第六話 実はこの世こそ地獄・2
やがて燕はいつもの自宅にいた。
シミュレーションが始まった。たとえ夢でも、今、この世界から差別はなくなっている。そう思うと燕の期待と感動は止まらない。この世界においては、女性が男性から差別されることは、ない——それは生まれながらに被害に遭ってきた彼女からすれば天国のような世界のはずだと思った。
とりあえず外出をしてみようと思い、燕は服を着替えることにした。せっかくの差別なき世界だ、ちょっと小綺麗な格好で出かけようと思い、クローゼットの中からお気に入りのワンピースを取り出し、それを着る。その間、燕はテレビの中はどうなっているのかしらと興味が湧いた。いつもいつも、毎日毎日、差別が横行しているエンターテインメントの世界。これだから日本は海外に比べて遅れている、と燕はいつも思っていた。だからどんなヴィジョンがそこにあるのかと思い、燕はスイッチを入れる。
女性たちが和やかに笑い合っている。そこに男性はいない。
——そこに男性は、一人もいない。
やや怪訝な顔になる。どうしてこの報道番組には女性しかいないのかしら。気になってしばらく画面を見ていると、出演者もスタッフも全員、女性だった。
「女性しかいない? どうして」
男はどこに行ったのだろう。そう思う。しかし——そんなことより、女性が女性だけで活躍しているという場面に燕は感動していた。そうだ、男なんかいなくても、女は女だけで幸せになれる。フェミニストとしていつもそう思っていたことだった。だから、もしかしたら女性差別を撤廃させるために、報道番組の世界から男性は排除されたのかもしれない、と思い、全く正しい発想だ、と思った。いつも疑問に思っていた。メインキャスターは男性で、その隣にまるで置物のようにいる女性……バラエティ番組でも、年長の男性が司会者で、アシスタントが若い女性という光景をよく見ていて、こんなことではいけないと燕はいつも思っていた。女性を何だと思っているのか。女性は男性のオプションではない。全く怒り心頭だった。しかし今、この報道番組は、メインキャスターもアナウンサーたちも全員女性。まさにこれが私の望んだ世界……おそらく男は男だけでテレビ番組を作っているのだろう。そっちの世界がどうなっているのかも気になり、好奇心から燕はチャンネルを回す。
女性。女性。女性。
いくらチャンネルを回しても、あらゆる番組に男性は一人もいなかった。それはアニメーションの世界でもドラマの世界でも同様だったので、流石に燕は眉を顰める。物語の世界からまでいなくなる必要はあるのだろうか……? それでは物語が作れないのではないか。例えばラブストーリーはどうなるのだろう。そう思い、ちょっと気になり、たまたまチャンネルを合わせたドラマを見る。
するとそこにはレズビアニズムの世界が広がっていた。要するに、女性同士の恋愛模様が描かれていた。
「え……?」
燕はフェミニストであるが、別に男嫌いなわけではない。そして兎にも角にも自分は同性愛者ではない。これは一体どういうことだろう。女性差別の撤廃された世界はレズビアニズムの世界だとでもいうのだろうか。
一体外はどうなっているのかと気になり、燕は急いでテレビを消して玄関に向かう。
天気のいい日だった。この空の下に、差別はない。おそらく女性差別だけではなく、障害者差別もLGBT差別も何もないのだろう。自由と平等と多様な社会——それがそこにあるはずだった。
だが……その世界にいるのは、みんな女だけだった。
「え。え?」
街を歩きながら辺りを観察する。すると、いつも通りすがる車椅子の女性もいなければ、いつも髪をカットしてもらっている美容室を覗いてみると、担当してもらっているゲイの青年もいない……男がいないのは百歩譲ってわかるとして、あの車椅子の女の子がいないのは、どういうわけだ?
