第六話 実はこの世こそ地獄・1
「——ですから差別は何としてでもこの世からなくさなければなりませんの」
「はい。そうですか」
と、十三は内心うんざりしていたができるだけその様子が悟られないようにそう言った。この部屋に入ってから柳澤燕は差別や人権や多様性や自由について高らかに演説をしており、ようやくひと段落したようだと思い十三はちょっと安心する。
「というわけで多鍵博士」
「何でしょう」
「この、デジタナ? という——明晰夢実験ということで、私に差別なき世界を体験させていただきたいのです」
「それはまあ、私としてはサンプルが増えるのはシンプルにありがたいのですが」
「やはり、じゃあ結局のところ差別のない世界、社会、というものが具体的にどのようなものなのか……ある程度私自身将来のヴィジョンをはっきりさせておいた方がいいかと思いましてね。ヴィジョンははっきりしていた方がよろしいででしょう?」
「それはまあ、科学者として賛同できますけども」
「そうでしょうそうでしょう。博士は理数系の方の割には人文学的な話が通じそうで良かったですわ」
「それはまあ、一応、デジタナ理論の提唱者ですから」
「というわけで多鍵博士」
「何でしょう」
「それでは今日はよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
と、二人で頭を下げる。
燕はとにかく早口であり、その割には一つ一つの単語がはっきり聞こえる。喋り慣れている、ということなのだろう、と、何となく十三はそう思った。彼女は生まれながらに女性差別の被害に遭い、成長過程で人権や多様性といったものに関心を持ち、今はフェミニズム運動の傍らLGBTや障害者の活動にも熱心に力を入れているようである。それは結構なことだが、このペースで喋られると相手はついていけないだろうな、と、ちょっと十三は彼女の活動の仕方に心配の気持ちが湧いてきたが、しかし自分はあくまでもデジタナの研究実験ができればそれでいい。
じゃあ、このベッドに寝転んでください、と言いかけて、燕は訊ねてきた。
「博士は差別の話に耐性があるようですけれど、そういうお友達でも?」
「まあ、友達もそうですけど、割といろんな知り合いはいますよ。女性はもちろん、同性愛者だったり何かの障害者だったり。外国人だったり割と色々」
「まあ。それは結構なことですわね。“いろんな人がいる”のが事実としての現実ですものね」この科学者はなかなか“できる”人間だ、と、燕はさっきから話をしていて何となく思うようになってきた。「是非とも私たちの活動にご参加いただけないかしら?」
「いや。ぼくはぼくの人生を生きていこうかと」
「あら」と、そこで燕は瞳をキッと光らせた。「あなたも社会の構成員である以上、他の人たちの人生に責任があるんですよ」
「社会のことはできるだけ考えるようにしておきたいものですが、少なくともあなたの人生がどうなろうがそこは別にどうでもいいので」
「はい?」
「いえ。私の口癖なもんでね。気を悪くしたらすみません」
「あら、とんでもない。慣れてますから」
やや怒りの感情が湧いてきそうにもなったが、先に素直に謝られてはこれ以上追求するのも野暮だと思い、燕は自分を落ち着かせた。
「では博士。どうすれば良いのかしら」
「ええと、寝転んでください。そしたら『眠れ良い子よ』のメロディが……」
「ちょっとお待ちを」
「はい?」
燕はキッパリと言った。
「男性のいる部屋に、女性が一人、眠れとおっしゃいますの?」
「データは常時記録してますけど」
「そういう問題じゃありませんわ。誰か女性のスタッフはおりませんのかしら」
「いません。今は私一人でやってるのでね」
「それは困りましたわねぇ……」
心底困っている。燕からすれば十三は男性であるというだけで加害者側だ。
別にとっとと帰ってもらっても構わないのだが、一応、十三は言ってみる。
「別室にもう一台ベッドがありまして。中から鍵はかけられますけど」
「鍵は?」
「中の鍵で開閉するしか手段はありませんね」
「うーん。そうですねぇ……」
ちょっと、これは、面倒臭い、と思い、十三はいよいよ言ってみる。
「不安でしたらお帰りいただいても構いませんよ。その場合謝礼は出せませんが」
と、すると燕は、何をおっしゃいますの、と、真剣な表情をした。
「差別なき世界。そのヴィジョンを見せていただくために今日こちらへ伺わせていただいたんですのよ。そのチャンスをみすみす逃して堪るものですか」
「はあ。じゃ、どうします? どうしろと?」
「何かあったらすぐに警察が来ると思っていてください」と、燕は立ち上がる。「いいですか。私は多鍵博士を信頼しているのですよ」
“信頼している”とは言うものの、何をしでかすかわかったものではないと思い、十三は映像や音声などのデータ記録が確実になされるかどうかの確認を今一度念のためしておかなければと用心した。
「はい、はい。わかりました。それじゃお好きに。廊下を出て左です」
「信頼しておりますからね」
「裏切りませんからそこはどうぞ」
では失礼します、と、警戒心を剥き出しにしながら燕は部屋を出ていく。
ふう、と、十三は軽く息を吐く。
「さて。今日の実験はどうなることやら」
やがて十三はパソコンを起動する。
黄色いヘッドホンをかけながら独りごつ。
「“言い方”っていうのは、割と、大事なんだよな。なんだかんだ——わからない人に対しては」
そして、『眠れ良い子よ』のメロディが、流れ始める。




