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第13話 零れるのは、血ではなく

 床に沈んだ先行隊員たちの痕跡が、白い霧となって逆流し始めた。


 その光の粒子は、目の前で蠢く白い人型の中心部──核へと強引に吸い込まれていく。

 吸い込むたびに、人型の輪郭が歪に膨張し、大理石の床を軋ませた。


 礼拝堂の奥に広がる闇から、引き摺り出されるように新たな影が這い出してきた。

 全身が同じ白い光で構成された人型が、新たに二体。


 合計三体の白い敵が、私たちの退路を塞ぐように並び立つ。


「嘘でしょう……」

 こはるの震える声が、大理石の壁に跳ね返って虚しく消えた。


「させない」

 律が即座に白銀の焦点を引き絞り、空間に鋭い「線」を走らせた。


 鋭い白銀の軌跡が、迫りくる中央の一体の右手首を綺麗に切り離す。

 だが、その直後だった。


 黒瀬先生が空間を固定する「黒い杭」を、その切断面へ向けて力強く叩き込む。


 しかし、右側にいた別の一体が、信じられない速度で杭の軌道上へ身を投げ出した。

 黒い杭は、盾となった二体目の白い身体に突き刺さり、その進行を遮られる。


 黒瀬先生の息が詰まる音が聞こえた。


 身代わりとなった個体が杭を固定したまま、中央の個体の切断された手首から、蠢く光の触手が伸びる。

 一瞬で切り離された手が引き寄せられ、無音のまま再結合した。


 三体の白い人型が、一斉にその両手をこちらへと突き出す。

 それぞれの掌から、視界を埋め尽くすほどの猛烈な「白い粒子」が吹き出した。


 津波めいた光の霧が、私たちを丸ごと巻き込もうと迫りくる。


「俺の後ろに下がれ!」

 真広が叫び、私たちの前に割り込んだ。


 膜展開補助具を両手で構え、障壁を二重、三重へと急速に重ね展開する。

「こんなもんかよ、痛くねえし!」

 叫ぶ真広の、盾を握る右手の指が、不規則に激しく震えていた。


 痛みはないはずなのに、真広の顔は限界の負荷によって赤黒く充血している。

 光の粒子と半透明の障壁が激突し、凄まじい反発が空間を満たした。


 押し寄せる粒子の圧力は、真広の強固な障壁をも徐々に削り取り、薄くしていく。

 防壁が破られるのは時間の問題だった。


 私の目の奥で、熱い模様が不規則に弾けた。

 感覚のない左足の先が、泥に沈み込んだ錯覚を覚えるほどに重く冷たい。

 左足が冷たい鉛と化すのと引き換えに、私の意識が肉体の制約を抜け出して変質していく。


 視界を埋める光のノイズが、規則正しいグリッド線へと収束し、大理石の柱や床の境界線に走る、奇妙な空間の歪みを浮かび上がらせた。

 敵の再構成が行われる予測点。そして、光の線が反射すべき正確な座標。

 それらが、頭の中で一本の鋭い射線となって結びつく。


「律!」

 私は全力で叫んだ。


「線をそのまま通しちゃダメ! 大理石の柱と床にぶつけて、跳弾させて!」

「跳弾……?」


 白銀の線を、大理石の表面に衝突させて反射させる。理論上は可能だ。だが、この極限状態で──

 律の親指の付け根が、焦点具のフレームを軋ませた。

 だが、その視線は跳弾の座標だけを冷徹に射抜いている。

「これだ。──了解」


 律の指先が白銀の焦点を解放した。

 放たれた白銀の線が、空間を直進するのではなく、大理石の柱に鋭く接触する。


 火花を散らす鋭い音を立て、線は直角に屈折し、さらに床へと反射した。

 二度、三度。空間を縦横無尽に跳ね返る光の軌跡。


 黒瀬先生の眼鏡の奥で、驚愕の光が走る。


 がふっ、と真広の口から強引に息が漏れた。

 直後、盾を削り取っていた猛烈な圧力が、一瞬で消失する。

 真広が息を呑んだ瞬間、空間に白銀の檻が完成していた。


 反射を重ね、幾重にも折り重なった光のグリッドから、三体の白い人型は逃れる術を持たない。

 あらかじめ予測された回避経路のすべてを、反射した光の線が完全に塞いでいる。


 網の目となって交差した光線が、敵の白い身体を逃さず細切れに切り裂いていく。

 切り刻まれた敵の断片が、大理石の床の上でさらさらと透明な霧になって溶け落ちた。


 障壁に押し寄せていた粒子の奔流が、跡形もなく掻き消える。


「やった……!」

 こはるが端末の画面を胸に抱え込み、安堵の声を上げた。


 私も、肺に溜まっていた熱い息をゆっくりと吐き出す。


『表情出力:安定』


 手首のORIGOは、無機質な文字列を点滅させていた。

 安定なわけがない。感覚の消えた左足は、依然として自重すら伝えない沈黙を保っている。


 だが、その安堵は一瞬にして蹂躙された。


 床に漂っていた白い霧の断片が、一箇所に集まり、不自然に直立する。

 残された最後の一体。


 その背中から、鳥の羽根を思わせる長い光の帯が、ゆっくりと左右に伸び始めた。


 と同時に、礼拝堂の空間全体が、物理的に耳の奥を震わせるような音に満たされる。

 賛美歌を思わせる、重低音の祈りの合唱。


 その不気味な和音の振動が、私たちの頬の内側を物理的に震わせた。


 本能的な悪寒が、背骨を駆け上がる。


「──逃がさない」

 律がすぐさま、先ほどの跳弾の線を放った。


 しかし、激しく反射しながら敵へ迫った白銀の光線は、伸びた羽根の光に触れた瞬間、ただの光の粒子となって虚空へ拡散した。


 たった今、敵を打ち破ったはずの白銀の檻が、触れることすらできずに霧散する。


 光の羽根を纏う敵が、顔のない頭部を、明確に律へと向けた。


 敵の背後の羽根から、極細の、しかし極めて鋭い光の粒子の刃が放たれる。

 避ける時間はない。律の瞳が、死を覚悟した色を帯びて、微かに揺れた。


「律!」

 黒瀬先生の声が響いた。


 先生が強引に身を乗り出し、その両手で律の肩を突き押した。

 律の身体が床を転がり、光の軌道から外れた。

 しかし、突き飛ばした勢いのまま、黒瀬先生は姿勢を崩した。伸ばされた右腕が、遅れて放たれた光の軌道と重なる。


 右手首から先が、鋭い光の粒子によって無音で切り取られ

 切断された手首が、大理石の床の上に、硬い音を立てて転がり落ちる。


 血は一滴も流れなかった。

 切断面からは、血の代わりに白い光の粒子が、砂時計の砂めいて静かにこぼれ落ちている。


 痛みすら、ない。

 ただ、失われた右手首の切断面を、誰よりも冷静だった黒瀬先生が愕然と見つめている。

 自身の肉体であったはずの場所から、世界を滅ぼす敵と同じ粒子が零れている。

 その事実を脳が拒絶するように、先生の喉から掠れた声が漏れた。


「これは……な……ん、だ……」


 その切断された手首が、床の上で、静かに透明な霧へと溶け始めていく。


「せ、んせ──」 

 私はそれを見つめたまま、言葉の続きを失って絶句した。

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