その11
旅行から帰って来たミシェルを待っていたのは、マシューやクリスだけではなかった。
下校途中で、栗毛の少女を見掛けたアランもまた然り。ぱあっと顔が輝いたが、すぐに表情が曇った。
実は二日前、アランがミシェルの家を訪ねたら留守だった。何度か呼び鈴を押しても応答がなかったので、帰ろうとしたらクリスとばったり出会う。
「ミシェルちゃんなら隊長と旅行へ行ってるよ」
「え?」
「あれ? ミシェルちゃんから聞いてなかった?」
「いいえ。最近会っていないから」
クリスがしたり顔で言うものだから、自分だけ知らなかった事実に余計腹が立つ。
話を聞けば、フェリックスの出張にミシェルを連れていったとのことだ。仕事絡みなら、クリスが知っていても不思議ではない。
納得したが、安堵感は得られなかった。
彼女のプライベートを全て把握したいとは思わないが、一言あってもいいのではとアランは憮然とするのだった。
こんなことがあった後なので、ミシェルとの再会を素直に喜べない自分がいる。彼女はアランの複雑な心境を知る由もなく、にこやかな笑顔でこちらへ駆け寄った。
「こんにちは、アラン。ちょうどよかった」
ミシェルはバックから紙袋を取り出すと、彼に差し出した。
「お土産です」
「旅行に行ってたんだ?」
「はい」
「楽しかった?」
「え、まあ」
そりゃ、大好きなコールダー隊長と一緒だったんだからな。
少し自嘲気味に心の中で呟く。なにせ、ミシェルが警衛隊長を慕っているのはだだ漏れなのだから。会話には必ず登場するし、フェリックスを語る彼女の瞳はキラキラと輝いていた。
伯父ではなく一人の男として見ているのでは、と杞憂する時もある。
嫉妬するほどミシェルの存在が、アランの中で大きくなっていた。
青春を謳歌している同年代の少女にないものを持っている。事情がありそうだが、明るい笑顔で微塵も感じさせない。美しくて実直、純粋で陰日向ない人柄に惹かれた。
「アラン?」
我に返ると、ミシェルが怪訝そうに顔を覗きこんでいる。
「あ、ごめん。開けていい?」
「どうぞ」
紙袋の中身は、ピンクのリボンでラッピングされたクッキーだった。
「甘いものを食べると元気になれるんですよ」
ミシェルがにっこり笑った。いつわりない笑顔がたまらく愛おしく、無意識に抱き締める。フェリックス以外の異性に抱き締められて、ミシェルは狼狽えた。
「ちょっ、あの!?」
「ミシェルは好きな人いる?」
「好きな人……」
犬が人間の姿になって現れるという、非現実的な状況を受け入れてくれた『彼』が脳裏に浮かぶ。いつもそばにいるのに、触れることができるのに想いは伝えられない。
揺れるミシェルの瞳に、体を離したアランは察した。
「いるんだ。クリスって人?」
「クリスさんはお友達です」
「じゃあ誰?」
唇をキュッと噛む仕草に、彼の顔が渋くなる。
「まさか、コールダー隊長じゃないよね?」
ミシェルは、見抜かれて大きく目を見開いた。
「君たち、親戚だろ?」
「そ、そうです」
口では否定しても、紅潮する頬は隠せない。
世間的にはフェリックスとは親戚だが、実際には血の繋がりはない。それをアランに話せば、全てを曝け出すことになる。第一、突拍子もない事実をフェリックス以外信じるのだろうか。
「歳もすごく離れているし」
そんなの、分かってる!!
