*44 見合い
「お見合いが今日だなんて聞いてなかった!」
朝早くから母に叩き起こされ、美容師に帯を締め上げられながら文句を言う。
市田が自宅に戻った次の日の話だ。
「だって先方にも都合があって急に決まったんだもの」
対する母は優雅にソファに座り、出されたお茶を啜っている。
「あたしにだって心の準備ってものが……」
「じゃあ、いつならいいの? それともやっぱり、あの市田君とはそういう仲なの?」
「え……、いや、そうではないけど」
そもそも市田がどう考えているのかさえ、わからない。
あたしにしたってそうなのだ。
将来のことなんてまだわからない。
「それなら、こんなお見合いなんて予行練習の一つなんだと割り切りなさい。知らない相手ではないんだから」
「相手が誰かまだ知らないんだけど?」
「会えば解るわよ」
母が含み笑いをするのを視界の端に見た。
生憎今は振り返って睨む事が出来ない。
美容師が仕上がりをチェックしているのだ。
「お支度はこれでよろしいでしょうか」
「馬子にも衣裳とはよく言ったものね」
「……それ成人式の時にも言われた」
成人式以来の振袖に、それに合うようにヘアメイク・化粧を施された。
全身が写る鏡に写して見て、悪くないなと思う。
今の格好を彼に見せたらどんな反応を示すのだろう?
そんなことを考えているとつい頬が緩む。
「……そろそろ時間ね。ロビーに降りましょう」
時計で時間を確認した母が立ち上がる。
それにならってあたしもその後を追う。
ホテルの美容室を出て1階へ降りた。
ここのロビーで待ち合わせ、レストランで食事を兼ねたお見合いをすることになっている。
ため息をひとつつく。
着物が苦しい。
ひっつめられた髪が痛い。
何もこんな畏まらなくてもいいじゃないか。
全てのお見合いに振袖を着なくちゃいけない訳ではないだろうに。
そんなに相手は格式高い家の人なのだろうか。
そして何より、気が重い。
「あら、もういらっしゃってるじゃないの」
母が見ている方へ目を向ける。
ロビーのソファに座ったスーツ姿の男の人がいる。
こちらに背を向けているので顔は見えない。
「お待たせしました。佐伯でございます」
母がよそ行き用の声で声を掛ける。
あたしもそれにならって表情を作る。
悪い印象は与えない方が良いと判断した。
そして彼が振り返る。
「対して待ってはいません」
「庸さん!?」
振り向いたその顔に思わず声をあげてしまう。
母も人前だからか咎めない。
「……久しぶりです、奈津さん」
彼が少しだけ表情を崩した。
彼は『深沢庸』さん。
春に柴崎君と結婚したルミちゃんのお兄さんだ。
なるほど両親が断れなかった筈だ。
彼は『深沢建設』の御曹司なのだから。
「庸さんだったんですか。お見合いの相手って」
「私が黙っていて貰ったんです。断られてはかないませんから」
彼とは今までに何度か合ったことがある。
かなりのシスコンらしい彼は、学校行事のほとんどに顔を出して妹に近付く輩を排除していた。
妹の送迎も身が空くときは必ず自身がしていた。
それはもう、凄いシスコン振りで。
「付き添いの方は?」
「断りました。知らぬ仲でもないので」
「お母さんも帰ったら? 庸さんならきっちり帰りも送ってくれるでしょう?」
「あぁ。大丈夫」
庸さんなら大丈夫、という安心感があった。
地はシスコンでも誠実な人なのは知っている。
でなければ今の深沢建設はないだろう。
「……ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だって。あのルミちゃんのお兄さんだよ?」
「そう? なら……」
母は何か言いたそうにしていたが、結局退散した。
はっきり言って邪魔だった。
「……久しぶり。ルミの結婚式以来だったか」
「お久しぶりです、庸さん。そうですね、結婚式以来です」
邪魔者がいなくなったところで改めて挨拶を交わす。
庸さんは相変わらず表情が乏しい。
ほとんど無表情だが、決して冷酷な訳ではないのだ。
感情をあまりださないだけで。
そして実は結構天然。
「上に行こうか。予約してある」
「えぇ」
連れ立ってエレベーターへ向かう。
さりげなく取られた手が彼がエスコート慣れしていることを伺わせる。
「足元に気をつけて」
予約してあったレストランは凄く雰囲気が良い所だった。
ケーキバイキングのレストランとは訳が違う。
ネクタイを締めた店員に案内され見晴らしの良いテーブルにつく。
「庸さん、お仕事大丈夫ですか?」
「今日は開けさせた。見合いだからと言って」
庸さんは32歳だったか。
この歳で事実上会社を切り盛りしている。
会社は決して小さな会社ではない。
数百人の社員を抱える人なのだ。
テーブルに食前酒が運ばれる。
グラスに口をつける。
「私、ほんとに今日の相手が庸さんだと気付きませんでした」
「実を言うと」
少々バツの悪そうな顔をしながら庸さんが口を開く。
「私からお願いしたんだ」
「え?」
自分から見合いを申し込まなくても、庸さんくらいの人ならば女性の方が放ってはおかないだろう。
深沢建設の時期社長のうえに、かなりの美青年なのだから。
「これを機に正式にお付き合いを申し込みたい」
「私に?」
「ルミから奈津さんのことを聞くと自然と気になって。奈津さんと友人の一人の仲があやしい、と」
「……」
「それで焦った。人に取られてしまうと」
庸さんはとつとつと自分の思いを語ってくれる。
要約すると『気が付くと好きになっていた。付き合ってくれ』と言った所か。
「嫌でなければ、私と付き合ってはくれないか。返事はいますぐでなくてもいい」
……嫌ではない。
結局、断ることは出来なかった。




