第四話 ものは言いよう・4
「あなたの場合、上手に肯定された経験があまりないから極端な方向に進んだんですかね」
二人でコーヒーを飲みながら、十三は静かにそう言った。
そういうことなんだろうな、だから肯定癖のイメージがそこにあったのだろう、と、好文は思う。
「上手に肯定されたいなぁ。そんなに高望みなのかなぁ……」
うーん、と、ちょっと唸り、やがて十三は返事をする。
「あなた自身はどうですか。他人を肯定していますか。できていますか」
そう言われると……気づき自体は得られていると思っているのだが、それがうまく発揮されているようには自分自身どうしても思えない。気づき自体は得られていると思ってはいるのだが……。
……深層心理の真の願い。
「でも、愛されたことがないのに愛するのは難しい」
「愛さない人も愛されないし」
「う〜ん」
「ただあなたの場合、あなたはもういい年齢ですし、そろそろ他人に受け入れてもらうことだけじゃなくて自分が他人を受け入れることも考えてみた方がいいと思いますよ」
言われてみてややぎくりとした。自分の認識ではいつまでも若者気分が抜けていないが、確かにもうアラサーに突入しており、つまり立派な大人であり、要するに、自分が普通におじさんであることに、このときになってようやく自覚が生まれたような気が好文にはした。
「そしたら受け入れてもらえますかね?」
「さあ。それは場数を踏まないとわからないんじゃないですかね」
どこかどうでも良さそうに十三は言う。しかし、そうだとは思う。おじさんの自覚を得て今すぐ他人を受け入れたからといって、それですぐさま自分も受け入れられるわけではない。
十三はとにかく続けてみた。
「とにかく、ま、別に働くことだけが全てではないんですがね。でもあなたの場合、少なくとももっと他人と関わった方がいいんじゃないですかね」
「家族とか、それ以外と?」
「助けてって言っても助けてくれない人たちといつまでも一緒にいた結果が今のなかなか暴力的なシミュレーションだったんじゃないですかね」
現実であんなことしたらもう死刑だな、と、さっきの好文はちょっと思い返す。でも、だからと言って家族親戚のことは嫌ってはいるとして、殺意まで抱いたつもりもなかったのだが。これもおれの深層心理の真の願いだったのだろうか?
しばし沈黙が走り、やがて好文は、でも、と口を開いた。
「どうすりゃ関われるんでしょ」
すると十三はやや投げやりに言った。
「サークル活動でもしてみたらいかがですか。ネットで検索すればたくさんあるでしょ」
割と普通のことであると同時になかなか画期的なことを言う、と思った。
「合わなかったら?」
「そしたら別のことをすればいい」
「それもダメなら?」
「そしたらまた別のことをすればいい」
「それを繰り返すんですか? 何度も? 永遠に?」
「そのうち自分の居場所が見つかるかもしれないし、見つけられなくてもそれはそれで、一人の方があなたには合ってるのかもしれないし」
「ふむ」
「だからあなたが一人でいた方がいい人なのかどうかは一旦他人と関わってみないとわかりませんよ。それこそ場数を踏んでみないと。そしたら居心地のいい場所が見つかるかもしれないし——居心地のいい場所を嗅ぎつけるのも人生を豊かに生きていくコツです。で、コツというものは理論的に、場数を踏まないと掴めない」
もうちょっと十三の話を聞いてみたく、好文はうんうん、と、頷き続ける。
十三は続けた。
「やっぱり助けは助けてくれる人に求めないと。少なくともあなたの場合それは残念ながらご家族ご親戚の方々ではなかったようですね。血が繋がっていようがどんな関係性だろうが相性の問題は無視できない。合わないものは合わないし、無理って言うなとかじゃなくて無理なものは無理なわけで」
「うーん。なんかいいこと言いますね……」
そう。結局のところ、自分はこういう“肯定”がされたかったのだ。
“おれは”こうされたかったのだ、と、好文はぼんやりと、しかし、はっきりと思うようになってきていた。
「博士は、心理学とかそういうのは」
「一応、心理学と精神医学の学位は持っていますけどね」
「はあ。博士の言葉はスッキリ入ってきて、なんか嬉しくて……」
「さっきプログラムを弄りましたからね。実験が成功して何より」
「真の願いがどうとか」
「まあ、暴走は止めなければならない、という、ただそれだけのことです」
