*26 噛み付く
──あぁ、もう。
市田といると調子が狂う。
どうして、部屋まで着いてきてしまったんだろう。
「立ってないで適当に座ってよ。コーヒーで良い?」
「あ、うん」
ベッドに寄り掛かるように床に座る。
部屋は以前来た時と変わりはない。
かすかに煙草の香りがする。
だが、市田自身が私の前で吸っているところは見たことがない。
「市田ってさー」
キッチンでお茶の用意をする彼の背中に向けて、声を掛ける。
「うん?」
「煙草吸うっけ?」
「あぁ、まぁ。あんまり吸わないけど。知らなかった?」
「うん。さっき気付いた」
「はい、どーぞ」
私の目の前のテーブルに、コーヒーとシュークリームを載せたトレイが置かれる。
シュークリームは市田の家に向かう途中に買ってきたものだ。
「で? どうかした?」
「え?」
「君が、昼間に僕の部屋に来ることなんて今までなかったから。どうかしたのかなと思って」
コーヒーを啜りながら言う。
「とくにどうも。それなら市田も……」
「僕も?」
自分がちょっと苛立ってきてるのが解った。
最近の市田の態度の方が私には解らない。
突然キスをしたり、でもその後は何もなかったり、今朝のイライラしている様子だとか。
「僕が何?」
どうも逃がして貰えそうにない。
彼の気に障ってしまったか。
「今朝のこととか……」
「あれは……君が僕を避けてたから」
市田が視線を反らす。
「柴崎君達と会った後から僕のこと避けてただろ!? だから、今朝、佐伯が僕のこと待ってるのを見て、……イライラした」
「それって……」
「やつあたりでした。ごめん」
私が避けていたのが原因?
忙しかったのは事実だけど、それを理由に避けていた。
でも、その原因って……。
「市田はあたしと気まずくなかった?」
「……いや、気まずかったけど。でも、佐伯とちゃんと話さなくちゃって……。何を話すのかもよくわかんないけど」
みるみる市田が赤く染まっていく。
色々と思い出したらしい。
そっか。
市田はあのキスを勢いで片付けるつもりはなかったんだ。
ちょっと安心する。
「今気付いたんだけどさ?」
「うん?」
「気まずくなった元々の原因ってさ、あたしが飲み会最中に調子に乗ってキスしたからだよね」
それのせいで勢いづいて、別れ際にキスになったのではなかろうか。
元はと言えば、私のせいじゃん。
「あ―…、そうとも言えなくもないけどそうじゃないから」
「? どういう意味?」
市田の微妙な答えに首を傾げた。
「確かにそれでそういう気分になったけど、したいからした。ほんとは……帰したくなかった」
自分で言っておいて真っ赤になる市田。
「そっか。市田もそういう気分になること、あるんだね」
「えっ、そりゃあまぁ。これでも男だし。そういう気分のこともあるさ」
市田もこう見えて一人前に性欲とかあるんだなぁ、なんて。
ない訳はないけど、そういうタイプには見えないから。
「……君だってそうだろ」
彼がそっぽを向く。
「大体、僕に何の気も無かったらキスなんてしなかっただろうし、それに答えようともしないだろ。逃げようと思えば逃げられたんだし」
正論を吐く。
「……市田はあたしのことが好き?」
これだけはいい加減にはっきりさせたかった。
気付いてはいても、本人の口から聞きたい。
「当たり前だろ。じゃなきゃ、キスしたいとか、触りたいとか思わない。誰でもいいとか思うほど器用じゃないし、節操なくない。……君はどうなんだ?」
目を逸らさずに真っ直ぐストレートに言われる。
それだけ、真剣なんだ。
「あたしは……、どうでもいい相手とキスしたいなんて思わないよ」
私の返事に満足そうに微笑む市田。
私に向かって手を伸ばす。
指先が頬に触れる。
「それだけ聞けて良かった。これ以上、焦らされるなんて沢山だ」
そう言う彼の表情は凄く幸せそうで。
それは滅多に見られるようなものではなくて。
「もう、我慢なんてしないから」
そう言って、彼は私に噛み付くようにキスをした。




