6.知らぬ間ブロマンス【side:ガイアス】
頭の中の雑念を払うため、一心不乱に剣を振る日が来ようとは――つい先刻まで、思いもしなかった。
夜の鍛錬場は、誰もいない。
それでも集中を乱されるのは、やはりあの女のせい――。
「……なぜなんだ、ローゼリア」
彼女が“ロズ”に化けていたことも衝撃だったが。何より、剣の勝負で手加減されたことが問題だ。
それに。気を抜くと、彼女の白い肌に映える“赤薔薇の下着”ばかりが頭に浮かぶ。
「……はぁ。俺はどうしたんだ」
一度、夜風に当たるか――。
納刀し、グライシス家の本邸を眺められる庭へ出たところ。魔法のランタンを提げた男が目についた。
「ノーベルか。こんな時間にどうした?」
ランタンよりも、奴の銀髪が月明かりで目立っている。
道の真ん中で足を止めたノーベルは、人懐こい笑みを浮かべながら近づいてきた。
「あっ、ガイアス先生〜! 実は、先ほどグライシス卿へご挨拶を」
学校で良い師を得たので、鍛錬場をしばらく休むと伝えに来たという。
「その師とは、ロズのことか?」
「はぁい! さすがに、こちらでも学校でもお世話になるわけにはいきませんからねぇ」
「は……?」
(いま、こちらでも……って言ったか?)
平日休日関係なく鍛錬するのは、ノーベルからするとキツいという意味だったのだろうか――。
聞き返そうとすると、「先生はまだ訓練を?」と奴は首を傾げた。
女のことが頭から離れなくて、剣を振るっていた――など言えるはずもなく、俯くしかない。
話を逸らそうとしたのか、気を紛らわせたかったのか。自分でも分からないまま、「少し話さないか?」とノーベルをベンチへ誘っていた。
中庭には、グライシス家の家紋である白薔薇が咲き乱れている。奴は呑気に、「きれいですね〜」などと和んでいた。
「……お前は強くなったな」
剣術大会は見事だった。
そう素直に述べれば、ノーベルはふにゃりと笑った。
ただ、と付け加える。
俺が感動したのは、当然剣の腕ではない。「相手に向かう心構えが変わったこと」だ。
「はい! それも全部、師匠のおかげなんです〜」
以前のノーベルは、剣技の授業中は逃げてばかり。技術以前に心を変えなければ、とても前に進めるような状況ではなかった。
「でも、ロズさんが教えてくれたんです。“強さ”とは技術ではなく、『立ち向かうことだ』って」
「立ち向かうこと……」
(そんなことを、ローゼリアが……)
予選でのノーベルを思い出せば。確かに、あの時の目は本気だった。勝てない相手とわかっていながら、それでも目を逸らさない。
あれを“無謀”ではなく“勇気”と感じたのは、それほど強い視線だったからだ。
「そうか、あの目……」
あれは、決勝で見たロズの目と同じ。
ノーベルの視線の中に、俺はローゼリアの信念を感じていた。
(やはり見間違いなどではない。あいつは、ロズは……)
「……あいつとは、どうやって知り合ったんだ?」
「ロズさんのことですか?」
ノーベルが話したのは、入学式の日のこと。
学校でロズに助けられ、戦う姿に憧れて師になって欲しいと頼んだのだ、と。
(なぜローゼリアは、わざわざ男装してまで士官学校へ……?)
それも、1年前の高等女学園入学のタイミングではなく、今になって。
分からない――。
「ガイアスさんは、強いからロズさんを気に入っていらっしゃるのですかぁ〜?」
ノーベルは珍しくからかうような口調で、「もしかして好きなのでは」、などと言ってきた。
「は……」
とっさに言い返せなかったが――このまま否定しないと、さらにまずい。
「……アイツは男だぞ?」
「はい、存じていまぁす」
俺が焦る姿を見て、楽しんでいるのか――?
その余裕がいったいどこから来るのか。考えつつ、次の言葉を待っていると。
「僕はどちらだろうと、ロズさんのことが……いえ〜、なんでも」
辺に含みのある笑みを残して、「護衛の方を待たせていますから、そろそろ」と、立ち上がった。
「ああ。気をつけろよ」
「ガイアス先生も、良い夢を〜!」
天然に見えて、時々核心をつくのだから、恐ろしいやつだ。
「好き」――奴が去った後も、言葉だけが頭に残っていた。
そんなわけあるはずがない。
(あのじゃじゃウマ娘だぞ……?)
