着物はもう襟元が広げられ、白い乳房を日に曝している。
組み敷いた女の体を弄ぶことに夢中になっている男の腹を、十兵衛は蹴りあげた。
奇妙な悲鳴をあげて、転がったのは、髭面で垢まみれの牢人であった。
「な、なんじゃ、お前は」男が大きな眼を見張った。「むう、よく見れば女ではないか。男の身なりをしよって。邪魔をするなら、容赦せぬぞ」
立ちあがりつつ、刀の鯉口を切った男であったが、まだ刀を抜ききらぬうちに、十兵衛の峰打ちが肩にはいった。
つんざくような悲鳴をあげて、男が川原に転がった。鎖骨が粉々に打ち砕かれているだろう。しばらく苦痛に呻き、もがき苦しんでいたが、やがて静かになった。気を失ったようである。
女が着物の乱れをなおそうともせず、十兵衛にすがり寄った。
商家の女房と見える女で、二十代半ばくらいの、白い整った顔立ちをしていた。
「お、お助けくださり、まことにありがとうございました」
十兵衛は頷いて答えただけだった。
そこへ、箏太郎と照潤が駆けつけてきた。
箏太郎は、女のはだけた胸を見て、慌てて目を逸らした。
照潤が助け起こしながら、着物の襟を掻き合わせてやっている。
竹筒の水を照潤が飲ませてやると、気持ちが少しく落ち着いたらしい。
「私は、清水の商家の者ですが、夫と一緒に大山詣りにきまして、帰り道ではぐれてしまい、気がつけば、まるで反対側にでておりました。途方に暮れていたところに、親切に声をかけてくれたあの人に言われるまま、ついてまいりましたら、このような目に」
「それは災難でしたね」照潤が背女のをさすっている。「清水と言えば、私たちの旅の通り道ですね。よろしければご一緒しますか?」
「え、よろしいのですか?ご迷惑でなければ、大変助かります」
「いかがでしょう、十兵衛殿」
照潤に問われて、
「まあ、いいんじゃないかな」
そんなふうに十兵衛は答えたのだった。
女は名をおさちと言った。
こうして、十兵衛一行に道連れがひとり加わったのだった。
おさちは、牢人にむしり取られていた菅笠をかぶり、杖を突いて歩いた。
そんな何気ない歩く姿も、どことなく艶めかしく見える女だった。なるほど、無頼牢人に目をつけられたのも頷けるようだ。
おさちのその姿に思わず見蕩れ、箏太郎の胸が高鳴った。先ほど彼女の双丘を見てしまったせいもあるかもしれない。
その視線を感じたのだろう、おさちが流し目で箏太郎を見、わずかに微笑んだ。
箏太郎は、顔を赤らめてうつむくのだった。




