第9話:『菜園でのご褒美と、夕暮れの逃亡劇』
あの深夜の執務室で見た、ギルバート様の格好良すぎる横顔と優しい手の温もり 。
あれから一睡もできなかった私は、夕暮れ時の菜園で、お盆を抱えたまま未だに心臓をバクバクと鳴らせていた 。
「マドカ、少し休憩にしないか?」
ふかふかの土の上にクワを置き、額の汗を拭いながらギルバート様が微笑む 。
白いシャツから覗く逞しい腕を見るだけで、昨夜のドキドキが蘇って顔が熱くなる 。私は慌てて魔法収納から冷たい日本茶を取り出し、差し出した 。
「は、はい! ギルバート様、お疲れ様です!」
「ああ、ありがとう。お前が淹れてくれる茶は、やはり世界一美味いな」
美味しそうに喉を鳴らしてお茶を飲むギルバート様 。
周囲から『氷の狂犬』と恐れられている騎士団長様の強面が、私の前でこうして優しく蕩けるのが、最近はたまらなく愛おしい 。
「ギルバート様のおかげで、故郷のネギも大根も、こんなに立派に育ちました 。本当にありがとうございます!」
私が収穫カゴを抱え、心からの満面の笑みを彼に向けた――その、瞬間だった 。
「ギルバート様、見てください! 今日もたくさん干しきのこが――んむぅっ!?」
掲げた私の言葉は、最後まで紡がれることはなかった 。
目の前を、大きな影が遮った 。
気づいた時には、私の視界はギルバート様の顔で埋め尽くされ、柔らかな唇が、私の唇を完全に塞いでいたのだ 。
「――っ!?」
あまりの出来事に、頭が真っ白になる 。
手からポロポロと干しきのこが落ちるのも構わず、ギルバート様は私の腰に大きな手を回し、逃がさないようにぐっと引き寄せた 。
触れているだけの、静かな、けれど深い口づけ 。
夕日の光を浴びてきらめく彼の碧眼が、至近距離で私をじっと見つめている 。その瞳の奥には、熱く、切ない情熱が揺らめいていた 。
「……んっ……」
呼吸が苦しくなって小さく鼻を鳴らすと、ようやくギルバート様の唇が名残惜しそうに離れた 。
彼の端正な顔は、夕日のせいだけではなく、うっすらと赤く染まっている 。
「……すまない。昨夜から、お前があまりにも愛らしくて、我慢ができなかった」
ギルバート様は、息を切らす私の頬を、泥のついた指の背で優しくなぞった 。
いつもは頼れる格好いいお兄さんなのに、大人の余裕なんてどこへやら、不器用そうに碧眼を揺らしながら私の耳元に唇を寄せて低く囁く 。
「毎日、俺のためだけに料理を作り、俺のためだけに笑ってくれる 。……そんなお前を、本当にどこへもやりたくない 。このまま、この腕の中に閉じ込めてしまいたい」
低くて甘い声が鼓膜を震わせ、頭のてっぺんからつま先まで、ものすごい熱が駆け巡る 。
28歳のアラサーのくせに、心臓が暴れ狂い、完全にキャパシティを超えてしまった 。
「な、ななな、なにするんですか、ギルバート様――ッ!!!」
パニックに陥った私は、ギルバート様の大きな手をすり抜け、彼をその場に置き去りにして全力で走り出した 。
「マドカ!? 待ってくれ――」
後ろから彼が焦ったように引き止める声が聞こえたけれど、今の私には振り返る余裕なんて1ミリもない 。
顔から火が出そうなほど真っ赤になった私は、ちんまりとした体を最大限に躍動させ、お屋敷の厨房へと猛ダッシュで逃げ込んだのだった 。
厨房の床にペタンと座り込んで自分の唇を両手で触る。
(いやいやいや! 昨夜から過保護の威力が強すぎると思ってたけど、キスまでされたら私の心臓が100個あっても足りませんーー!!)
夕暮れの菜園に残されたのは、人生初の熱烈なアプローチを「逃げられる」という最悪の結果で終え、この世の終わりのような顔でガチ凹みする、帝国最強の騎士団長様だけだった―― 。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
次回は【7月5日(日) 18時】に更新予定です。お楽しみに!
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