今は人間の姿をしているが、本来は犬だからフェリックスに好意を抱いてはいけない。そんなことはミシェル自身が一番弁えていたのに、一緒にいる時間が長くなればなるほど気持ちがぐらつく。
今、はっきりと知ったあの人への想い。
わたし、たいちょーさんが好き……。
だが、この想いを知られたらフェリックスの傍にいられなくなる。それが『あの人』との約束だから。
「わたしが、たいちょーさんを好きになるなんてあり得ないです」
必死に否定すればするほど、溢れ出す感情は止まらない。その様子は皮肉にもアランを煽る。
「俺、ミシェルが好きだ」
「え?」
細いと思われた彼の腕は、意外と力強く振りほどけない。
「無理な恋なんてやめなよ。俺がずっとミシェルを大切にするから」
無理な恋。
彼の言葉がミシェルの胸に刺さる。そして、フェリックスの言葉も蘇る。
私もいるから、一人で抱えこむな。
たいちょーさん。わたし、どうすればいいの!?
突然沸き起こる人間の感情に混乱するミシェルが、アランの瞳に儚く映った。この子を守ってやりたいという思いが彼をある行動に駆り立てる。
「な、何をするんですか!!」
キスをしようとするアランに、驚いたミシェルは手を突っぱねて体を離した。
「こうでもしないと、俺の気持ち分かってくれないだろ!?」
睨みつける彼女に、アランも負けじと叫んだ。
「アランなんて嫌いです!!」
走り去るミシェルに、とてつもない後悔が彼を襲う。衝動的な行動ではない。
ずっと少女の心には、いつもフェリックスが棲んでいた。生死の狭間に身を置く大人に、高校生のアランが適うはずもない。それが余計に嫉妬を掻き立てるのだ。
家に帰り着いたミシェルだが、途中の経路は覚えていない。
アランに自分の恋心を見抜かれた上に、醜い感情まで見せてしまった嫌悪感に駆られた。
今度、アランに会ったらどんな風に接すればいいのか分からない。リビングのソファーで、抱えた膝に顔を埋めた。
この時初めて、人間になったことを後悔する。
ドクンッ!!
突然、体中の血が湧いて体温が一気に上昇するのを感じた。次第に息遣いが浅くなり、意識が朦朧とする。
慣れない土地に行って疲れたのかも知れない、大人しく寝ていればそのうち治るだろうとソファーに寝転んだ。
いつの間にか眠ってしまったらしく、無性に喉が渇いて目が覚めた。部屋の中はすっかり暗く、ふらふらと立ち上がって灯りを点ける。そのままキッチンへ向かって、食器棚からコップを取り出した時だった。
「うそ……!?」
食器棚のガラスに映った自分の姿に絶句する。
慌てて、洗面所の鏡で確認したミシェルの顔がたちまち青ざめた。恐る恐る手で頭を触ると、突き出た獣の耳に愕然とする。
わたし、犬に戻っちゃうの!?
一瞬でも人間を否定した罰だろうか。それとも、フェリックスを好きになった罪なのか。何はともあれ、こんな恰好は彼に見せられない。
自室のベッドへ駆け込み、ガタガタと震える身体を包むように布団をかぶった。これは夢で、今度目覚めた時は元に戻っているはずだと自分に言い聞かせる。
だが、何度確かめても獣の耳は無情にも消えてはくれなかった。
どうしよう!! もうすぐたいちょーさんが帰ってくるのに!!
そんなミシェルの心を見透かしたように、玄関のドアが開く音がした。
「ただ今」
帰宅したフェリックスを迎えたのは、静まり返ったリビングだった。
「ミシェル?」
こんな夜に出掛けるわけもなく、彼女の部屋へ歩いていく。二回ノックしたが返事がないので、そっとドアを開けると布団の膨らみを確認した。
頭からすっぽり被っているミシェルを不審に思いながら、ベッドを覗きこむ。
「具合が悪いのか?」
「大丈夫です」
布団の中から聞こえるくぐもった声で、フェリックスはピンときた。
「何かあったのか?」
「なんでもありません」
「だったら、顔を見せなさい」
「……」
布団をはぐというフェリックスの強硬手段に、ミシェルもすがって必死に抵抗する。
「っや!!」
男の力に敵わず、ついに布団がはぎ取られ露わになった彼女にフェリックスは言葉を失った。




