第二話 自殺大作戦・4
部屋の中。小さく狭い部屋の中。薄暗い部屋の中。そこに紅葉はいた。
お馴染みの部屋の中央には銀色の、中型だろうか、とにかくイメージ通りのコックピットが置いてあり、そばになぜか十三がいた。
「多鍵さん?」
と訊ねると、その十三は、
「いえ。私はあなたのイメージです」
「私のイメージ?」
「あなたが“博士”を見たことがなかったから、多鍵十三が当てはめられたんですね」
「……なるほど」
まあ、誰でもいい。スイッチを押してくれる博士でありさえすれば誰でもいいのだ。
「それじゃ、いよいよ」
「あ、はい。どうぞ」
夢の世界の中の住人とはいえ何だかこの人は私をイライラさせる人だ、と思いながら、紅葉はコックピットの中に入り、横になる。
「このまま眠りながら死ねたらと思います」
「あなた次第です」
「では、よろしくお願いします」
コックピットが閉じられる。
ふう、と、紅葉は息をついた。これでようやく死ねるようだ。
思えば色々なことがあったなぁ……と思ったが思うだけにとどめ、そのまま直前と同じように『眠れ良い子よ』のメロディが流れ始める。なるほど、直前に自分が思った通りの死に方ができるようだな、と思った辺りで、睡魔が襲ってきた。このまま眠ることで、すなわち、死ぬ。
と、想像力が勝手な方向に働かないように、映画のようなコールドスリープではないことを想像しながら眠る。
現実の世界に帰った後、このままの勢いで死ねたらと思うのだった。
しかしその数秒後、コックピットは開けられた。
「え?」
目を見開く。死ねなかった? ちゃんと想像したのに? なんで?
何だか空気が乾いている。
異変が生じたことは間違いなかった。紅葉は起き上がる。
するとそこには荒廃した世界が広がっていた。
「……えっ……」
大地は荒れ、木々は枯れていた。そんな、さっきまで部屋の中、つまり建物の中にいたはずなのにどうして私は今外にいるの、と辺りを見渡すと、建物は崩壊していた。
「え。え」
「ああ、鹿目さん」
と、頭の中で声がした。十三だ。さっきの人物ではなく現実の存在だ。
「多鍵さん?」
「どうやら失敗したようですね」
「失敗?」
「装置が故障したみたいです。そしてそのままあなた何千年も眠って、今、人類が滅びた後の地球に独りぼっちになってるっぽいですよ」
「目覚めます」
条件反射的にそう叫び、十三は、
「わかりましたー」
と、能天気な返事をするのだった。
「まあお茶でもどうぞ」
と、差し出されたコーヒーを紅葉は一口飲む。何だかやけに美味しい。それはつまり、自分が疲れている証かのように紅葉には思えるのだった。
「どうも」
十三は気軽に言った。
「まあ、安楽死装置も機械ですからね。故障することもあるでしょうね」
「死ぬって簡単なことじゃなさそうですね」
「まあ、人生は何があるかわからないですからねぇ」
と、十三もコーヒーを飲む。
「この歳になるとほんとそう思いますよ」
「はあ」
「でも、あなたがさっきからの想定可能ないろんな死に方をやってみても一思いに死ねなかったっていうのは、あなた自身の深層心理が生きたいって叫んでるからだと思いますよ」
ふう、と、紅葉はため息をついた。
何だか十三が月並みなセリフを言っているかのように紅葉には思えたが、しかし自分が本気で死を望んでいるのであれば一回目のトライでとっくに死ねていたような気はするのだった。しかし……。
「でも……どうすればいいのかわからない。お先真っ暗で」
夢も、愛も、恋も失って……これからどうすればいいのか。
と思ったら、十三は軽く答えた。
「差し当たり、せっかくお見合いの話があるなら受けてみたらいかがですかね。会ってみてダメだったら断る」
「そんな他人事みたいな」
「他人事ですから」
いい加減イライラしてきたが、まさに自分が結婚しようがしまいがこの科学者には関係がないことはわかるので、なんとかイライラを飲み込んだ。
十三は続けた。
「他人事として勝手なことを言わせていただくと、この婚活戦国時代にお見合いの話がしょっちゅう来るなんて恵まれた話だと思いますよ」
ふと気になって紅葉は訊ねた。
「多鍵さんは、ご結婚は」
「私は独身です。妻に先立たれまして」
意外に思うと同時にしまったと思った。
「すみません」
しかし十三は柔和な笑みをたたえた。
「いえいえ。結婚も悪くないですよ。子どもには恵まれなかったんですが楽しい日々でした」
「恋愛結婚ですか?」
「いえ、見合いです。親戚が持ってきた縁談にそのまま乗りました」
「そのまま?」
そのまま、とはどういう意味だろう。
十三は、ふふっ、と笑った。
「私は子どもの頃からコンピュータコンピュータだったので親や親戚たちの心配が止まりませんでね。結婚もすることになったからするということで、まあ最低限嫌な女性じゃなかったから割とあっさり。向こうがどういうつもりだったのかは知りませんが」
「でも、愛してらした?」
「愛。うーん。愛ねぇ」
何だか戸惑っているように見え、この軽薄な男も戸惑うことがあるんだなと意外に思う一方で、紅葉は女としてちょっと驚いた。
「愛してはいなかった? まさか」
「いや、経緯はどうあれ長年一緒に暮らしていればどんな形でも情が湧くもので。この人にいなくなられると困るみたいな。でもそれがあなたのおっしゃる愛なのかどうかは、ちょっとわからないなぁ」
「はあ」
「若い人にはわからないかもしれませんけど」
「若いでしょうか。私?」
「二十九歳は若者でしょ。今の時代なら尚更。大変失礼ですけど健康でしたら普通に子どもが作れますし、何なら適齢期でしょう」
