第6話 旅
食事を終え、ミューズはそのまま湯浴みへと向かった。私はやることもないため、ミューズの部屋に一人で戻ることにした。
薄暗い部屋に入ると、やはり目を引いたのは一際銀色に輝くハープのようなものだ。改めて近づいて見てみると、細かな傷があり、弦もない。欠けている箇所もあり、本当にこれがハープだとしたら、壊れてしまっているのだろう。
しかし使い物にならないとは言え、この輝きにはこのハープの息遣いを感じる。生きているようだ。ただ眠っているだけにも感じる。
見惚れていると扉が開かれる音が聞こえた。振り返ると髪を濡らしたミューズが入ってきた。
「それ、気になる?」
思えばミューズと言葉を交わしたのは夕食前の時以来だったため、少し久しぶりに感じた。
「これはハープか?」
ミューズは簡素な布で髪の毛を拭きながらベッドに腰掛ける。
「パパとママが残してくれたんだ。大事なものだからって。でも何がどう大事なのか私にはわからなくて。」
「ミューズ、つかぬことを聞くが、お主の親は・・・」
大方の予想はついているが、確認はしておきたかった。推測でしかない、というのもあるが曖昧なままにしておいて、どこかのタイミングでうっかりミューズを傷つけることの方が問題だ。
「いなくなっちゃったんだ。私が5歳の時に。」
窓からは月の光がゆっくり差し込む。その光を見つめるようにミューズは空を見上げる。
「優しかったお父さんとお母さん、よく唄を唄ってくれて、それが私も大好きだった。でもメロディーは覚えてるけど、言葉までは理解できなくて。」
村へ来る途中に唄っていた鼻唄のことだろうか。少し間を空けて再び話し始める。
「でもある日突然いなくなったの。そのハープだけ置いてね。お母さんが大事にしてたのは知ってたから、私も大切にしなきゃって思って定期的に磨いてはいたけど、音を奏でることができないからそれ以上のことはできなくて。」
そうか、細かな傷は経年劣化によるもので仕方ないが、ミューズはこの輝きを守っていたのだな。だからこのハープはまだ鼓動を続けていられるのだろう。
「だからね、私が12歳になったら、村を出て、きっとどこかにいるはずのパパとママを探しにいくって決めてたんだ。それがやっと叶う。」
悲しい過去であるはずなのに、穏やかな顔だ。きっとミューズは信じているのだな。
「明日で12歳を迎えるのだったな。だが、村長の言っていた通り、ミューズ一人で村の外へ出るのは危険すぎる。剣術の稽古を受けるまではおとなしくしているんだぞ。」
「わかってるよ。」
にこやかに視線を向けてくる。
「あと、さっきはごめんなさい。」
夕食前のことを言っているのは察せられた。
「いや、あの件についてはわた・・・おいらが悪かった。すまなかった。」
「へへ、これで仲直りだね。」
私の心の中にあったつっかえも取れた気がする。
その夜は、ミューズのベッドで眠ることになった。私は床でもどこでもよかったのだが、ミューズがどうしても駄々をこねるため、仕方なく一緒に寝ることになったのだ。
さすがのミューズも疲れたのだろう、横になって目を閉じた瞬間に寝息を立て始めた。森に一人で入り、獣族に襲われ、逃げ回っていたところ、私のフレアという技で吹き飛ばされた。11歳、いやもうすぐ12歳になる少女にとっては刺激が強い1日だったはずだ。元気に明るく振る舞っていたが、身も心も疲れたに違いない。
こうして冷静に1日を振り返ると、私がここにいることも実に不思議に思う。つい数時間前までは卵の中で一人眠っていた。それが今、人族が眠るベッドの中にいる。
結局、あの声は誰なのだろうか。村に着いてからは全く聞こえない。あの声によって目覚め、あの声によってミューズを助けることができた。この声に従っていけば、私が何者なのか、なんのために生まれてきたのか分かると思っていたが、そう簡単にはいかないようだ。
これからのことはまた明日考えれば良い。それになんとなくだが、ミューズといれば退屈はしなさそうだ。
いろいろと頭の中で考えていると、いきなりミューズに抱きしめられた。起きたのかと思ったが、むにゃむにゃと寝言を言っている。無意識に抱きつかれたみたいだ。ミューズの温もりを感じると、うとうとと眠気が襲ってくる。そういえば、私も生まれたばかりだった。ミューズと同じように疲れていたのだ。
徐々に意識が遠のいていくのを感じ、私も眠りにつく。
──
飛んでいる。どこかの空を飛んでいる。大きな翼を大きくはためかせる度に、風を切る風圧の音が聞こえる。
なんて気持ちが良いのだろうか。
眼下には自然豊かな大地。新緑を湛え、多様な色彩を放つ花々、その中で人族の子供が一人遊んでいる。こちらを見つけると笑顔で大きく手を振ってくる。
その子供に近づいていく。表情がくっきり見えてくると、くしゃっと笑顔をこちらに向けているのが分かる。無邪気な子供だ。
──
数分、いや数時間は経ったのだろうか、物音で夢から起こされる。
音は外からだ。足音。人族のようだ。しかも複数人。こんな夜更けに。微かに話し声が聞こえる。かなりボリュームを落として話しているようだが、私の耳はその音が届く。
「無事なんだろうな?」
「えぇ、ボロボロで帰ってきた時は肝を冷やしましたが。」
「全く。監督者として失格だな。」
なんの話だ?監督者?耳に神経を集中させる。
「しかし約束通り12歳まで育て上げましたよ。任された時はどうなるかと心配しましたが同時に、幸運が降りてきたと思いました。」
「ふんっ、貴重な種族だからな。成長度合いもどうなんだ?」
「まだまだ子供の少女です。しかし成長の片鱗は見えますぞ。心も、もちろん体も。」
「あと3年待てばちょうどよかったかもな。けどあの人が12歳までが限界と駄々をこねたせいで。まぁでも多少は楽しんでもいいだろう。」
下卑た笑い声。虫唾が走る。こいつらの目的はミューズだ。そして話し声の一人は村長であることもわかった。
「2階にいるんだな?」
「えぇ。報酬もお忘れなく。」
「わかってるよ。」
まずい。こちらに向かってくる。急いで起き上がり、ミューズも起こす。
「おいミューズ!起きるんだ!」
うーん、と唸っているものの目を覚ます気配がない。仕方ない、少し強引だが──
ごんっ
「うわっ!っつう・・・」
ミューズの頭に頭突きをしたところでやっと目覚めてくれた。額が赤くなっているが、後で謝れば済む話だ。
「ミューズ、よく聞くんだ。お主を攫おうとする連中がすぐそこまで来ている。逃げるぞ。」
「ふぇ?どーゆーこと?」
まだ半分寝ている状態で頭も回るはずはない。目も半分くらいしか開いていないようだ。
階段を上がってくる音が聞こえる。まずい。時間がない。私たちが逃げられる場所は──
「ミューズ、すまない!」
ミューズの方を脚で掴み、窓の外を飛び出した。




