その1
フェリックスは黙って待っているが、ミシェルは「あの、その……」と歯切れが悪い。
以前も似たようなことがあった。ついでに、年頃の娘は秘密の一つや二つ持っているとマシューが言っていたのも思い出した。
人間と関わって世界も広がり、他人に話せない秘密くらいあるだろう。
だからこそ、自分だけには打ち明けて欲しい。ミシェルが犬という非現実的日常を受け入れているのだから、どんな告白されても今さら驚きはしない。
そんなフェリックスの気持ちを知る由もなく、彼女は俯いて固まっている。
時期尚早だったか。
フェリックスはベッドから立ち上がると、ミシェルは怒らせたかと慌てた様子で引き留めた。
「たいちょーさん!!」
「気持ちの整理がついたらまた話そう。今夜は遅いから寝なさい」
怒っていない証拠に、慣れない笑顔を見せて彼女の部屋を出る。パタンとドアが閉まると、ミシェルは大きなため息をついた。
また言えなかった……。
せっかくの機会を逃した意気地のなさに、ミシェルは肩を落としてベッドへ潜りこんだ。
あれから数日経ってなお、ミシェルはバイトと家事の掛け持ちで忙しい。
「リゼットさん、買い物行ってきますね。遅くなったらお昼ご飯、お先にどうぞ」
きまって朝九時四十分に家を出るミシェルを、リゼットは呆れつつソファーから見送る。
あれでバレてないつもり? 次はどんな言い訳かしら。
ある時は買い物、ある時は奉仕作業、様々な言い訳もそろそろネタも尽きる頃だ。ミシェルのバイトは数回にわたる偵察で確認済みだが、当人は周囲にばれていないと思い込んでいる。
フェリックスは気付いているのだろうか、ふと疑問が湧いた。それこそ警衛隊長の彼が、この程度の嘘を見抜けないとは思えない。
リゼットにとっては、ミシェルのバイト事情などどうでもよかった。この件で二人の関係がこじれてくれれば、こちらにもチャンスがあるというものだ。
ミシェルの秘密。
フェリックスは、待機室にある自分のデスクでこればかり考えていた。というのも、部下達の会話が耳に入ったからである。その内容は娘を持つ父親の悩みだった。反抗期だの思春期だの、特に男親には理解に苦しむ言動ばかりだという。
ミシェルには縁がないが、リゼットを見ていたら頷ける。
「やっと落ち着いたかと思ったら、今度は『彼氏に会ってくれる?』だってよ」
「そりゃたまらんなあ」
娘が幼い者は気楽に笑っているが、『明日は我が身』の該当者は苦い顔だ。そして、フェリックスも同じ心境である。
まさか、ミシェルに男がいる!?
かつて『アラン』という男子高生が、ミシェルに好意を抱いてひと騒動あった記憶が蘇る。
最近、夕食の支度も手間取っているようだし、誰かと秘かに会っているのか。
いくら頭で否定しても、胸のざわつきは治まらない。たまたま前を通りかかったクリスを呼び止めた。
「なにか?」
「ミシェルなんだが」
彼女の名前が出るとクリスの顔が引きつり、これまでの言動で粗相がないことを祈った。
「変わった様子はないか?」
「は?」
「一緒にいたら気づかないこともある。オレガレン少尉なら、些細な変化も見逃さないと思ったんだが」
些細な変化ってなんだろう? 髪を切った? それはないか。
しばらく考えて目立った変化はないと告げた。持ち場へ戻るよう指示すると、首を傾げながら去るクリスがいきなり血相を変えて走ってきた。
「まさか、ミシェルちゃんに男が……」
フェリックスが上目遣いで制すると、今度は声を潜めて尋ねる。
「ミシェルちゃん、男ができたんですか?」
「私が聞いているのだが?」
「バイトしてれば、いつかはこうなると思ってました」
突然現れた単語に、フェリックスは驚いて目の前の部下を見やった。
「待て。なんの話だ」
「ドッグカフェでバイトしているんですが、てっきり隊長公認かと……」
まさに『寝耳に水』とはこのことで、唖然とする隊長に説明を続ける。
「なんでも犬の気持ちが分かるとかで、ミシェルちゃんはそこのカリスマ店員だそうです」
この件で、フェリックスの片眉がピクリと動いた。隊長付で一年以上そばにいるクリスは、本能的にやばいと感じてさりげなく距離を取る。
フェリックスには色恋沙汰より、もはやバイトの方がショックが大きかった。しかも、内緒にするほど家計は切迫した事態なのか。リゼットという食い扶持が増えてやむを得なかったに違いない。
このあと、フェリックスは任務は黙々とこなすものの、半分抜け殻状態だった。
帰宅したフェリックスを出迎えたのは、満面な笑みのリゼットと浮かない笑顔のミシェルだった。
「お帰りなさい。今日の料理はわたしが作ったのよ」
ここに来て初めて料理をしたから、明日の天気は大丈夫だろうか。
「お疲れ……ですか?」
フェリックスは、おずおずと訊くミシェルを一瞥した。
疲れているのはお前の方じゃないのか?
喉の先まで出かかった台詞を飲みこんで、自室へ入っていく。ベッドにはきちんと畳んだ服が置いてあり、悟られまいときっちり家事もこなすあたりが健気だ。
夕食はクリームシチューだった。リゼットは野菜を切っただけで、市販のルーを鍋に入れて煮込むだけの作業である。
「美味しいでしょ? わたしが本気を出せばこんなものよ」
たかが野菜を切ったくらいで、シェフ気取りの彼女に突っこむ気力もない。
「お前ももっと料理をした方がいい」
「それって、遠回しのプロポーズ?」
リゼットに料理を任せたら、材料費にいくらかかるか分からない。失敗したらミシェルの負担が増える一方だ。
「前言撤回だ。しなくていい」
「フェリ様は恥ずかしがり屋さんなんだから」
フェリックスが仏頂面でクリームシチューを食べる様子を、リゼットは嬉しそうに眺めている。それを見ていたミシェルは、本音を言い合う二人が羨ましいと感じた。
今のミシェルは、心の中に疚しい気持ちがあるのでどこかぎこちない。
「ミシェル」
「あ、はい!!」
不意に呼ばれて勢いよく返事をした。全てを見透かすダークグリーンの瞳に、ミシェルは思わず目を逸らす。
「明日は遅くなるかもしれん」
「遅いってどのくらい?」
ミシェルの代わりにリゼットが質問すると、「わからない」と答えた。
「先に休んでなさい」
「はーい」
ミシェルもこくりと頷いて食事を終える。
次の日も、ミシェルはドッグカフェでバイトに来ていた。今日は夕方に誕生パーティーの予約があるので準備に忙しい。
ちょうどその時間に帰るミシェルは後ろ髪を引かれた。リゼットはまた友人の家に泊まるし、フェリックスは帰りが遅い。
「モニカさん。わたし、もう少しお手伝いします」
モニカはケーキの生地を作る手を止めた。
「でも、隊長さんが待ってるんじゃない?」
「今日は帰りが遅いそうです。リゼットさんもお泊りなので大丈夫です」
「ほんと!? 助かるわ!!」
二人は急ピッチで準備を進めていると、『本日貸切』の貼り紙に気づかなかったのか来店を知らせるチャイムが鳴った。
そして店内へ入ってくる客に、青い顔で固まるミシェル。
「たいちょーさん……!?」
立っていたのは、軍服のフェリックスだった。




