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隊長さんちのわんこ《ミシェル》  作者: 芳賀さこ
第四章 犬に戻りかけた同居人
35/103

その1

「お前、その耳……」

「見ないで下さい!!」


 大きく目を見開くフェリックスに、ミシェルはたまらず頭を枕で覆った。見るなと言われても、衝撃的な光景を目の当たりにして視線が外せない。


「この耳、なくなりますか? 犬に戻っちゃうんでしょうか!? わたし、どうすれば……」


 混乱して質問攻めのミシェルに、「落ち着け。なったものはしょうがない」などと、我ながら間抜けな慰め方しかできなかった。

 

「たいちょーさんは驚かないんですか?」

「これでも充分驚いているんだが」


 枕の間から覗き見るフェリックスは、相変わらず無表情だが本心は違ったらしい。


「とにかく顔を見せてくれ」


 半分懇願に近いフェリックスの言葉に、枕を外したミシェルの頭には獣の耳がピンと立っていた。


「その耳は本物なのか?」

「本物です。動きそうなのでやってみます」


 ミシェルの挑戦を、彼は片手を上げて制した。

 だとしたら、人間の耳はどうなったのか。知りたくないので、フェリックスは敢えてその話題には触れずにいた。


「耳のほかに異常はないか?」

「今のところは」

「尻尾は?」


 慌てて自身の尻を触ったが、ないことを確認すると二人同時に安堵の息をついた。


「実はお前が熱にうなされた時、同じことが起きた」

「この姿になったときですか?」


 フェリックスはベッドの端に腰を下ろして語り始めると、新事実にミシェルは文字通り耳を傾ける。


「その頃は一時的なものだったがな。もしかしたら、明日にはなくなっているかも知れないから、今夜は様子を見よう」


 ミシェルの頭に手を置いたら、触れた耳がくすぐったのかぴくっと動いた。こうしてみると、彼女は犬だと改めて思い知る。


「とにかく飯にしよう。考えるのはそれからだ」

 

 フェリックスが立ち上がると、ミシェルが「あっ」と声を上げた。


「まだお料理、作ってませんでした」

「簡単な物で済ませばいい」

「……買い物もしていないんです」


 買い物をする途中で、アランとひと騒動あってこの有り様である。項垂れる彼女を、フェリックスは責めなかった。

 こんな事件が起きた後で、暢気に夕飯を作るほど彼女の神経は図太くない。手っ取り早く外食したいのは山々だが、奇妙なミシェルの容姿を世間に晒すわけにはいかない。


 フェリックスが近くの店へ買い出しに行ったが、結局食卓には出来合いの総菜が多数並んだ。


「こんな物で悪いな」

「いいえ。わたしの方こそごめんなさい」


 せめて食事らしくと皿に盛って二人は食べ始めたが、フェリックスは気になっていたことを口にした。


「いきなりなったとは思えんな。何かきっかけがあるんじゃないのか?」

「えっ?」


 フェリックスの問いに、ミシェルはぎくっとしてフォークが止まった。明らかに動揺している彼女に、フェリックスもフォークを置いて見据える。


「あるんだな?」

「あ、ありません」


 嘘がつけないミシェルは泳ぐ目で料理を食べ急いだ。挙動不審な態度に、フェリックスは職種がら嘘を見抜いてしまう。

 ひと癖ある連中ばかり相手にしてきたのだから、少女の嘘を暴くくらい訳ない。

 今朝はなんともなかったから、問題があったとしたら昼から夕方に掛けてだろう。確率として最も高いのは……。


「アランか?」


 ガシャンッ!!

