第五話 グレトナ・グリーンに連れてって・4
「松也くーん」
公園。噴水の前で立ち尽くしていたら、やがて彼がやってきた。
「やあ」
とてもかわいい、弾けるような笑顔で、ちょっとだけ早足で息を切らして、自分のところに来てくれる彼はまさに天使だった。
「遅れちゃった。ごめんね」
「いいんだよ。ぼくも今来たところだよ」
「本当? 松也くん、優しい」
「ぼく、かわいい君のことが大好きだもんな」
「ありがとう。ぼくも松也くん、大好き」
このシミュレーションでは恋愛下手な自分を好きでいてくれる設定にしてみた。現実のあの子の場合、そもそもゲイではないとはいえ、こんなやり取りにはおそらくならないだろうと思うが、しかし、とにかく、夢である。
「じゃ、行こうか」
「うん!」
なんてかわいいんだろう。現実のあの子にも、恋じゃなくても、自分のことを好きでいてもらいたい、大切な友達だと思ってもらいたい。たとえ大切な友達の内の一人、という存在に過ぎなくても、大切な存在だと思ってくれるなら、それだけで。
「あ。アイス屋さんだ」
と、松也は移動式のアイスクリーム屋を発見したので、当然そちらへ行く。
「こんにちは。カップルさん?」と、お店のおじさんが笑いながら言う。「いいねぇ。青春だねぇ」
「いやあ。こんなかわいい彼氏がいて、ぼく、マジで幸せです」
「そんなにかわいいかわいいって言われちゃうと、ぼく、おかしくなっちゃうな」
おかしくなっちゃうのはこっちの方だ、こっちこそさっきから頭の中がエッチなことでいっぱいになり始めているのだから、しかし流石にそれは悟られてはまずいだろうと思い、気を取り直して松也はアイスを見る。
「何にする?」
「えーと……バニラで」
と、彼が言うので、松也も同調する。
「じゃ、バニラ二つで」
「はいよ」
「いいの? 松也くん、チョコが好きだよね」
「君の方が好きだよ」
「本当? 嬉しいな」
と、幸せで心がはち切れそうになっていると、店主がバニラアイスを二つ自分たちの方に手渡した。
「はい、二つで四百円」
「はいはい、四百円ね」
と、財布から五百円玉を取り出す。
その間、特に何も言わずアイスを食べ始めるあの子。
「はい毎度。じゃあ楽しんでね〜」
「あ。はい」
あれ。何だろ。今、自分は、何らかの違和感を覚えた。しかし……その違和感の正体がどうも掴めない。とにかく自分はこの子にアイスを奢ってあげて、この子はアイスを食べ始めて……そして、
「ありがと松也くん。いつもいつも嬉しいよ」
と、お礼を言ってきてくれる。
かわいい笑顔で、かわいい仕草で、かわいい声で。
なんだ、別に違和感を覚えるようなことは何もないんじゃないか。そう思い、ちょっと幸福に酔いしれすぎたから微妙な何かが気になってしまっているのではないか、などと考えて、そして二人は並んでアイスを舐めながら歩き出す。
「ね。ね」
「何?」
「手、繋ご」
「うん」ちょっと赤面のあの子。「いいよ」
と、松也は彼と手を繋ぐ。
周りの人たちは誰も何も言わないし、奇妙なものを見る目でも見ない。今、自分たちは、カップルとして当たり前に公園の中を、手を繋いで歩いている。
……表層意識のリクエストと深層心理の真の願い、という十三の言葉を思い出す。
自分の願いは、この子と付き合うこと。この子と愛し合うこと。もしもこの子が自分と同じゲイだったら。
そしたら、この子のために死んでもいい。そう思う。
夢から覚めたらただの友達の一人でも、今この瞬間の夢の世界を大切にしたかった。
周りの人々は殊更にニコニコしているわけでも何でもなく、ただの通りすがりのカップルとして自分たちをただ公園の中を歩く人物たちとして認識している。
そしてそれが……自分の真の願いのような気がしてきた。
この子がゲイだったら、この子と恋を語り合えたら、ということよりも。
しかし、気を取り直そう、と、松也は頭を振る。とにかくこの子だ。
「あ。あの子」
「ん?」
ふと前方を見ると、今にも風船を飛ばしそうな小さな男の子が現れた。
「風船、飛ばないといいけど」
と彼が言うのが先か後か、男の子は風船を手放してしまった。
「あっ」
と思い、松也はそちらへと走っていく。
その間、彼はアイスをペロペロと舐めていた。
現実世界ならとっくに手遅れだろうが、夢の中である、松也のイメージ通りに松也はジャンプし、その赤い風船を手に取った。
「はい、どうぞ」
と、男の子に渡すと、男の子は満面の笑みでありがとうと言って立ち去っていった。
何だ? また謎の違和感。
この違和感の正体は何だ?
「やっぱり松也くんは男らしくて、かっこいいなぁ」
と彼が言うので、松也は、はて、と思う。
男らしいというか、君も男だろ。
……しかしどうもこの子は女っぽい……というより、女性の役割を担当しているように松也は思うようになってきた。
奢るのは自分の役目で、誰かを助けるのも自分の役目。その間、彼は何もせずぼんやりと突っ立っている。
ふと松也はインターネットでよく見かける、奢り奢られ論争のことが頭を過った。男は女に奢るもの……自分は異性愛者ではないので無関係な話題であるかのように思ったが、いやいやゲイはゲイで奢り奢られ論争がある。それは年齢によるものである。要は年上は年下に奢るもの。これ自体は一見当たり前のことかのように思う。だがしかし、だからと言って奢って奢っては違うよね。そんな感想を恋愛未経験の松也はだからこそ第三者の立場として抱いていた。
松也は別に女性が嫌いではないが、男性としてそれなりに女性蔑視の感情があるのかもしれない。しかし、これはおそらく男女の問題ではなく、ジェンダーの問題なのであろう。男性的ジェンダーは女性的ジェンダーの人間を庇護し、女性的ジェンダーの人間はそれを……当たり前だと思っている?
だからと言って奢って奢っては違うよね。
「どうしたの松也くん」
「いや。何でもないよ」
でも。ここは夢の世界。自分の好きなようにコントロールできる明晰夢の世界。
この子は、そんなんじゃない。
「そういえば最近、駅の近くにミュージアムができてさ」
「そうなんだ。今度連れてって」
連れてって。
っていうのは、なんか、ちょっと、違うよな。
“リードしてほしい”“エスコートされたい”……そんな主体性のない女たちの一方的な要望に生来イライラする自分。
少なくとも、自分は、そういう主体性のないパートナーは。
「多鍵さん」
「はーい」
「一旦、目覚めます」
「あ。はい。わかりましたー」
ダメだ。この子と一緒にいると——。
現実のあの子のことまで、嫌いになってしまいそうで。
「おはようございます」
というわけで松也は現実へと帰還するのだった。




