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*69 歪む

「……あ、えと……」

 

 抱きしめたままの彼女の声が戸惑っている。

 

状況が理解出来ない。

 

そんなところだろう。

 

僕にだってそんなこと解りやしない。

 

「……大学に来なかった」

 

「行ったよ! 教官のとこだけど」

 

「……研究室には来なかったじゃないか」

 

「……」

 

 責めている訳じゃない。

 

「……僕を避けてたくせに」

 

「……だって『君には関係ない』って」

 

 『だって』か。

 

やっぱり君は見た目によらず子供っぽいところがある。

 

先程くすぐられた加虐心が少しずつ頭をもたげてくる。

 

更に彼女をきつく抱きしめる。

 

……彼女の困った顔が見たいのだ。

 

 そして、耳元に口を寄せる。

 

「あの娘が誰か気になる?」

 

「き、気になってなんか!」

 

「ほんとに?」

 

 あぁ、意地が悪いな。

 

その癖、君が行動を起こすまでなんて待ってられる程、気長じゃないんだ。

 

「あの娘はね?」

 

「……うん」

 

 彼女の頭が僕の右肩にもたれかかる。

 

ようやく観念したもよう。

 

それで、いい。

 

暴れたって離すもんか。

 

首筋に触れる髪がくすぐったい。

 

「君の知ってる人の妹さんだって言ったらどうする?」

 

「…………はぁ!?」

 

「更に、友達の彼女だって言ったら?」

 

「~~~~~っ!!」

 

 言葉を失った佐伯に後ろ髪を掴まれる。

 

流石に痛い。

 

「……ごめん、ごめん。痛いってば」

 

「……市田なんてハゲてしまえ」

 

「……ふうん?」

 

「……ウソです。ごめん」

 

 口角を少し上げて彼女を見れば、視線を外された。

 

勝てる見込みがなかったらしい。

 

「……で、誰の妹?」

 

「……解らないの?君に会ったことあるって言ってたけど」

 

「え~? 誰か妹とかいた人いたっけ?」

 

「目元とか似てると思うんだけどなぁ」

 

「ん~?」

 

 本当に覚えてないのか?

 

まぁ、僕らが中学生の時に雪野ちゃんは小学生だったろうから無理もないか。

 

「朝倉君の妹さんだよ」

 

「え!? 純也の妹!?」

 

 朝倉君を『純也』と呼び捨てなのが少々引っ掛かる。

 

「でも、あれ? 純也の妹って看護大に行ったんじゃなかったっけ?」

 

「それは双子のお姉さんの方の月野さん。この間僕といたのが妹の雪野ちゃん。僕らの後輩なんだってさ」

 

 簡単に説明してやる。

 

どうやら二人とも看護大に進んだものだと思っていたらしい。

 

「うん。まずそこまでは理解した」

 

「うん」

 

「なんで『ちゃん』付け?」

 

「なんでって言われても……。なんとなく?」

 

 やましいことは何もないのに、その恨めしげな上目遣いで見上げられると、どうも落ち着かない。

 

「『なんとなく』でちゃん付け?」

 

「……っ、君だって朝倉君の事は呼び捨てじゃないか! 僕の事なんて名前で呼んだことすらないだろ?」

 

 思わず、吐き出してしまう。

 

 ――言うつもりはなかった。

 

ずっと長い間、友人関係だったから、今更簡単には呼び方を変えられなかった。

 

友人以上恋人未満の関係になっても。

 

彼女が一度でも苗字ではなく名前で呼んでくれたなら、僕もそれに答えようと思っていた。

 

でも、彼女は頑なに僕を苗字で呼んだ。

 

そして、今。

 

「……(あゆみ)って呼んでいいの?」

 

「~~~~~~っ!」

 

 やばい。

 

不意打ち。

 

目の前が霞む。

 

すぐ目の前には、彼女─佐伯奈津─がいるのに。

 

彼女の顔が歪んで見えた。

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