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*67 諦めの悪さ

「大体はこれでOK。印つけたとこだけ気になるから確認しておいて」

 

 保田先生がプリントアウトした論文を手渡してくれる。

 

2、3日前にメールで送ったものだ。

 

今朝、保田先生から電話で『今すぐ来い』と言われて現在に至る。

 

「最近、研究室に来てないんだって?」

 

「えぇ、まぁ……」

 

 私が煎れたコーヒーでしばしの雑談。

 

そこを突かれると正直痛いんだけど。

 

「ま、いいんじゃない? おかげで卒論早く上がりそうだし」

 

 ……そこか。

 

こういう人なのだ、保田先生は。

 

学生のプライバシーには立ち入らないが、必要だと判断される時にはさっくりと踏み込む。

 

「今はみんな忙しくてゼミどころではないし。仕事さえ早く上げてくれたらこっちは文句ないわ」

 

 無言の空間が心許なくて、ぐるりと保田先生の部屋を見回す。

 

本棚にきっちりと納められたファイルや専門書。

 

大きな観葉植物のない代わりに窓辺に置かれたサボテンの鉢植え。

 

女性らしいものは何ひとつ見当たらない。

 

まるで誰も入院していない病室のような空間。

 

物が雑然と置かれて、部屋を訪れた学生が時々気を使って片付けている蓮見先生の部屋とは大違いだった。

 

「何? なんか変な物でもあった?」

 

「いえ。何もないなぁって」

 

「蓮見先生と比べて?」

 

「あ、いや」

 

 保田先生の銀縁の眼鏡の奥の瞳が緩む。

 

「私はここに住むつもりはないからね」

 

 ……確かに蓮見先生の部屋は、ここに居住出来るのではないかと思うくらいに物が置かれている。

 

ポットやコーヒーメーカーは勿論、ホットプレートや毛布なんかもあるはずだ。

 

「ほとんど、学生が持ち込んだものだけどね」

 

「へぇ」

 

 まぁ、大方そうだろうとは思っていた。

 

「私、元々蓮見先生の教え子だから」

 

「え?」

 

 私が研究室に入った頃には既に、保田先生はこの研究室の助手をしていた。

 

だから、蓮見先生の教え子だったという保田先生の学生時代が想像出来ない。

 

「まぁ、皆知らないだろうけど。博士課程は他の大学に行ったし、そこで助手になったから」

 

「どうして研究職に就いたのか、聞いてもいいですか?」

 

 建築学科はともかく、工学部としては女性の研究職はまだまだ珍しい。

 

どうして彼女はこの道を選んだのかが気になった。

 

「え? 何? 将来に悩んでるとかそういうの?」

 

「いや、そうではないんですけど……。興味というか……」

 

「……う~ん」

 

 頬杖をつき、考え始める保田先生。

 

聞いては良くなかったのか。

 

「佐伯が期待してるような理由ではないかもしれないよ?」

 

「え」

 

「まず、ひとつ。これが、かなり不純な動機。好きな人がこちら側にいた」

 

 言いながら一本指を立てる。

 

本人は至って真面目な顔をしていた。

 

「そして、二つ目。気が付いたらこの道しかなかった。……これくらいか」

 

「ええっ」

 

 手厳しいと言われる保田先生からの発言は、かなりイメージの掛け離れたものだった。

 

思わず聞き返してしまう。

 

「そんなに驚く? 好きでやってたけど、気が付いたらこっちにしか道はなかったんだよ」

 

 聞き返された保田先生はかなり不服そうだった。

 

それはまぁ、そうだろう。

 

「佐伯も多分、こっちに来るよ。樋田くんもね。市田くんは……わからないなぁ」

 

 それはどういう意味だろう?

 

樋田さんはわからなくもない。

 

でもむらっ気のあるあたしより、市田の方が研究職には向いていると思う。

 

「どうして市田はわからないんです?」

 

「樋田はあれで案外諦め悪いから。市田は3人の中では一番諦めいいもの」

 

「……それって」

 

「要するに、佐伯は諦めが悪いってこと」

 

 ……喜んでいいのか、何なのか。

 

「あら、これでも褒めてるんだけど? 研究職としては諦めが悪い方がね?」

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