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*38 天才と努力

 ゼミ旅行が終わった。


夏休みも後半に入り、僕ら4年は大学院入試が控えている。


あと2週間程で入試だ。


 自分の部屋で篭って勉強していると、どうも煮詰まってしまう。


大学で勉強しようと部屋を出た。


 ……暑い。


国内でも夏は涼しいと知られているこの地方だが、生まれてこの方旅行以外でこの地方から出たことのない人間にはこの程度でもかなり堪える。


肩に掛けたトートバッグがずっしりと食い込む。


この暑さも今月末までの辛抱だ。


じきに秋になる。


 研究室のある棟の重いガラスのドアを押し開けた。

 

「あれ、市田じゃん。どした? 勉強は?」


 蓮見研のドアをくぐると樋田さんが気付き手を挙げた。


樋田さんはいつここに来ても何故かいる。


家に帰っていることはあるのだろうか。


今日は自分のブースで何か作業していたようだ。


「家にいてもはかどらないからこっちでやろうと思って。樋田さんこそ、何をやってるんです?」


 樋田さんの隣のブース(森田さんの場所)に荷物を置かせて貰う。


森田さんは来ていないらしい。


「俺も勉強しようと思って来たんだけど。博士課程受けるからさ。そしたら保田先生につかまってさ」

 

 データ処理を頼まれたらしい。


 保田先生とは蓮見講座の助手で、樋田さんの指導教官だ。


何事にも甘い蓮見先生とは反対に結構厳しいらしい。


僕の教官は蓮見先生だからあまり話をしたことはないけど。

 

「森田さんは?」


「あ~、あいつはね。今、東京にいるはずだ」


 東京?


首を傾げた僕を見て、樋田さんが捕捉をしてくれた。


「お盆に東京でコミックマーケットっていうイベントがあるんだってよ。毎年なんかすげぇ人出でニュースにもなるやつ。同人誌即売会のでかいやつだな。今頃、紙袋いっぱいに買物してんじゃねぇの?」


 森田さんはそっちの人だったのか。


今思うとそんな気もしなくもないけど。

 

 自分の目の前にある森田さんのPCを見遣る。


よく見ると今さらながらにマウスパッドがロボットアニメのキャラクター、メモ帳も何かのアニメキャラクターの柄だと気付いた。


PCは電源が入っていないのでわからないが、見ない方がいいような気がした。


「そういえば、佐伯は? まさか、森田と一緒とか言わないよな?」


「それはないと思いますけど……」


 多分、それはない。


以前、彼女の部屋に行った時、それらしき痕跡はなかったように思う。

 

「そっか。佐伯は勉強してんのかなぁ。あいつは大丈夫なのか?」


「さぁ……。佐伯も切羽詰まらないと中々しませんからね。でも、彼女は天才型ですからね」

 

「天才型って……。お前もそうじゃねぇの?」


 僕の発言に驚いたらしい。

 

「……僕は違いますよ。やらないとダメなんです。言わば努力型、ですかね。直感的に理解していく彼女とは違いますよ」

 

 僕と佐伯では根本が違う。


一度授業で習えば覚えられる(真面目にやれば、の話)佐伯と違って、僕は覚えようと努力しなければ覚えられない。


やらなければ理解出来ないのだ。


だから、勉強もするし、調べもする。


理解出来なくなるのが怖いから。


正直、佐伯の方が研究者としては向いているのだと思う。


そのムラっ気がなければの話だが。

 

「そんなもんかなぁ」


 そう樋田さんが呟いた。

 

「俺にとっては市田も十分すげぇと思うけどね」


「え?」


「俺には努力とか出来ないからさ。俺ね、大学入試まで勉強なんてしたことねぇんだ」


 樋田さんがとつとつと身の上を語る。


それは普段の樋田さんからは考えられないものだった。


「俺はね、授業で習えば大体のことは覚えられたし、それでテストの点数もまあまあ良かったからさ、勉強なんてする必要もないと思ってたんだわ」


 樋田さんが煙草に火を付けた。


本来、ここは禁煙だが誰もいないのをいいことに隠れて吸っていたのだろう。


「高校3年になって模試を受けたら志望校にC判定でてさ、やべぇ勉強しなくちゃって」


 樋田さんがふぅっと煙を吐く。


煙草の先からは細い煙が立ち上る。

 

「でもさ、いざ勉強しようと思っても出来ねぇのな。だって、やり方もなんもわからねぇから。努力なんてしたことなかったんだよ、俺は」


 はっ、と自嘲したように笑う。


「ま、必死になって勉強したから今ここにいるんだけどな。だから、努力出来るのも才能なんだと思う訳よ」


「才能……ですか」


「うん。努力も我慢も出来ねぇ奴は出来ねぇんだ。生きてく過程で覚えるってこともあるけどな」


 そう言って今度はニカッと笑う。


うん。


これがいつもの樋田さんだ。


「市田。絶対通れよ。いなくなったら寂しいじゃんか」


「ははっ、頑張ります」


 そのやり取りがおかしくてクスクス笑っていると、研究室のドアが勢いよく開いた。


「ごめん! 誰か物理教えて!!」


 息を切らせた佐伯が立っていた。

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