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*39 弱さと脆さ

 目の前には教官が数人。


指導教官である蓮見先生の姿もあれば、蓮見先生の部屋の常連でもある伊勢准教授の姿もある。


反対に講堂くらいでしか会ったことのない教授もいる。


 大学院工学部建築専攻科修士課程の入試試験三日目、口頭諮問の真っ最中である。


「市田君、だったね? 君は何故大学院に進むことを志望したの?」


 伊勢准教授が質問をした。


いつもの流行りのちょいワルオヤジといった風体も今日は影を潜めている。


「勉強がしたいのです。大学に入って多くのものを学んで、更に多くのものを知りたいと思いました。そのために勉強をする場所を得たい」


「それは大学院で学んで答えは得られるのかい?」


「……わかりません。得られるのかもしれないし、疑問がもっと増えるかもしれない。ですが、そのためには努力をします」


「……成る程。結構だよ」


 僕の答えは及第点に足りるだろうか?

 

「他に何かありますか? 先生方」


 伊勢准教授がそう言って、先生方をぐるっと見回す。


これ以上の質問はないようだ。


「じゃぁ、市田君はここまで。次の佐伯君を呼んできてもらえるかい?」


 それに僕は頷いた。


 型通りの挨拶をして会場を出る。


会場の外には佐伯の他数名の学生が自分の番を待っていた。


「佐伯」


 廊下にしゃがみ込んでいた佐伯に声を掛ける。


緊張しているのかいくらか顔が青ざめている。


普段は着ないスーツのせいなのかもしれないが。


 手を貸して彼女を立たせる。


「君の番だよ」


「……うん」


 言葉少なに、ハイタッチを交わして送り出す。


 彼女の後ろ姿がやけに頼りなく見えた。


廊下の角に姿が消え、ドアの閉まる音を境に、足音も途絶えた。

 

 先程まで佐伯がそうしていたように廊下の隅にしゃがみ込む。


視界に映る天井が少し高くなり、廊下の静けさを強く感じられるようになる。


先程までの佐伯の緊張感が手に取るように感じられた。


 彼女があんな風になるのは珍しい。


実際はともかく、表面的にはそういったキャラではないのだ。


僕はどちらかというと人に弱みを見せたくなくて表面上は何もない風に装うが、彼女は人に心配を掛けたくなくて装う。


内面は凄く脆い。


 どれくらいしゃがみ込んでいただろうか。


不意に首元にしっかりと締めたままのネクタイが気になり、緩める。


ワイシャツのボタンも2つ程外す。


不思議な程に廊下の静けさと同化してしまっていた自分に気付く。


時折聞こえる誰かの咳ばらい、微かなきぬ擦れの音、遠くから聞こえる喧騒。


その全てが遥か遠くの、ガラス越しの出来事のように感じられた。

 

 少し遠くでドアが開いた音がした。


途端、廊下の緊張感が息を吐くように解けるような気がした。


 カツカツとヒールの足音が近づいて来る。


僕はその足音を俯いて聞いた。


 足音が目の前で止まる。


「……市田」


 顔を上げる。


満面の笑みとは言えないような笑みを浮かべて彼女はそこにいた。


少し困ったような笑みで。


その時の僕の顔はどんな表情だったのだろう。


……きっと情けない顔で彼女を見上げていた。


「……終わったよ。蓮見先生が笑顔だったから、きっと大丈夫だったと思う」


「……そっか」


 いつまでも立ち上がらない僕に、彼女はしゃがみ込む。


「……ね、帰ろ?」


 彼女の細い指に腕を捕まれて立ち上がらせられる。


彼女の手にいつもはある鮮やかなマニキュアがないことに気付いた。


 彼女の手に引かれるままに大学を出た。

 

 大学を出た僕らはコンビニでワインとチーズやケーキなんかを買い込んで、彼女のアパートに戻った。


「……これは、一体」


「前祝い! どうせ二人とも受かってるでしょ?」


「あ……ぁ、多分」


 ……今更、自信がない、なんて言えない。


「だからさ、今日は飲も?」


 腕を引かれ、慌てて靴を脱ぐ。


 相変わらずの佐伯の部屋。


特に女の子らしい部屋ではないのに女の子らしい部屋。


香水のような甘い香りのせいなのか。


「ほらほら、上着脱いで。ネクタイも」


 白いノートPCが置かれたテーブルの側に座らされ、スーツのジャケットやネクタイを剥ぎ取られる。


見れば、彼女もジャケットを脱ぎ、シャツとスカートになっていた。


「ピザとろう、ピザ」


 二人でピザ屋のチラシを見て、選ぶ。


ほとんど彼女の言う通りに決めて注文する。

 

 それからワインを開けて、グラスに注いで飲んで、しばらくしたらピザが来て。


「ピザってさ~、一人だと注文する気にならないじゃん?」


「ま、ふつーはしないな」


 そんな他愛もない話をして、気付いたらボトル1本空けていた。


2本目はスパークリングワインを開ける。


「そういえばさー」


「うん?」


 2本目が半分程になったとき、佐伯が話を切り出した。


目元が大分トロンとしている。


相変わらずアルコールが回るのが早いようだ。


そう言う僕も人のことは言えない。


「秋休み、ヒマ?」


「まあ」


 9月の連休に特に予定はないはずだ。


頭の中でスケジュールを思い出そうとしたが、酔った頭ではそれは難しかった。


「あたし、実家に帰ろうかと思うんだけど一緒に行かない?」


 実家か……。


大学に入って以来、帰った覚えがない。


待つ人もいないからだ。


自宅はそのままにあるが、両親が大学入学前に死んでしまっているから帰る必要もなかった。

 

 たまに彼女に付き合うのも悪くはないかもしれない。


「何で行くの?」


「JRで」


「……いいよ。僕も行く」


「っ……いいの!?」


「いいよ?」


 彼女的には僕がすぐ返事をしたことに驚いたらしい。


そんなに驚かなくたっていいじゃないか。


「本当に?」


「うん」


 ここまで来るとちょっと疑ってしまいそうだ。


何かウラがあるんじゃないかって。


「ところで、何で今頃?」


 こんな短い休みじゃなくたっていいだろう?


「あ~…、親がうるさくってさぁ。夏休みは試験があるって言ったら、9月の連休に帰っておいでって」


「それで、僕を誘った、と」


 彼女の言い方に他にまだ何かあるような気がしたが、あえて突っ込まないでおく。


「うん。市田には悪いけど」


「気にしてないから。僕もずっと帰ってないから」


 待つ人がいない場所に帰ってどうなるというのか?


それは口には出せなかった。

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