一体世界はどうなっているのだ。少なくとも見た目の分では健常者の女性しか街にはいないように見える。女性だけの国——しかし、障害者は? あるいは外国人は? 女性だけの国には健常者の女性しかいなかった。これは一体。
おかしい、と思い、燕はちょっと歩いて市役所に向かう。エントランスを入ると当然中にいるのはスタッフも客も全員女性だった。こうやって建物の中に女性しかいないのを見ると流石に不自然さを覚える。自分は女子校出身だが、ここはあくまでも市役所のはずだ。
「あの。すみません」
と、受付の女性スタッフに声をかけると、彼女は朗らかな笑みで燕を迎えた。
「はい。何でしょう?」
「あの……男性が一人もいないようなんですけど」
「男性は“男性だけの街”にいますよ」
「えっ?」
彼女はニコニコしながら話を続ける。
「差別撤廃法ができましたからね」
「それと、男性だけの街? じゃ、ここは女性だけの街?」
「おっしゃる通りです。女性しかいなければ女性差別はありません」
「でもあの、障害のある方や、同性愛の方もいらっしゃらないようですけど」
「障害者は“障害者だけの街”にいます。もちろん、“視覚障害者だけの街”“聴覚障害者だけの街”など細分化の動きは徐々に進められておりますけどね」
「じゃ、同性愛者の方々は同性愛者だけの街にいるんですか? でもあの、どうもこの街、レズビアニズムが進んでいるようですけど」
「女性しかいないわけですから、当然レズビアンが当たり前です。男性だけの街でも同じ現象になってますよ」
「え、え? ……え?」
困惑している様子の燕に、彼女はにっこりと微笑みかけた。
「差別がなくなれば差別はなくなります」
「じゃ、あの、例えば、私が突然、手が動かなくなったりしたらどうなるのでしょう」
「もちろん、この街から出て行くことになります。その場合は、そうですね、“身体障害のある女性だけの街”で生活することになりますね」
「でもあの、それじゃ生活がままならないのでは?」
「AIやロボット、機械が全部やってくれますからそこはご安心を。妊娠出産も人工的に行われるようになっています」
「……⁉︎」
「ああ、あと、女性だけの街では、いわゆる3Kの仕事も機械のできない場合は女性が担います。当然の話ですけれどね——女性だけの街、ですものね」
確かに……女子校出身の自分も、汚い仕事やきつい仕事も日々こなしてきた。それが社会に出てからは男性の役割になって、自分は汚い仕事やきつい仕事はしなくても良くなって……。
ブンブンと頭を振る。力のある者がより力の必要な仕事をするのは女子校でも当たり前のことだった。男は女より力があるのだから、男がきつい仕事をするのは当たり前だ……そしてこの女性だけの街はそのいわゆる女子校の習慣や風土が街全体社会全体に及んでいるわけだから、力のある女がより力の必要な仕事をすることになる……別におかしなことではない、そのこと自体は確かにおかしなことではないのだけれど。
だが思う。差別がなくなれば差別がなくなる。それは違うはずだ、と燕は疑問に思った。色々な人たちがいてこその多様性であり、その中でみんなが穏やかに楽しく暮らしていけるのが平等であり自由というものではないのか。でも、それでは女子校出身の私の過去は、経験は、歴史は、無駄だったということになるのだろうか。いやいやそれは絶対に違うはずだ。なぜなら男性による女性差別があるからこそ女子校の存在意義があるのだから。だから。だから。なぜなら——そう考えようとしたが、しかし、女性しかいないこの街で、ましてや妊娠出産が人工的に行われるというこの街で、明らかに今の燕は前々から思っていた“女だけの街”のリアリティを知り、落胆の気持ちに陥っていることは、これは認めざるを得なかった。
でもこれはこれで差別なき世界の一つの完成形なのだろうとは、これも素直に思うところだった。違いを認められないから差別が起こる……だから、それなら最初から違いなどなくしてしまえばいいのだ、というのも、これはこれで一つの真理だと、思う。ましてや機械が人間の生活を補ってくれるのであれば尚更だ。
でも、違うと思った。
色々な人たち、多種多様な人たちが共存してこその、差別なき世界だと、思った。
「多鍵博士」
「何でしょう」
「私の想像力が足りなかったみたいで」
「と、おっしゃいますと」
「別の世界へ」
「はい。わかりました。ご自由にどうぞ」
というわけで燕はそれぞれがそれぞれに分けられた世界を出ていく。この世界に何の愛着もないわけではないが、しかし、ここは少なくとも自分の目指すべき場所ではないと、そう思えてならなくて。




