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SCENE GENESIS『少女チーサは幸せになる。』

 ――この世に産まれたのが間違いだったのかもしれない。


 私がそう考えるようになったのが、いつからだったのか。今となってはあんまり覚えていない。


 何せ、そう思うような出来事が幾つかあったのだ。

 巧妙な罠にかけられて男に犯されそうになったり、暴力に訴えられそうになったり、他の女の子が酷い目に遭いそうなところに遭遇したり。


 うん、まぁ、世の中って理不尽だよねって、ウンザリすることが結構あった。このヤバい世界に産まれてきたのって、間違いだったんじゃないかって思うくらいに。


 今でも、時々そんな風に考えることがある。

 どうして、私はこの世界に産まれてきたんだろうって。

 答えなんて出ないとわかってるんだけどさ。

 でも、今はちょっとだけ悪くないかもって思う。


 だって、この世界には――私の運命がいるのだから。






 ――誰かに背中を押されたような気がして、目が覚めた。


 夢を見ていたような気がする。或いは、これから夢を見ようとしているのではないかとも思う。

 私は、目を開いて天井を見つめる。

 木造のそれは、以前見上げた時に見たものと大差は無い――あ、蜘蛛の巣だ。


 一気に目が覚めた。

 身体を起こして、天井に張られた蜘蛛の巣を睨む。

 すぐ側に置いていた眼鏡をかけると、見間違えでないことがわかるくらいに、ハッキリと確認できた。

 昨日見た時には、あんなものはなかったはずだ。それが一夜明けただけでこの有様である。どこから入ってきたのだろう。やはり金をケチって家の修繕をしなかったのが拙かったんだろうか。


 私は、ため息を吐きながら、魔法で簡単に蜘蛛の糸を払い落とすと、今いる部屋――寝室だ――を出て、リビングに向かう――前に、隣の部屋を覗き込む。

 なんとなく、そうしたかったから。


 その部屋には、ほとんど何もなかった。

 家具も何もない。

 まだ誰のものでもない部屋だ。なんやかんやで余ってしまった部屋と言うべきか。寂しいような気がする。


 でも、どうしてだろうか。

 いつかこの部屋は、色々と大変だと感じるくらいに騒がしくなる気がする。

 根拠もなく、そう思った。


 リビングに移動し、朝食を準備する。

 パンと目玉焼きとウインナー。それとバナナに牛乳。健康的な朝食だ。食する。


 何の変哲も無い朝食を取りながら、私はこの普遍的な味に安堵する。問題の無い普通の食事がとれるのは、それだけで充分に幸せなことなのだ。

 時間に余裕があるので、のんびり食べる。


 卵の黄身をパンで拭って皿の上を真っ白にし、バナナの皮をむいて頬張り、牛乳を飲んで咀嚼し、これでバナナオレの完成……と我ながら意地汚い食べ方を楽しみながら、皿の上が綺麗になるまで平らげた。


 ちょっとだけ一息吐く。

 これで朝の準備は一通り終わった。これからはやらなくちゃいけないことで忙しくなる。

 もうすぐ本格的な一日の始まりだ。数ヶ月前から始まって、少しずつ慣れてきた日常。いつものルーチンワーク。


 ――さぁ、今日も私を始めよう。


 仕事場から荷物をとってきて、自宅を出ると、朝の光が直接私たちを照らした。家にいた時からわかっていたけれど、今日の天気は清々しいほどの晴れ。優しい光が肌を撫でるようだ。

