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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第六章 大いに悩む同居人
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その11

 犬達がこちらへ向かって吠え始めたので、リゼットは慌ててその場を立ち去った。やがて吠え声が遠のき、ガラス張りの窓の死角までくると胸を撫で下ろす。

 遠目だが、あれは栗色の長い髪を一つにまとめたミシェルだった。彼女も喫茶店くらい行くだろうが、エプロンを付けてテーブルを回る姿はただの客ではなかったように思われる。

 この間の会話では働いていないと言っていたし、そんな素振りもなかった。リゼットは首を傾げて、第二の我が家であるフェリックスの家へ帰っていく。

 


 フェリックスは帰宅早々、ふくれっ面で出迎えたリゼットにげんなりした。


「フェリ様ったら、ひどい。帰ってきたなら連絡してちょうだい」


 久々に聞く声は、相変わらず甲高く非難に溢れている。そもそも、彼女に知らせる義理もない。フェリックスの視線は、むくれるリゼットを通り越して奥にあった。


「ミシェルは?」

「キッチンにいるわ。ねえ、ミシェルなんだけど」


 そう切り出すと、フェリックスがようやくこちらを見た。


「ミシェルがどうした?」


 リゼットは何か言いたげだったが、「なんでもない」とリビングへ行ってしまった。いつもの気まぐれなのか、だが今回はやけに心に引っ掛かるものがある。

 私服に着替えたフェリックスがリビングに現れると、ミシェルはまだキッチンにこもっていた。早い帰宅でもなかったのに、夕食ができていないとは珍しい。

 実はバイトが長引いて、夕食の仕込みが遅くなったのだ。


「たいちょーさん、お帰りなさい。ごめんなさい、夕食の支度がまだなんです」


 キッチンとダイニングテーブルを行き来する彼女をよそに、ソファーで寛ぐリゼットをフェリックスが咎める。


「少しはミシェルを手伝ったらどうだ」

「ええっ!? わたし、料理できないもん」

「皿くらい並べられるだろう」

「だってぇ」


 駄々をこねるリゼットに、フェリックスの片眉が小刻みに動いた。これを見たミシェルは、動物的本能でまずいと感じて二人の仲裁に入った。


「もうすぐ終わりますから、お二人は座って待っててください」

「いいから、彼女にさせろ」

「わかったわよ」


 渋々重い腰を上げたリゼットが、ミシェルに鼻を引くつかせると顔を顰めた。

 

「ミシェル、犬臭い」


 この一言で、フェリックスとミシェルの心臓が大きく跳ねた。もっとも、二人の動揺の内容は違う。フェリックスはミシェルの正体について、ミシェルはドッグカフェのバイトのことである。


「わ、わたし、犬臭いですか!?」

「ええ。とっても」

「汗臭いだけじゃないのか?」


 ガーン!! わたし、汗も臭いんだ……。

 彼なりに機転を利かせたつもりだが、別の意味でミシェルを傷つけた。「お風呂、入ってきます」と、肩を落としたミシェルがリビングを出ていってしまった。気まずさに、フェリックスは思いきりリゼットを睨む。


「やだ。そんな怖い顔しないで」

「お前が余計なことを言うからだ」

「だって、本当のことだもの。実は今日……」

「もういい」


 リゼットは今日の出来事を話そうとしたが、フェリックスの一蹴にぐうの音も出なかった。むっとして口を尖らす彼女を尻目に、フェリックスは食器をテーブルへ並べた。

 

 いつもより念入りに体や髪を洗ったミシェルがリビングへ戻ると、二人は食事をせず待っててくれた。


「先に食べてよかったんですよ?」

「フェリ様が、三人で食べるって言い張るから待ってたのよ」


 一人で食べる食事は侘しい。ミシェルとの同居がもたらした心境の変化だった。ミシェルは、風呂上りで上気した顔を綻ばせて食卓に着いた。




「さっきのことは気にするな」


 夕食後、キッチンで洗い物をするミシェルに、フェリックスがそっと耳打ちをする。ミシェルとしては、彼のフォローの方が胸に刺さったのだが。


「だ、大丈夫です。気にしてませんから」


 ミシェルは、視線を泡だらけの食器から外せずにいた。こんなにも気遣ってくれるのに、隠し事の後ろめたさでまともに彼が見られない。胸の鼓動が隣のフェリックスに聞こえるのでは心配した時、ふわりと頭にタオルが乗っかった。

 不思議に思ったミシェルが見やると、フェリックスが「耳が出ている」と口の形だけで知らせた。彼限定で心拍数が上昇すると、犬耳が姿を現してしまうの体質へ未だ治らない。

 ミシェルの顔色が蒼くなり慌てて周りを確認したが、幸いリゼットはこちらに背を向けて雑誌を見ている。


「ここはいいから、部屋に行きなさい」

「でも……」


 フェリックスはシャツの袖を捲り、譲らないミシェルとシンクの間に体を割り込ませた。まだこの場にリゼットがいるので、変に意地張って気付かれたらまずい。

 仕方なくここはフェリックスに任せて、ミシェルは足音立てずに自分の部屋へ行った。



「あれ、ミシェルは?」


 ミシェルがキッチンを出てすぐに、リゼットがソファーの背もたれ越しに振り向いた。間一髪の状況に、フェリックスは人知れず安堵する。


「こっちへ来い」

「なに?なに?」


 滅多にないフェリックスの誘いに、リゼットは嬉々してソファーを飛び下りると駆け寄った。フェリックスは彼女の手を取り、耳元に顔を近づける。耳に息が掛かり、くすぐったくてぞくっと身震いした。

 フェリ様、ミシェルがいなくなるのを待ってたのね。

 このあと言うであろう甘い囁きを待っていたが、現実はそう簡単にいかない。


「あとは頼んだぞ」


 フェリックスが握らせたのは、泡まみれの食器洗いのスポンジだった。


「なにこれ? ちょっと!! 色仕掛けなんて卑怯よ!!」


 わめき散らすリゼットには目にもくれず、フェリックスは缶ビール片手に自室へ引き上げていった。



 深夜近く、フェリックスが廊下を通ると、ミシェルの部屋から灯りが漏れていた。先ほどはかなり落ち込んだ様子だったので、気になってドアをノックする。

 返事がないので立ち去ろうとしたところへ、ドアが開いて犬耳のミシェルが顔を出した。目が合った彼女は、驚きながらもリゼットを起こさぬよう小さな声で尋ねた。


「たいちょーさん、どうしたんですか?」

「灯りがついていたから、まだ起きているのかと思ってな」

「なかなか眠れなくて」


「入っていいか」と尋ねたら、彼女は体を開いて部屋へ招き入れた。フェリックスがベッドに腰を下ろすと、ミシェルは床に座り二人向かい合う。


「まだあの言葉を気にしているのか?」

「いえ、そうじゃなくて……。あっ、さっきはありがとうございました」


 考えがまとまっていないのか、要領を得ない話し方だ。おまけに、耳が垂れているので沈んだ気持ちは一目瞭然である。


「なにか悩み事でも?」


 的を射たらしく、ミシェルが弾かれたように振り向いた。恐らく、決心がつかないまま部屋を訪れたて、どう切り出していいかわからないのだろう。

 こういう時は二通りある。本人が言い出すまで根気よく待つか、さりげなく誘導するか。ミシェルの性格だと後者だと判断した。


「私とて完璧な人間じゃない。言葉にしないと分からないこともある」

「実はわたし、働いているんです。成り行きってやつで」


 と、打ち明けられたらどんなに楽か。従順が故に、ミシェルの口は心同様重かった。






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