*57 お茶と魚
佐伯の様子がおかしい。
帰省の後から少しはおかしかったけど、最近はもっとおかしい。
以前は必要以上に意識して二人になるのを避けていたみたいだけど、最近は何か隠し事をしているような落ち着かない様子だ。
また何か悩み事を抱え込んでいるんだろう。
僕もそうだけど、彼女も意外と内に篭りやすいタイプだと言える。
悩み事もストレスも吐き出せずに腹の中に貯めてしまうのだ。
本人を問い詰めて聞き出しても良いが、それは逆効果になるだろう。
本人が話せるようになるまで放っておいた方が良い。
そう決め付けてあえて聞き出さなかった事が面倒な?ことになるだなんて、その時の僕は考えもしなかった。
講義が終わると昼になっていた。
本当はもう少し早く終わる予定だったが、教授の熱弁が本来の時間を15分もオーバーしたのだ。
幸い、午前の最後の講義だったので学生に影響はあまりない。
(昼食が早く食べられないという迷惑は被ったが)
教室棟を出て生協のある棟へ向かう。
空が厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうな天気だ。
早く買い物を済ませて研究棟へと渡りたい。
昼時間のピークを越えたためか、幾分人の少なくなった生協で昼食と注文してあった本を購入する。
外へ出ると雨は降り出していた。
当然、傘など持っている訳もない。
「走るか」
買ったばかりの紙袋に包まれた本をトートバッグに仕舞い、雨の中に飛び出す。
研究棟までは走って3分というところ。
自分が濡れてしまうのはこの際諦めた。
雨が降り出した途端、構内は人の姿がまばらになる。
きっと皆、屋根のある場所に避難したのだろう。
研究棟の玄関に飛び込み、持っていたハンドタオルで顔と髪をざっと拭く。
思ったよりも濡れてしまった。
ジャケットがなければ下のTシャツはぐっしょりと濡れてしまっていただろう。
卒業生一同寄贈と書かれた鏡で髪を整えて、研究室へ向かう。
「……だから、……だって……」
研究室のドアを開ける前から声が漏れ聞こえている、
また、樋田さんだろうか。
「~~だからあんこはやっぱりこしあんだろう!」
「い~や、つぶあんだね。つぶあんに濃いめのお茶と相場は決まってる!」
「……俺はクリームがいーなぁ」
……やっぱり、というかまたか、というか。
M2の樋田さんとM1の森田さんでした。
ぼそっと呟いたのはたまたま居合わせたらしいD3の橘さん。
「こしあんに決まってんじゃん。な? 市田?」
「知りませんよ、そんなの。いきなり僕に振らないで下さい。あんこ、出てますよ」
理解者が来たとばかりに満面の笑みで僕に振り返った樋田さん。
右手に握り締めた鯛焼きからあんこがはみ出ている。
「うわっ。俺のあんこが~~っ!!」
ぼたぼたとこぼれ落ちるあんこに悲鳴をあげる。
……そんなにあんこが大事か。
今度からあの人のことは『あんこ大使』と呼ぶことにしよう。
うん。
「ところで、この鯛焼きは誰が?」
テーブルの上に山盛りの鯛焼き。
昔ながらの屋号の入った包み紙の上に詰まれている。
「私。市田も相伴に預かるがいい」
樋田さんとあんこ議論を交わしていた森田さんが、時代劇のような台詞で威張る。
「……それじゃ、いただきます」
適当に積まれている鯛焼きの中からひとつを手に取る。
さぁ食べようかと口に運ぼうとした時、
「……ん!」
と、お茶が目の前に突き出された。
正しくはお茶を持った手と言うべきか。
お茶を差し出したのは佐伯だった。
なんとも言えない表情で。
「……ありがとう」
マグカップを受け取りながら、なんとなく口元を緩める。
「~~~~~っ」
佐伯が声にならない声を上げて、顔を背ける。
……あれ、耳が赤い。
それから一時間ほどの内に、研究室の面々が集まり鯛焼きは綺麗に消えた。
最後の一匹が糸屋から佐伯の手に渡されたのは見ていた。
夕方6時を過ぎた頃だろうか?
研究室のドアがノックされた。
「どうぞー」
ノックに気付いた樋田さんが声を掛ける。
研究室のメンバーはノックをするとほぼ同時に入ってくる。
外部の人間だと返事をするまで入ってこない。
ちなみに教官はノックなんてしない。
返事をしてもノックをしたはずの人間が顔を出さないことに、顔を見合わせる。
……なんだろう?
そしてまたノックがされた。
「僕が開けますよ」
一番ドアが近いブースにいた僕が、ドアを開ける。
「はいはい、どちら様……」
「佐伯奈津さんはいますか?」
ドアの前には端正な顔のスーツ姿の男性が立っていた。




