*62 大量のサンドイッチ
──彼女は泣いているのだろうか。
肩が震えていた。
財布からお札を数枚取り出し、藤原君の目に入るであろう場所に置いて席を立つ。
ここにいても邪魔になるだけだろう。
僕が掛けられる言葉もない。
「……い」
僕が立ったことに気付いた藤原君が、顔をあげて引き留めようとするのを手で制す。
それから口許で指を立ててる。
──後は頼んだ。
僕の意図はちゃんと彼に伝わったらしく、首を縦に数度振った。
そして空いている方の手を挙げる。
──悪い。
僕は一度頷き、コートとバッグを掴んで店の外に出た。
ドアに取り付けてあるベルが軽やかな音を立てた。
「僕らが中学の頃からかぁ」
それなら彼女はきっと小学生の頃に藤原君にであったのだろう。
かれこれ10年程の付き合い。
それが恋愛に発展していてもおかしくはない。
それは藤原君にとっても同じこと。
親友の妹だっていうのもあるけれど、藤原君に思う所がなければあんな風に接しない。
触れるなんてそうでもなきゃ彼はしないだろう。
「本人らは力一杯否定するだろうけど」
あの二人は時間の問題だろう。
……ちょっと時間はかかるかもしれないが。
庇護対象から恋愛対象へと変わるのは、藤原君の踏ん切りが付かないと。
白い息が空に舞う。
足早に自宅を目指す。
藤原君の店に行った日から2、3日後のこと。
普段通り、研究室でパソコンに向かっていた。
「おい、市田。客、来てるぞ?」
樋田さんが研究室のドアを開けるなり、そう言った。
その片手には紙パックのバナナ・オレ。
「なんかしばらく待ってたみてぇ。女の子だったぜ?」
彼が言った『女の子』の一言に研究室がざわつく。
……ここはまだ何人か女性がいるとは言え、女性が少ないと名高い工学部なのだ。
「……誰だろ?」
その時の僕は、来客に心当たりがなかった。
親しくしている女性なんて、同学年か同じ研究室の人間くらいしかいなかったから。
全く身に覚えがなかったのだ。
「とか言って、彼女じゃねぇの?」
「いや、彼女は佐伯だろ?」
「んじゃ、浮気相手?」
「市田も涼しい顔してやるな~」
「……いや、彼女もなんもいませんから」
他の学生達が、面白がって好きなことを言う。
人の気も知らないで。
横目で涼しい視線を送っておく。
……今、ここに佐伯がいないのは幸いかもしれない。
「あ、市田先輩」
研究室の外に出た途端、ごく最近聞いた覚えのある声で名前を呼ばれた。
「あぁ、雪野さんかぁ……え?」
そこには先日藤原君の店であった朝倉君の妹の雪野さんと、その友達と思われる2人の女の子の姿があった。
「あの、突然来て迷惑でした?」
「いや、そんなことはないよ。二人は友達?」
「はい。同じ学部の」
「そっか。初めまして、市田です」
雪野さんから少し離れて立つ二人に挨拶をする。
「今日はどうかした?」
「彰吾兄が市田さんにって。このあいだ、迷惑掛けたからって」
大きな紙袋を渡される。
こころなしか、ほんのり暖かい。
開けてみると中には大量のサンドイッチが詰められていた。
軽く5、6人前。
あまりの多さに思わず吹いてしまう。
「藤原君、やりすぎ……」
「それは多くない?って言ったんですけど……」
雪野さんがバツが悪そうに言った。
全く、彼らしい。
そういえば、彼は冗談を冗談とは思わない人だったっけな。
「後で、研究室の皆で頂くよ。藤原君にお礼を言っておいて?」
「はい、言っときます。市田先輩が吹いてたって」
雪野さんが小さくガッツポーズをする。
「そこは言わなくても……。それより、この後は授業は?」
「? ないですよ? ねぇ?」
雪野さんの友達の二人も首をブンブンと縦に振る。
「それじゃ、カフェテラスでも行こうか? お茶くらいなら奢るよ」
「いいの?」
「勿論。お財布取ってくるからちょっと待ってて?」
一度、研究室に戻った。