今のはセクハラではないだろうかと思ったが、しかし、真実を述べていることは分かり、だから紅葉は十三の次の言葉を待った。
自分の言葉を待っているようであるのが感じられたので、十三は続けた。
「お見合いのいいところは相手がどこの誰で何者なのか、身元がはっきり判明しているところですかね。親戚が持ってきた話なわけだから安心・安全・安定感は半端なかった」
紅葉はぎくりとした。
六年間大好きだったあの人……って、実在の人物だったのだろうか。
確かにコミュニケーションを取っていたという点では実在の人物である。北海道在住の三十歳であることと、趣味と特技と……しかしそんなものはいくらでも設定できる。病気を患っていたとか、寛解したとか、そんなこともいくらでも設定できる。死んだことにして自分との連絡を切った、と考えようと思えばいくらでも考えられる。
実際に会っていないのだ。そして向こうからも会いに来てくれたことがない。ネット上の存在というのはそういうことである。どこの誰で何者なのかはいくらでも設定可能だし、したがって身元などまるっきり判明していない。そしてそれをいうなら……そもそも、安心・安全な男だっただろうか? 少なくとも——安定感があった、とは、とてもじゃないが言えないことを、この時になってようやく紅葉は気づいた。妹という人物の突然の事故死の報告ですっかり意気消沈していたのだが、冷静になって考えてみればこの六年間無駄に過ごしたような気がしてくる。いかに親しい仲になれたとはいえネット上でしか関わっていないというのは結局そういうことなのだ。
ようやく我に帰ってやや呆然としている紅葉に、まあ、と声をかけ、十三は言った。
「最初に言いましたけど、猫ならあなたが望めばきっと毛皮を変えてやってきてくれますよ。料理人の夢だって、例えば結婚して生活が安定してからまた再開すればいいんじゃないですか、それがあなたの夢なら」
「——でもなんだか、結婚に逃げているみたいで」
女として、それは何か違うのではないか、何だか卑怯なのではないかと、紅葉はちょっと疑問に思う。
すると十三は言った。
「じゃ、必死で働いて、あるいは借金して、親に無断で調理師学校に行っちゃう」
「それは……」
それは、面倒臭い。ざっくり言って働きたくない。二十九歳までまともに働いていなかったのだ、今更アルバイトで苦労するのははっきり言って嫌だ。しかしかと言って借金をするなどとんでもない。親に無断で進路を決めるというのも、あの親を説得できるとも思えなかったし、そもそも自分にその度胸はなかった。だから家出ができなかったというのが自分の度胸のなさを表している。
「人生はある程度狡賢く計画的に進んだ方がいいんじゃないですかね。どうせイレギュラーなことがしょっちゅう起こるんだし、色々計算していくって方がいいかと」
「はあ」
「こんな言い方もなんですが、せっかく女性に生まれてきたんだからその特権みたいなもので最大限自分を活かさないと」
「うーん……」女の特権、というのがこの世にあるのかはわからないが、だが十三の言っていることはわからなくはない。「結婚して自分の夢というか、目的のために相手を利用する?」
「悪いことではないかと。結果的に家のことをきちんとやって双方のメリットになるのなら。あなたの場合、家事がばっちりできるんだから、今のご年齢なら普通に引く手数多なんじゃないですかね」
「うーん……」
悩める紅葉をじっと見つめ、そろそろ雑談も切り上げようと思い十三はまとめに入った。
「まあ正直ね、二十九歳じゃ諦めるのはいくらなんでも早すぎるって思いますよ。死にたいとか生きたくないとか何のために生まれたのだろうとか哲学者になれるのも若者の特権だとは思いますけどね」
ふう〜っ、と、紅葉は長いため息を吐いた。
何だか疲れてきてしまった。しかしその反面、死に対する熱意は今あまりない。
「で、どうします? まだ死にます? 時間ありますけど」
「ちょっと美味しいスイーツでも食べに行きます」
お腹も空いてきたし、とにかく甘いものが食べたかった。何だか、ちょっと贅沢がしたくなっていた。
「じゃあ、謝礼を」
と、十三は引き出しを開けて茶封筒を取り出し、紅葉に渡す。
「ありがとうございます。では、またいつかどこかで……」
……だが。
十三の声が遥か遠く聞こえるような気がするのはもちろん自分の気のせいである。差し当たりのお見合い……結婚して、それから新しく猫を飼って、料理の夢を再開して……とやや計画した辺りで、今まで両親親戚が持ってきた縁談の数々を思い出す。
だから……。
「でもなんか」
「はい?」
一気に言った。
「イケメンがいいんですよ。美男子が。どうせ結婚するなら」
「おお〜、なかなかぶっちゃけましたね」
「お見合い写真、一応チラチラ見た感じ、みんなデブなりガリなりハゲなり、そりゃ確かにお金はあるんでしょうけど」
「それは結局」ある種の本音を引き出せたように思えて十三はニコニコしながら答えた。「優先順位の問題ですよ。あなたの真の願いは何なのか。それに伴ってどうしてもプログラムは差し引きゼロになります。イケメンだけど貧乏だとか、でも料理の夢は叶わないとかね」
「差し当たり痩せます」
「いいんじゃないですかね。やりたいようにやってみてください。夢があるのなら」
紅葉はベッドから立ち上がり、それじゃ、と言って部屋を出ていく。その後ろ姿を見送りながら、十三は投げかけた。
「あなたの真の願いはあなた自身の優先順位によって定まります——それでは、またいつかどこかでお会いしましょう」




