*66 探す
……佐伯が学校にこない。
いや、一応来ていて指導教官のもとには通っているらしい。
単位は足りているようだ。
「佐伯君? 昨日来てたよ。羊羹持ってきたからお茶煎れてあげたけど。あぁ、糸屋君も来て相伴してたなぁ」
蓮見先生(僕の指導教官)はそう事もなげに言う。
研究室にも一応顔を出しているらしい。
彼女の顔を見ていないのは僕一人。
つまり、明らかに僕だけが避けられてるということ。
「何? 佐伯君と喧嘩でもしたの?」
「……あ~~。まぁ、そんなところで」
事情なんて知る訳もない蓮見先生はあっさりと言い放つ。
それだけにその一言が突き刺さる。
「やっぱり? ま、早く仲直りしなさい。あ~、でも卒論は早く出して欲しいかな」
女生徒に人気だという柔らかい笑みを浮かべて。
だが指導教官らしく、2週間後に迫った卒業論文の締め切りをちらつかせた。
……仲直りする暇もないじゃないか。
そう言いたいのを飲み込む。
教官が言うのも事実だからだ。
蓮見研での卒業論文の締め切りまであと2週間程度。
資料やデータも揃っていて、書くテーマも決まっていて、草案はOKを貰ったというのに、論文は進まない。
書かなきゃいけないのに一行も進まない。
手に付かないのだ。
これじゃマズイとはわかってるんだけど。
現実は考えて立ち止まることさえ許してくれないらしい。
研究室では卒業論文の僕らの他に、修士論文・博士論文の締め切りも迫っていて、それぞれの学生が奔走している。
樋田さんもその一人だった。
「い~ち~だ~」
「……なんですか、樋田さん」
今日何度目かの樋田さんの情けない声に、僕の声まで低くなる。(元々高い方ではないけれど)
『院生室は息が詰まる!』と叫んで研究室に入って来た彼は、僕の隣のブースに陣取った。
そして、事あるごとにちょっかいを出して来る。
正直、うざい。
「書くの手伝って(はぁと)」
「やですよ。僕だって自分のがありますから」
そもそも、樋田さんのが締め切りは後でしょうが。
そう声を大にして言いたい。
「市田、仕事早いんだからちょっとくらいいーじゃん」
「僕のが終わらないと無理です」
……もう何度目の攻防だろう。
彼にとってはストレス解消なのかもしれないが、僕にとってはそれがストレス発生源だ。
(いっそ、僕が院生室に篭りたい)
「……そういや、佐伯は?」
そのくせ、痛いとこをつく。
っていうか、樋田さんまで避けられてる訳?
多分、僕は関係ないだろうけど。
「お前が卒論ならあいつもそうだろ? 佐伯はどうした?」
薄々何かを感じてはいるらしい。
それまでの緊張感なさ気な態度を一変し、真っ直ぐに僕を見ていた。
「……知りません」
ため息まじりに答える。
僕だって知りたいくらいだ。
「蓮見先生や保田先生の所には行ってるみたいですけど、こっちには顔出しませんから」
でも、糸屋や森田さんとは会ってるみたいだとは、可哀相で言えない。
「……お前、何か言ったの?」
「……なんでそう思うんですか」
いや、言ったけどさ。
なんでそんな時ばかり鋭いのさ。
「お前、機嫌悪いから。自分で、原因は俺ですって言ってるようなもんじゃん?」
そんなに解りやすいか。
あんまり言われたことはないんだけど。
むしろ、怒ってないのに『怒ってる?』と聞かれる方が多い。
「んで、佐伯に何て言ったの? 言ってみ?」
そう言った彼の口元が楽しそうににんまりと歪んだ。
「友達の妹に茶ー奢ってる最中に佐伯が来て、『彼女?』って言われて腹が立ったから『君には関係ない』と言い放った、と」
「……そう言われると、なんか身も蓋も無い……」
樋田さんが大袈裟にため息をついた。
「そら怒るわ」
彼女が僕の発言に対して怒っているのは分かってる。
それが彼女に言うべきではない一言であることも。
彼女がカフェテラスを去ったあの一瞬からずっと後悔していた。
『関係ない』なんて言っちゃいけなかった。
「バカだなぁ、お前。ま、わかんなくもねぇけど」
返す言葉もない。
「ま、謝るしかねぇな。このままでいいっていうんなら別だけど」
「……それはそうなんですが」
それ以前に彼女が捕まらない。
謝りたくても捕まらないんじゃそれすら敵わない。
「携帯は?」
「……出てもらえません」
「佐伯の家、知ってるんだよな? 直接行けば?」
「突然行ったらマズイかなと……」
せめて連絡が取れてからと考えていた。
「いますぐ行ってこい?」
「いや、論文が……」
「んなもん、お前がその気になったら1日で書けるだろーが。いいから、いますぐ行け?」
そう言い放った樋田さんは、不思議なことに笑顔だった。
……が、額に青筋があったのは気のせいじゃないだろう。




