*51 逢瀬
裸足のまま庭へ飛び降りて、彼女の元へと走る。
たいした広さもないはずなのに、僅かな距離がもどかしい。
「なんでここに……」
私有地と公道を隔てるフェンス越しに会話をする。
彼女はへらぁっと困ったように笑って首を傾げた。
「……なんとなく? 2、3時間迷ったけど」
「2、3時間って……。電話したらよかったのに」
自分でも解るほど取り乱している。
彼女がここに来るなんて考えもしなかった。
しかも2、3時間も迷ったって。
一度、縁側に戻ってサンダルを履き、彼女を迎え入れに行く。
あぁ、もどかしい。
大人しく門の側で待っていた佐伯の手を取り、内側へと招き入れる。
「連絡くれたら迎えに行くのに……」
「この近くまで来て思いたったからさ? 着くまでちょっとかかっちゃったけどさ」
なんでもないことのような顔をして笑う彼女を見て、僕は思う。
嘘だ。
だったらわざわざ2、3時間も迷わない。
会いに来た、なんて言えない?
会いたかった、なんて言わない?
「今日はメガネなんだね?」
「あぁ。さっきシャワー浴びたから」
こんな会話しか出来ないなんて。
とりあえず縁側に案内する。
佐伯のために井草で編まれた座布団を出してやる。
「ビールでいい? お腹空いてるなら用意出来るけど」
「ううん。お腹、あんまり空いていないから。ビールだけ貰うよ」
冷蔵庫から缶ビールを出して、ビアグラスと共に出してやる。
自分は直接飲んでいたが、女の子にそうさせる訳にはいかないだろう。
グラスにビールを注ぎ、渡してやる。
「はい」
「ん、ありがと」
しばし、沈黙が続く。
なんとも気まずい。
普段は感じない気まずさだ。
互いに言いたい事があるのに遠慮して言い出せない、そんな気まずさ。
いつもならこんな沈黙を気まずく感じたりはしていないのに。
「……煙草、吸ってた?」
先に口を開いたのは佐伯だった。
「……ああ、うん」
自分の側に置いていた灰皿と煙草を見られたらしい。
そういえば、佐伯の前で煙草を吸ったことはいまだに一度もない。
「……吸う?」
「……いいよ。今は」
目の前に佐伯が居る。
「……それより、ほんとに何かあった? 僕の家を探してまで来るなんて」
何も知らないように振る舞う。
どこか僕にとって都合の良い答えをくれるのを期待しながら。
「何かって程何かはないんだけど……」
……それは会いたかったってこと?
そう言いたいのを喉元で堪える。
「言ってなかったけど、今日お見合いした。ほんとは前から決まってたんだ」
「……ふぅん」
先に柴崎くんから聞いていたから驚かない。
「相手は庸さんだった。ルミちゃんのお兄さんの」
「ふぅん。で、どうするの? 返事は」
関心がないことを装う。
そこが一番気になるところだった。
「勿論、お断りするよ。まだ結婚するつもりないし。ただ……、どう断ったらいいのかわからない」
「……そっか」
断りづらい、というのが本音だろう。
何しろ、仲の良い友達の兄なのだから。
ルミさん自体は気にしないだろう。
とはいえ、まるっきり関係なくもない。
「それで僕のとこへ?」
「そうじゃない……けど。気が付いたらこっちに足が向いてた」
「明日の晩にはお邪魔するつもりだったよ?」
「それは知ってる……けど」
……あぁ、意地が悪いなあ。
どうにかして彼女から言わせようとしている。
僕に『会いたかった』って。
佐伯の腕を取り、引き寄せる。
軽い躯はあっさりと腕の中に収まった。
「い、市田?」
「……あのさ」
彼女の耳元に口を寄せて囁くように言う。
「……僕に会いたかった?」
待った所で彼女は口にはしない。
僕の方が痺れを切らしたらしい。
言わないなら言わせるまでだ。
「……うん。会いたかった」
俯いたままの彼女が小さな声で言う。
ちゃんとそれは耳に届いた。
彼女の小さな頤を掴まえて口付ける。
微かにアルコールの匂いがする。
「僕も会いたかった」
今度は佐伯からのキス。
夢中で唇を啄む。
「……今日、泊まってもいい?」
「勿論」
見合いのあった日に、他の男の家に泊まるのはどうなんだろうとか、一瞬頭の中を横切ったが、そんな考えは捨て去った。
僕の腕の中に佐伯がいる。
なんかもう、それだけでいいじゃないか。