根っからの負けず嫌いで、俺に負ければすぐに太刀筋を克服してくるような女。
他の女みたいに、ドレスを着ている姿を見たことがない。いつも剣を握るか馬を走らせるかして、ひとりで遠乗りに行くような女だ――。
そんな彼女が、どうして士官学校へ入学したのか。
美しい髪を切ってまで――。
「……ローゼリア、なぜだ」
いつまでも鍛錬場に居座るわけにもいかない。が、このまま帰れば眠れない。
気づけば、足が勝手にグライシス家に向いていた。
「だれかと思えば、ガイアス君じゃない!」
師匠――もといグライシス卿は、直々に玄関まで来てくれたが。俺を見るなり、からかうような笑みを浮かべている。
「えっ、こんな夜分遅くに失礼しちゃうの? 婚約者の家だから?」
「……まだ婚約者ではありませんが」
渡したいものを、前回渡せなかった――そう言って、枯れない薔薇付きの包みを見せると。師匠は妙にムカつく笑みを浮かべながら、「少しだけね」とローゼリアの部屋へ通してくれた。
おそらく、俺が師匠の弟子ではなかったら――いや、師匠と親父が旧知の仲でなければ、さすがにこの時間に娘の部屋へ通しはしなかっただろう。
「……なぜ男装をしているのか、訊くだけだ」
柄にもなく息を整え、今度こそはっきりと扉を叩いたが。返事はない。
「おい、入るぞ……」
静かに響く寝息に気づき、すぐに口を閉じた。
この女――鍵もかけずに寝ている。
「屋敷の中とはいえ、不用心な女だ……」
純白の夜着に包まれた胸が、穏やかに上下している。無防備に投げ出された手足は、想像よりもずっと白く、細かった。
「そうか……女、なんだよな」
「わざと負けた」と悟らせないような動きで、負けて見せるほどの技量があるというのに。
あの凛々しい姿が、今は別人に見える。
こんなに細い身体が、本気で俺とやり合えるのだと思うと不思議だが――今後は怖くなりそうだ。壊れそうで。
「……髪」
俺の知る限り一度も切ったことがなかった、流れるような赤髪。肩の上で揺れるそれを前にすると、「惜しい」と思ってしまう。
男子だけの士官学校で目立たないようにするためだったのか、まさか髪を切るとは――。
(それほどの覚悟を持ってまで、やりたいことがあったのか……?)
彼女の髪色と同じ、赤薔薇を一輪添えた小箱を、そっと枕元に置いた。中には、俺の髪色と同じ――黒薔薇の髪飾りが入っている。
「似合うと思ったんだが」
髪に手を伸ばしたところで、我に帰った。
「何をしているんだ、俺は……」
寝ている相手に触れるなど、騎士の精神に反する――とっさに手を引っ込めようとした、その時。
「うーん……?」
ローゼリアが、大きく寝返りを打った。
まさか、起こしてしまったのか――慌てて枕元から離れようとしたが。
「んん……太い」
腕を、しっかり握られてしまった。
思わず出そうになった声を呑み込めば、跳ね回る心臓を胸に感じた。
(こいつ、握力強すぎだろ……!)
少しひねれば折れそうな細腕のくせして、半ば本気で引き離そうとしても外れない。
「この剣……太くて……握れない」
寝言が紛らわしい――!
本当に寝ているのか、疑わしくなってきた頃。
ようやく手が離れて行った。
「はー……」
こちらは息も絶え絶えだというのに、ローゼリアの寝息は穏やかだ。
長いまつ毛も、短くなった髪も、無垢な寝顔も――可愛いなどと思ってしまう。
「ついこの間まで、手のつけられないじゃじゃ馬だったんだがな……」
ただ、こいつは俺の気持ちなど知らない。
いや――これまで、知らせようとしたことなど一度もない。
それでも縁談を機に、慣れないことをしてみようと思ったのだが。
(俺は……まだ、一歩を踏み込めないらしい)
枕元に置いた箱をそっと回収し、部屋を出ることにした。
こういうのは直接渡すべきなのだろう。
それにこいつの場合、俺からの贈り物だと気づかないかもしれない。
「……もっと、わかりやすく攻めてみるか」
剣ではなく、言葉で語る努力もしなければ。