 すぐ近くにある雑貨屋へと足を運ぶ。

 一分もかからないうちに到着した。


「やぁ、チーサさん」


 店の前で掃除をしていた中年男性――村に一軒しかないこの雑貨屋の店長だ――が、私に声をかけてくる。

 チーサ。それが今の私の名前。


「今日も早いですねぇ」


 朝の挨拶代わりらしく、年相応の重みのある渋い声ながらも爽やかな印象を抱かせた。


 おはようごさいます、と私はにこやかに微笑みながら、大きめの声で挨拶する。

 気持ちの良い商売相手であり、同時に気を許せる人でもあるのだ。なんというか、親しみを持てる。


 店長さんに挨拶をしていると、今度は奥さんがやって来た。

 その人にも、おはようございますと挨拶して、そのまま三人で談笑する。当たり前の世間話が楽しい。


 これが、いつも通りの朝だった。


「ところで、どうです? チーサさん、ここでの生活に慣れましたかね?」

「ええ、おかげさまで」


 店長さんの問いかけに、私は微笑みながら答える。

 もうすっかり、この村での生活に慣れつつあった。

 かつて暮らしていた王都から引っ越してきて、もう数ヶ月くらいになるだろうか。


 あそこで、色々と嫌なこととか大変なことがあった。

 薬屋を営んでいたら、男たちに全裸姿を盗撮され、それをネタに脅迫されて犯されそうになったのだから。


 ――うん、まぁ、全裸姿がなんぼのもんじゃいって、ぷっつんとぶち切れちゃったんだけどね。

 結果的に、私を犯そうとしていた男たちはボッコボコのグチャグチャのグロ画像と化し、彼らと結託して売春で大儲けしようとしていた裏社会も爆殺無惨と化したのである。


 もちろん、過剰防衛である。

 反省はしているけど後悔はしていない。


 そこからが大変だった。裏社会を潰したせいか、それと繋がりのある連中が襲いかかってきて大変。


 返り討ちにしながら、国外まで逃亡生活を送ったりなんてしているうちに、そこでも別の裏社会や悪意に遭遇して、とりあえず潰してしまったりで、とにもかくにも大混乱。


 とまぁ、そんなことをしてるうちに、割と世界が平和になってきて、ついでに王都の方も内部告発やらで王族の大半が一斉に検挙されて牢獄行きと化した。


 そうして、一旦王都に帰ってきた私は、営んできた薬屋を整理して畳んで、この人里離れたような村でスローライフすることに決めたのである。

 ちなみに、今後狙われる可能性があるという名目で、以前の名前はゴミ箱行きとなった。前々から気に入らなかったので。とにかく、やったぜ。


「そういえば、チーサさんのいた王都、まだ混乱が続いているらしいですよ」

「あれだけの王族の犯罪歴が暴露され、一斉逮捕だなんて……本当に、一体何があったのかしらねぇ」

「ははは……なんででしょうね……ははは」


 思わず苦笑い。

 多分私が盛大にやらかしまくったせいです。色んな意味で本当に申し訳ない。謝らないけど。


「じゃあ、チーサさん、また後で」

「今日もお仕事お願いしますよ」


 一通り世間話を終えたところで、店長と奥さんは店を離れていった。朝一番の馬車に乗るらしい。

 以前から聞いていたけど、今日は私たちに店を任せて近くの街へと出かけるらしい。

 古い友人たちと夜遅くまで酒を楽しむらしく、一晩は帰ってこないんだとか。

 一晩……か。


「あ、そうそう」


 今晩について思いをはせようとした時に、奥さんが一人で戻ってきた。

 なんだろう。

 忘れ物とか、言い忘れたことでもあるんだろうか。

 奥さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべると――なんだか嫌な予感がする――そっと囁くように言った。


「夜は計画的に、ね」

「なっ」


 そして、私の反応を見ずに逃げていく。

 店長さんも一緒だ。

 一瞬遅れて私が追いかけようとする頃には、もういなくなっていた。なんて逃げ足の速さだ。


「んもう、同性でもセクハラだってば!」


 私は悪態を吐く。

 恩人だし親しい仲ではあるけど、あんなこと言われたら困るのである。本当に。


「本当に、もう……ふふっ」


 でも、なぜか笑えてきた。

 二人が生きているということが、今みたいな冗談が聞けるってことが、意味も無く嬉しくて。

 良いな、って思う。

 本当に。


「……さて」


 二人も去ったことだし、と私は雑貨屋の入り口前に立つ。

 店の中には、一人の人間の気配があった。ガサガサと何かを動かしているような音が聞こえる。棚の整理をしているのかもしれない。


 私は、深く息を吸って吐く。

 心臓は今日も絶好調だ。ドキドキと五月蠅いくらいに鳴っている。顔が熱くなるくらいに振動している。


 落ち着け。落ち着くのだ私よ。

 昨日も顔を合わせたではないか。一緒におしゃべりしたり、ご飯を食べたり、談笑したりしたではないか。

 もうそろそろ、ちょっとくらいは耐性というか、免疫が出来ても良いだろうに。生娘じゃあるまいし。


 いや、生娘じゃん私。

 何言ってんだか、自分自身に呆れてくる。

 こうなったら改めて深呼吸だ。


「すぅー……はぁー……うん、よし」


 とりあえず、深呼吸したので落ち着いてきた。

 本当は全然落ち着いてないけど、落ち着いたということにしておこう。自己暗示してればなんとかなるさ。


 だから、行こう。

 扉の向こうで、彼が待っているのだから。

 私は、雑貨屋の扉を開けた。

 ――そして。


「――おはようございます、チーサさん」


 そして、少年はそこにいた。

 見慣れた姿のまま、私が大好きな笑顔を浮かべている。


「――」


 その顔を見る度に、私は本当に彼のことが好きなんだと自覚させられる。胸の奥が温かくなる。


 好きだ。


 好きだ。


 大好きなんだ。


 あと、愛してる。


 少女チーサは、少年カイルを愛している。


 多分きっと、いつまでも。


「おはよう――カイル」


 そして、少女チーサの新しい今日が始まる。

 ――さぁ、私たちの知らない幸せの話をしよう。



 FIN.

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