うーん、新技術のコンピュータのことは、自分が関与することではなさそうだな、と思い、十三に抱いたシンプルな感想だけを口にすることにした。
「今日ここに来て、シミュレーションして……博士って、おれの人生の結構なキーマンだったりするのかな?」
「いや、あなたの人生がどうなろうがそこは別にどうでもいいんですけどね」
と言われ、「ぐぬぬ」と唸ってしまった。
「その割には色々アドバイスしてくれましたけど」
「私はあなたにアドバイスというものをしてるんじゃなくて、自分ならこうするこう思うっていうことを言っているだけですから。そのやり方があなたに合っているかどうかはやってみないとわからないですよ」
「まあね〜」
考えてみれば、さっきの明晰夢で、自分の“真の願い”とやらが見えてきたような気がするし、そのための客観視もできるようになってきたと思う。この博士の言っていることはあくまでその言語化であり、何も目新しい画期的なことは特別言っていないのかもしれない、とは思うのだった。
「あなたが今日ここに来たのがあなたにとって幸運だったのかどうかも私には関係ないですし」
「運ねぇ」
「真の願いを叶えるのに運の要素は欠かせない」
何か、ひどく重要なことを言われたような気がしたのは自分の気のせいだろうか。
「デジタナは幸福を追求するための理論であって、幸福になるための理論ではないので」
ふと気になって、好文は聞いてみる。
この博士とちょっと話がしてみたかった。
「運って、鍛え方ありますかね」
と、十三はコーヒーを飲んで足を組んだ。
「さあ」
「むむ」
「とにかくまあ、日常生活をちゃんと営むことじゃないですかね? 朝起きてご飯食べて昼間は動いて働いて……というよりもっと厳密に言えば、リズムの取れた日常生活ですね。だからいくら追い風が吹いていても本人が引きこもっていたければただの風です。何なら鬱陶しいだけかもしれないし」
「追い風なんて吹くのかなー」
「あなた次第でしょうね」
「自分次第ねぇ。でも努力は報われるって考え方、嫌いなんですよね。報われてないのはお前の努力不足だって無茶なこと言われちゃうし。でもそれがいまいち否定できないのも辛いところで、だからどうも萎縮しちゃうっていうか」
「努力すれば報われるとは限らないし、努力しても報われないこともあるし、何なら大した努力もしないで報われちゃうこともあるわけで。そんなもんですよ、人生。鶯谷なんて画数の多い苗字に生まれちゃってテストで名前書くとき大変とかね」
ちょっと喋りすぎた、と思ったのかどうか、とにかく十三は言った。
「とにかくね。親というか、大人は大人で何かと大変なんだから、それに合わせてあげるっていうのも子どもの矜持だと思いますよ」
ちょっと色々弾けたような気がする。
「なんか、あざっす」
「それはどうも。別に普通のこと言っただけなんですけどね」
「おれには合ってました」
「そうですか。あなたが自分自身の真の願いを見つめたからでしょうかね」
ちょっと気になって好文は訊ねてみる。
「このデジタナ理論というか、技術っていうのは、みんながみんな、自分の“深層心理の真の願い”っていうのを客観的に見て、それで幸せになるって話なんですか?」
自分自身、なかなか近未来な話だと思って内心苦笑する。
でも、十三はあっさりと答えた。
「いえ、単に日常生活のインフラとして機能するだけのことです」
「なんだ」ややがっくりくる。「インターネットの次に来るもの、か」
「鋏は人を殺すこともできます」
「ん?」
「私がやらなければならないのはいかに個々人のリクエストを効率的に処理させるか、ということです」
これはどうも、難しいコンピュータの話のようだ、と思い、好文は撤退した。
「なんかよくわかんないですけど、いいです」
とにかく——自分はとりあえず家に帰ろう。
あとは……もうちょっと、前向きに。
前向きにやっていって……そして人生は続いていくのであるなぁ、と、好文はちょっと笑った。
「何か面白いことでも?」
「いえ。なんでもないです」
「では、今回の実験にご参加いただき誠にありがとうございます」
「あ、こちらこそどうも」
そこで十三は柔和な笑みを見せた。
柔和な笑みだな、と、好文は思った。
そして十三は言った。
「それでは、またいつかどこかでお会いしましょう」
「はい!」
ふふ、と、笑い合う。
深層心理の真の願いと言ったら——こんな風に通りすがりの人と笑い合うことも、自分の真の願いだったのかもしれないな、と、なんとなく好文は感動するのだった。