 

 ミシェルの食器が派手な音を立てたので、フェリックスは図星だと確信した。


「アランとはなんでもありません。ただ『好き』と言われただけで」

「なんだと!?」


 フェリックスの顔色がさっと変わったので、ミシェルはすぐに口を手で押えたが時すでに遅かった。

 キス未遂事件やフェリックスへの恋心を隠そうとするあまり、つい先走ったのを後悔する。

 

 フェリックスは、予想外の展開に愕然とした。

 アランが彼女に好意を抱いているのは分かっている。いつか、こんな日が来るかもしれないと心のどこかで覚悟もしていた。だが、急に現実のものとなり心がざわつく。

 沈着冷静と称される警衛隊長だが、この時ばかりは頭に血が昇った。険しい表情で詰め寄られて、ミシェルの瞳が潤み耳は垂れてすっかり怯えている。

 

「すまん。きつく言い過ぎた」


 我に返ったフェリックスが謝ると、ミシェルが首を左右に振った。その後、二人は会話もなく殺伐とした空気の中で食事を続けた。



 昨夜のフェリックスは、ミシェルの耳やアランの告白と驚きの連続でよく眠れなかった。ここ最近寝起きが最悪でバイオリズムも低下気味である。

 翌朝、フェリックスが起きた頃には、キッチンでミシェルが朝食の準備に取り掛かっていた。二人の期待虚しく、犬の耳はミシェルの頭についたままである。

 気配で振り向いたミシェルと目が合った。


「おはよう」

「おはようございます……」


 ミシェルは小さな声で挨拶すると、テーブルに食器を並べ始める。そんな彼女を横目で見ながら席に着く。

 


 朝食を済ませて、身支度を整えたフェリックスが玄関へ向かった。いつものミシェルなら嬉々して追い掛けてくるのに、今朝は近からず遠からずと微妙な位置を保っている。

 よほどショックだったらしいが、それは彼も同じだ。フェリックスは靴を履くと、ミシェルを手招きする。

 おずおずと目の前に立つミシェルに、腕を伸ばして頭を耳ごと撫でた。彼女が上目遣いで窺うと、頬を緩ますフェリックスがいる。


「なるべく早く帰るから、買い物は一緒に行こう」

「でも、この耳じゃ……」

「帽子でも被ればいい。とにかく一人で出歩かないように」

「お仕事があるのに、迷惑かけるわけにはいきません」

「余計な心配をされる方が迷惑だ。もっと甘えろと前にも言っただろう」


「だいだい、お前は小さい頃から……」とフェリックスの説教が続いた。普段は口数が少ないのに、彼女のことになると饒舌になる。ミシェルは、諭されているのにちっとも嫌な気持ちにならず、むしろ嬉しくて心地よかった。

  

 一息ついたフェリックスが腕時計に視線を落とすと、出勤時間が近づいている。


「たとえ、犬に戻ってもお前は『ミシェル』だ。ずっと、ここにいればいい」


 最も聞きたかった言葉に、ミシェルの顔が綻んだ。どんなに場合でも、この人は自分を大切にしてくれる。だから、好きにならずにいられなかった。


「はい!!」


 ミシェルは、目に涙を浮かべて笑顔で返事する。その様子に安心して、フェリックスは家を出た。



 

 警衛隊の待機室は隊員たちの談笑で賑わっていたが、隊長室では眉間にしわを寄せるフェリックスが座っていた。

 近寄り難い雰囲気の主に、遠慮ない部下が入ってくる。


「今月の基地警備計画書だ。とっとと読んでサインしてくれ」


 マシューが机の上に置いた書類を、フェリックスは手に取り読み始めた。


「最近構ってくれんと、隊長付きが嘆いていたぜ」

「子どもじゃあるまいし」


 視線は書類に残したまま、ため息交じりに呟く。


「そういえば、お嬢ちゃんから土産をもらったぞ」

「ミシェルに手袋をあげたそうだな。嬉しそうに付けていた」


「そうだろ、そうだろ」とマシューは満足げに頷いた。


「そろそろミシェルの手料理が食べたいんだが、今夜あたり行ってもいいか?」

「今は体調が悪い」

「風邪か?」

「そんなところだ」


 曖昧に流すフェリックスに、マシューは何か感づいたのか半眼でこちらを見ていた。



 

 

 


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