その2
何か言いたげなマシューに、フェリックスは鋭い視線を投げつけた。
「なんだ」
「いやなに、お嬢ちゃん絡みだろうから訊かないがね」
この男、無骨で人の感情に無頓着そうだが察しがいい。
昔からそうだ。
人相の悪さはフェリックスといい勝負なのに、女性や若い連中に受けがよかった。マシューには愛想と気遣いがあるらしく、野獣と美女のカップルが成立したのち、妻似の可愛い娘も授かった。
残念ながら家庭生活は長く続かなかったが、子育ての経験がある。彼の娘も生きていたら、ミシェルと同じくらいの年頃だから放ってはおけないといつかこぼしていた。
つらい出来事を掘り起こすようで悪いが、一つ先輩の知恵を借りるとしよう。
「ミシェルが告白されたらしい」
フェリックスがぼそりと呟くと、マシューは短く口笛を吹いた。
「お嬢ちゃんは年頃でべっぴんさんだ。まあ、男どもが黙っちゃいないだろう」
確かに、ミシェルはひいき目なしに美しく気立てもいい。彼女が本当の親戚なら手放しで応援するが、本来は犬でおまけに獣の耳が生えている非現実的な姿だ。
もしアランが知ったら、冷静に受け止められるとは思えない。取り乱した反応にミシェルが深く傷ついたら、と想像するだけで不安が募る。
「相手は例のアランってやつか」
「ああ」
「で、叔父としては温かく見守ってやるのかい?」
「ミシェルの様子がおかしかった。ただ告白しただけではなさそうだ」
「まあ、青春真っただ中の坊やに『お預け』は難しいだろうな」
告白だけでは物足りず、ミシェルに手を出したのか!!
フェリックスの表情が険しくなったので、マシューはいささか慌てた様子で尋ねた。
「おいおい、その坊やに会ってぶん殴るつもりじゃないだろうな!?」
「まさか」
否定はしたが、それに近い行動は考えていた。
「とにかく本人同士の問題だ。余計なお節介はミシェルに嫌われるぜ」
彼女を護れるなら、嫌われても構わない。
「私には真相を知る権利がある」
きっぱりと言い切った上官に、マシューは打つ手なしと肩を竦めて隊長室を出ていった。
夕方、定時に帰るフェリックスが向かった先は、自宅ではなくある高校だった。
マシューには二人の問題と釘を刺されたが、犬に戻りかけるほどのショックを受けたミシェルは一切話さない。アランを庇っているなら、それはそれで面白くない。自分と少年を天秤にかけて、彼に傾いたということだろうか。
いくら、頭の中で悶々と考えても解決への光は見えてこなかった。それなら、事の発端である少年に直接訊くしかない。
そう思ったフェリックスは校門で彼を待った。
精悍な顔つきに黒い髪、絶えず標的を探すダークグリーンの鋭い目。
どこぞの殺し屋かスパイと勘違いされそうな怪しい風貌に、下校する生徒たちが怪訝な視線を送っていた。軍支給のコートを着ていなければ、間違いなく通報されたに違いない。
待つこと数十分、友人と帰る男子高生を発見してまっしぐらに向かった。気づいた彼はぎくりとして動かなくなる。
「アラン・モーリス、話がある」
フルネームで呼ばれて、アランは更に身を硬くした。ミシェル絡みでフェリックスから呼び出しがあると覚悟していたが、学校の校門で待ち伏せされるとは想定外である。
「なぜ、私がここに来たか分かっているな?」
「……はい」
「なら、いい。ミシェルと何があったか話してもらおう」
まばらになったがまだ生徒の姿が絶えず、皆こちらをチラチラ窺っていた。
フェリックスが顎をしゃくって歩き出したので、アランは強張った顔でついていく。その光景を友人達は心配そうに見送った。
学校から少し離れた路地まで来ると、黒髪の軍人が振り返った。
射るようなダークグリーンの眼差しに、アランはごくりと唾を飲み込んで身動きできない。『蛇に睨まれたカエル』とはまさにこのことである。
「あの……」
「ミシェルに告白したらしいな」
やっぱり、その話か。
これからこの強面の軍人と対峙するかと思うと、アランはげんなりした。
「俺、本気で彼女が好きなんです」
「当たり前だ。遊びだったら許さん」
フェリックスは、荒い単語が口から飛び出すのをぐっと堪えた。相手は一般庶民でまだ高校生である。今回はアランを恫喝するのが目的ではなく、真実を知るためにわざわざ高校まで出向いたのだ。しかも、かなり不審がられて。
「ミシェルはなんて言ってますか?」
「そのミシェルが何も言わんから、お前に訊いている」
この前までは『君』だったのに、この数分で『お前』に呼び方が変わっていた。
「告白以外に、何かあったのか?」
アランの顔色が一気に真っ青になったので、フェリックスの声色が一段を凄みを増す。
「あったんだな!?」
「すみません!! その場の雰囲気で、つい」
「つい、なんだ!?」
正直に話しても嘘をついても、この軍人から逃れる術はないのだ。それなら一層、正直に話して楽になった方が身のためではないか。
「ミシェルにキ、キスを……、も、もちろん未遂です!!」
「なんだと!?」
胸ぐらこそ掴んでこなかったが、フェリックスの形相が凄まじいのでアランは慄いた。だが、ミシェルへの熱い気持ちには変わりはない。
「そんなつもりはなかったんだけど、想いを伝えたくて」
必死に訴える目の前の少年に、フェリックスの血が昇った頭が少しずつ冷めていく。想いが通じないもどかしさ故の行動を責めることができなかった。
完全にフェリックスの勇み足である。部下の忠告を聞いておけばよかったと後悔しても後の祭りだ。
「とにかく今は距離を置いてくれ。ミシェルもかなり動揺している」
努めて穏やかな声で言うと、アランは小さく頷いた。
「呼び止めてすまなかった。途中まで送ろう」
「いえ、大丈夫です」
やっとフェリックスから解放されたアランは、ふらふらと元来た道を歩き始める。これ以上、一緒にいたら呼吸さえままならない。
フェリックスは頼りない細身の背中を、視界から消えるまで見送った。
自宅へ帰る途中、市場の近くを通りかかった。野菜や肉、魚を売っている店の前には、夕食の食材を買い求める主婦達で賑わっている。
「よお、隊長さん。ミシェルちゃんは元気かい?」
威勢のいい声に呼び止められて振り向くと、肉屋の主人だった。
「元気だが?」
「ならいいけど、ここ何日か見てないからさ」
そういえば、今日は一緒に買い物へ行く約束をしていたな。
アランの件ですっかり忘れていた。
「ミシェルちゃんに食べてもらおうと取っておいたんだがな」
「なら、それをもらおう」
「毎度。お得意様だから安くしておくよ」
主人が奥の冷蔵庫から取り出した紙の包みは、ずしりと重い。金を払ってそれを小脇に抱えて肉屋を後にした。
「隊長さん、ミシェルちゃんは元気?」
またか。
今度は八百屋の女主人だ。
「ああ」
「あの子の笑顔が見れないと寂しくてね。これ、持っていって」
差し出したのはリンゴ五個、小脇には肉の塊。さすがに持てそうにないので、女主人がビニール袋にまとめてくれた。
こうして、市場を抜けるまでこの光景は繰り返される。
ミシェルは、すっかりこの街には欠かせない存在だと知ったひと時だった。




