第六話 実はこの世こそ地獄・3
というわけで夢の世界は次の舞台へと移ったようだった。燕はいつの間にか、また、再びいつもの自宅マンションにいた。
今度こそ真の差別なき世界のはずだった。さっきの世界は自分の想像力があまりに足りなかったからだと反省もしたし学習もした。今度こそきっと、そう思って、燕は再び外出をしようと思ってクローゼットを開けると——。
「ええっ」
そこにあるものは全部ジャージだった。
「え。私のワンピース。ツーピースも、何も、ない?」
全部真っ黒なジャージであり、個性も何もなかった。
どういうことだと思い、ふとクローゼットの扉に貼られた鏡に目をやると——。
「ええっ⁉︎」
自分の顔が自分の顔ではなくなっていた。いつもの自分の顔ではなく、そこにあるものは何の個性も何もない顔だった。明晰夢の中で自分のイメージが形になっているのであれば、それならなぜこれが現実の自分の顔ではないのか。一体これは何だ。誰の顔だ——と恐怖に慄きながら考えていると、ふと、あることに気づく。
全体的には、自分の顔と全く違うわけではない。
確かに別人の顔なのだが、だがしかし、自分自身の顔の要素が全くゼロなわけではない。それは、何というか——平均的な顔、と呼ぶに相応しい、女性の顔がそれであるような気が燕にはし始めた。
とにかく街に。外に出てみようと思い、燕は服を着替えようと思ったがやめ、というより、今の自分はクローゼットの中に入っている黒いジャージを着ていることに気づき、だからこのまま外に出ていけばそれでいいはずだと思い、やがて玄関へと向かう。
外に出る。晴天のいい天気だった。しかしそんなことより燕は恐怖に慄き、絶望に狼狽えていた。
みんな同じ顔。
みんな同じ顔だった。
女性は全員自分と同じ顔の造作をしており、また、男性は男性で全員同じ顔だった。それは“平均的な男性の顔”のように燕には思えた。そして男性も女性もみんな同じジャージを着ている。当然、自分が今着ているものと全く同じものだ。
どういうことなんだこれは、と思い、燕は市役所へ向かう。
「いらっしゃいませ」
と、もしかしたらさっきの受付スタッフかもしれないが、自分と同じ相貌であるためその区別がつけられない。とにかく市役所のスタッフであることは間違いないと思い、燕は問う。
「あの、なぜみんな同じ顔なんですか」
「差別撤廃法ができましたからね。違いがあるからこそ差別が生まれますから、違いをなくすために人は生まれたときからみんな整形手術を受けます」
「……えっ……」
また“差別撤廃法”。“違いがあるからこそ差別がある”。
これが自分の深層心理の真の願いとは到底思えなかった。自分はいつだって、色々な人たちが色々な在り方で、その上で共存することこそが差別のない健全な社会だと、世界だとそう思っていたのに。これは一体どういうことなんだ。このデジタナログとかいう実験がどうかしているのではないか、燕は戦慄に震えていた。
しかしスタッフはあっけらかんと続ける。
「ルッキズムのことはご存知ですよね」
「え。ええ。まあ。専門家ですし」
「不思議に思いませんか?」
「不思議だと思います。外見で人を差別するなんて」
「いえ。そうではありません」
と、そのスタッフはキッパリと言って、話し始めた。
「私たちは、足が速いからオリンピックで金メダル、とか、頭がいいから東大受験、とか、そういうことは生まれ持った才能を活かして活躍して素晴らしいと思うのに、どうして顔の造作が良いことで幸福な思いをすることをおかしなことだと思うのでしょうか」
「え。えっ? だってそれは」
「それは、外見のことは、全人類がみんな気にしていることだから——外見を気にしない人はいません。自分の外見も、他人の外見も。多かれ少なかれ人は外見で人を判断します。そこから逃れることはできません。だから“美しい人”というものにみんな憧れ、そして嫉妬し、そこから憎悪が生まれ……そこからルッキズムが生まれます。外見至上主義です」
これはおそらく自分が日頃から考えていることが第三者の言葉を通じて言語化されているのだろうと燕は思い至った。
「でも、でも。だからってみんな同じ顔だなんて——」
「外見がみんな同じなら、ルッキズムは発生しません。結果的に、女性差別も障害者差別も——“みんな同じ”なのですから」
「……」
そして彼女は言う。
「違いが争いを生み、そして迫害を生みます。そこから逃れることは誰にもできません」
それは違うはずだとまたもや燕は思った。それでは要するに同化政策に他ならないではないか。そんなもの私は望んでいない。これが自分の深層心理の真の願いだなんて、馬鹿げてる。
「多鍵さん」
「何でしょう」
「この実験は失敗です」
「いえ、今のところデータは安定して取れていますよ」
「そんなはずがありません。この私が、さっきの世界もそうですけど、こんな世界を望んでいるだなんて、どうかしています。深層心理の真の願いだなんて——」
「さっき、ヴィジョンとおっしゃいましたけど、あなた自身の真の願い自体にヴィジョンが見えていない証だと思いますよ」
む、と、燕は眉を顰める。
「私のヴィジョンが曖昧ですって? まさか」
「試しにもう一度チャレンジしてみますか。それがダメなら一旦お目覚めを」
「望むところです」
そう言って、燕は次の世界へと移る。
女性だけの街もそうだが……自分はこんな世界など、望んでいない。今度こそ。今度の世界こそきっと、差別なき素晴らしき世界——。
——そこは緑の国だった。
「……え」
街は廃墟と化し、緑の木々に飲み込まれようとしていた。人は一人もいない。人間のいない世界に燕には思えた。
「……」
動物たち、虫たち、鳥たちが自由に生き生きと活動し、花も草も木もみんな綺麗だった。自然——ただあるがままの、自然、が、そこにあった。おそらく海は魚たちの楽園となっているのだろう。人間に、人類に、人に攻撃されることのない生命たちの国——そこに、燕はただ一人ワンピースを着て立ち尽くしていた。
「……」
差別がなければ、差別をなくせる。
違いがあるからこそ、差別がある。
そしてそれは——そもそも“人間”がいなければ。
「多鍵さん」
「はい」
「戻ります。話があります」
「それはどうも。それではどうぞ」
というわけで燕は目覚める。目覚めるとベッドの上だった。




