第2話 始まりの森②
そうか、龍だったのか。
しかし、まじまじと水面に写る自分の姿を見ると、なんとも幼い子供の龍だ。
龍の威厳など程遠く、可愛いという言葉が似合いそうだ。
後ろを見ると、今まで自分がどこにいたのかを理解した。
卵の中だったのだ。けれどただの卵ではなさそうだ。粉々になった卵の殻は金色に光っている。特別な卵であることがなんとなく察せられる。
辺りをきょろきょろと見渡すと、ここがいかに不思議な空間であることが分かる。
まずはこの水溜まりを隠すように木々が周囲を覆っている。けれど日差しを遮るわけではなく、むしろたくさん取り入れて、この空間を美しく照らし出している。どこからか水が流れてくるわけでもなく、もちろん流れていくわけでもない。魚が泳いでいるわけでもない。ただ水だけがそこにあるだけ。底が見えるほど透明度も高い。循環しない水はただ腐敗するだけだ。水溜まりという表現は適切ではないかもしれない。けれど池でも湖でも泉という表現も違う。うん、水溜まりにしておこう。
太陽の光で煌めく水面を見つめていると、忘れていた喉の渇きを猛烈に思い出した。勢い余って頭まで水の中に突っ込んでしまったが、そんなのお構いなしだ。一口水を含むと、喉を勢いよく通過する。ごくっごくっと音が鳴り、胃へと到達するのを感じる。冷たすぎない温度でいくらでも飲めそうだ。
ひとしきり飲んで顔を上げると、ブルブルっと頭を揺らし水を切る。
一息ついて地面へちょこんと座り、空を見上げながら思いを巡らす。
果たしてここはどこなのだろうか。
私は何者なのだろうか。
そしてあの声は誰なんだろうか、と。
幻聴ではない。確実に頭の中に直接語りかけてきていた。あれ以降その声は聞こえない。もう一度聴こえたら何かを思い出せそうな気がする。
そんな根拠もない希望をわずかに抱きつつ、あの声を聞くために意識を集中してみる。すると微かに、遠くで何かが聞こえた気がした。あの声ではなく、風で木々が擦れる音に混じって高い音で自然の音ではない何か。もう一度耳を澄ます。
やはり聞こえる。しかも次第に大きくなっている。ということは移動しているのか。それと合わせて低い唸るような声も複数聞こえはじめたところで確信した。高い声は女性の声、低い声は何か獣のような声だ。だとすると考えられることは一つ。
襲われている。
反射的に音のする方へ体を反転させ、小さな足を精一杯動かす。木々を抜けると、さらに深い森が広がっていた。声はこのさらに奥だ。再び一歩を踏み出した時、自分には翼があることを思い出した。
意識を翼を持っていくと動いた。1回はためかせると小さな風が巻き起こる。
今度は力強く動かすと体が中に浮いた。その後は体が、頭が理解しているかのように自然と空中に体勢を維持できた。
不思議なことに小さな翼だというのに、1度動かせばしばらくは空中にいれる。これが龍というものなのかと感心も半ば、急いで声が聞こえる方へと飛んでいく。
左右の木々が後ろへと流れていく。思った以上のスピードが出ている。これだけのスピードに眼が追いついていけるか心配だったか、それも不思議なことに容易に識別できて、木々を避けることができる。
高い声がどんどん近づいてくる。同時に低い唸り声も近くなる。木々が薄くなってきた。おそらく空間が開けている場所があるのだろう。それを視界に捉えた時、一人の少女と5匹の狼のような生物を認識した。予想通り、少女は狼の群れに囲まれている。助けなくては。
しかし、この体で一体何ができるのか。爪は鋭さを持っているが、小さく幼い。大した攻撃にならないことは容易に想像できる。あとは龍といえば、火か。火を吹ける。けれど翼を動かすのとは違って、眼に見えない何かを体から発生させるのは難しい。どうする。もう時間はない。
その時、またあの声が頭の中に響いた。
「・・・フレア」
フレア?なんだそれは。わからない。けど、この声が言っているんだ。
頭の中でフレアを唱える。すると徐々に体が熱を帯びるのを感じる。腹部から何かが込み上げてくる感じもある。これを放てばあの狼たちを倒せるのだろうか。その確証もない。それでもやるしかない。
熱エネルギーが喉元まで迫り上がってきた。口元からそれが漏れ出る。今だ。
「フレア!」
放たれたのは深い青色で炎のようで炎ではない球形の小さな塊。ゆっくりと進む。体に感じた熱感からはもう少し強大なエネルギーだと思ったのだが、いざ出してみると心もとない。けどこの大きさなら1匹くらいは倒せるだろう。
しかしすぐにそれとは別の懸念も思い浮かんだ。
もしあれが大きなエネルギーの塊だったら?
着弾と同時に周囲を巻き込む可能性があるのでは?
それを捨てきれない今、取るべき選択肢は一つ。
スピードを最大限に上げる。そのスピードを保ったまま、少女の服を脚で掴み上げる。少女は叫んでいたが今はお構いなしだ。低飛空のまま狼の群れから離す。
それと同時に、放たれたフレアが狼の群れに着弾。そして大きく爆発した。その風圧に吹き飛ばされてバランスを崩し、地面に転げ落ちた。
砂煙が周囲を覆っているが、狼たちがこちらに向かってくる様子はない。やはりあの「フレア」は大きなエネルギーの塊だった。安堵したのも束の間、助け出した少女を見やると、一緒に転げ落ちたせいで服は汚れ、掴んだ部分は破れてしまっていた。布1枚でできた簡素なワンピースのようだ。大きな怪我はなさそうだったが、強引すぎた。
砂煙が晴れてくると同時に少女もゆっくりと起き上がった。近くでみると少女というほど幼くはなかった。肩くらいまで伸びた金髪で、癖っ毛。突然のことで混乱している様子だったが、大きな瞳で私を見つけると膝をつきながら近づいてきた。小さな体を上から下まで観察するように見回すと小さく息を吸って
「龍?」
と一言。
この出会いが、龍族と人族の運命を変えることと知るのは、まだまだ先の話である。




