第七話 【Side:勇者パーティ】聖剣が「残高不足」と言った
カイを追放してから、ひと月が経った。
勇者パーティは、王都の南にある『嘆きの洞窟』に潜っていた。
本来なら、半日で最下層まで踏破できるはずの中級ダンジョンだ。三年前、パーティを結成したばかりの頃でさえ、彼らは苦もなくここを攻略している。
――はず、だった。
「はあっ……はあっ……くそっ、なんだよ、このダンジョン……!」
レオンは岩壁に背を預け、荒い息をついていた。
まだ地下三階。
洞窟に入ってから、すでに六時間が経過している。
「レオン様、次が来ますわ!」
セリカの悲鳴のような声。
薄暗い通路の奥から、緑色の肌をしたゴブリンが五匹、錆びた短剣を振りかざして突進してくる。
ゴブリン。
冒険者になりたての子どもでも狩れる、最弱の魔物だ。
「ガルド! 魔法で薙ぎ払え!」
「む、無茶言うな! こないだ着火魔法で腕が丸焦げになったの見てただろうが!」
ガルドは杖を抱えて後ずさった。
包帯でぐるぐる巻きにされた右腕が痛々しい。あれ以来、彼は初級魔法さえ満足に撃てなくなっていた。正確には、撃てるのだが、撃つたびに焼け焦げた回路が悲鳴を上げ、激痛でまともに狙いがつけられないのだ。
「ちっ……役立たずが!」
レオンは舌打ちし、腰の聖剣グランディールを抜いた。
――重い。
ひと月前から、ずっとそうだった。羽のように軽かったはずの聖剣が、今では鉄の棒のように重い。それでも、構えればその刀身からは、かつてと変わらぬ黄金の光が溢れ出す。
「まとめて消し飛べ! 【聖光斬】!」
黄金の斬撃が、通路を一直線に走った。
五匹のゴブリンが、光の中に呑まれて消し飛ぶ。
威力は変わっていない。聖剣の力は、確かにまだそこにある。
――だが。
「が、っ……ぁ……!」
剣を振り抜いた瞬間、レオンの身体から、何かがごっそりと抜け落ちた。
膝が笑う。視界が白く霞む。心臓が、まるで握りつぶされたかのように痛む。
そして、彼の脳裏に、直接響くような声が聞こえた。
『――代償を徴収しました。使用者の寿命より、一日分』
「っ……は、ぁ……っ」
一日分。
たった一日だ。そう思おうとした。
だが、この感覚は。命そのものを、目に見えない手で鷲掴みにされて引きちぎられるような、この感覚は――。
レオンは知らなかった。
聖剣の代償は、三年前からずっと、この重さだったのだ。
ただ、それを感じていたのが、彼ではなかったというだけで。
「レ、レオン様! しっかりなさって!」
セリカが駆け寄り、彼の背中に手を当てた。治癒の奇跡を使おうとして――しかし、その手が寸前で止まる。
「……セリカ?」
「…………っ」
セリカは、顔を覆う薄布の下で、唇を噛みしめていた。
治癒の奇跡を一回使えば、穢れがまた一つ増える。
あの朝、顔に浮かび上がった黒い痣。神殿で毎日何時間も禊を続け、ようやく少しずつ薄くなってきたところなのだ。ここで奇跡を使えば、また――。
「何してんだよ、早く治せよ!」
「わ、わかっていますわ! わかっていますけれど……っ」
「聖女だろうが、お前!」
レオンの怒鳴り声に、セリカの肩がびくりと跳ねた。
――その時だった。
ずしん、と。
洞窟全体が、重く揺れた。
通路の奥の闇から、何か巨大なものがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ずしん。ずしん。足音のたびに、天井からぱらぱらと小石が降ってくる。
そして闇の中から、ぬっと姿を現したのは――。
「オ、オーガ……!?」
身の丈三メートルを超える、赤銅色の巨人。
丸太のような腕に、岩を削り出したような棍棒を握りしめている。
オーガ。
中級冒険者パーティでも苦戦する、この洞窟の階層主だ。
三年前の彼らなら、レオンの聖剣の一振りで片付いた相手だった。
「ぐっ……!」
レオンは聖剣を構え直そうとした。
だが、腕が上がらない。さっきの一振りで、全身の力が根こそぎ持っていかれている。
「ガルド!」
「無理だっつってんだろ!」
「セリカ!」
「わ、わたくしは、攻撃の奇跡は……っ」
「くそっ……くそっ、くそっ、くそおっ!」
レオンは歯を食いしばり、無理やり聖剣を振り上げた。
「【聖光斬】――ッ!」
黄金の光が――。
……灯らなかった。
聖剣の刀身は、ただ鈍く光を反射するだけの、冷たい鋼のままだった。
そして、レオンの脳裏に、再び声が響く。
『――警告。使用者の生命力が、安全域を下回っています』
『――代償の支払い能力が不足しています』
『――残高不足のため、聖剣の起動を拒否します』
「ざ……残高、不足……?」
レオンは、呆然と聖剣を見下ろした。
残高不足。
まるで、金の足りない客が店先で追い返されるような。
なんだ、それは。
勇者の剣が。王国の至宝が。この俺が。
「――グオオオオオオオオッ!!」
オーガの咆哮が、洞窟を揺るがした。
巨大な棍棒が振り下ろされる。
レオンは、ただそれを見上げることしかできなかった。
◇
「――おい、大丈夫か、あんたら!」
気がつくと、レオンは洞窟の入り口近くの岩場に寝かされていた。
見知らぬ冒険者たちが、心配そうに彼の顔を覗き込んでいる。
「危ないところだったな。俺たちがたまたま通りかからなかったら、あのオーガに潰されてたぞ」
「……お、前ら、は……」
「Bランクパーティの『鉄の蹄』だ。いやあ、それにしても驚いたよ」
リーダーらしき髭面の男が、首をひねった。
「その金ピカの鎧、その剣……あんた、もしかして勇者のレオン様じゃないのか? 勇者パーティが、なんでまたこんな中級ダンジョンで、オーガ相手に死にかけてたんだ?」
「…………っ」
レオンは答えられなかった。
屈辱だった。
勇者である自分が、Bランク程度の冒険者に命を救われるなど。
後ろでは、セリカが顔を伏せて震え、ガルドが包帯の腕を抱えて黙りこくっていた。
◇
その三日後。
冒険者ギルド王都本部の、ギルドマスター室。
「――勇者パーティの評価を、『S』から『B』に引き下げる」
白髪交じりのギルドマスターは、机の上で指を組み、淡々とそう告げた。
「なっ……!? ふざけるな! 俺たちは勇者パーティだぞ! 国王陛下から直々に――」
「ああ、知っているとも。だからこそだ」
ギルドマスターは、一枚の報告書をレオンの前に滑らせた。
「この一か月で、あんたらが受けた依頼は六件。そのうち、達成できたのはわずか一件。しかもそれは、薬草採取の初級依頼だ」
「そ、それは……ちょっと、調子が悪かっただけで……」
「それだけじゃない」
さらにもう一枚。分厚い紙の束。
「王都中の商店から、ギルドに苦情が殺到している。勇者パーティの未払いのツケについてな。総額、金貨にして四千八百枚。ギルドの名で保証していた分もあるから、こっちは大損害だ」
「…………」
「それから、あんたらが追い出した経理の後任として、ギルドから派遣した荷物持ちの件だが」
ギルドマスターは、深いため息をついた。
「一週間で辞表を出してきたよ。『前の人、どうやってこのパーティの経理を回してたんですか。帳簿が無茶苦茶で、毎日請求書が百枚届いて、勇者様には怒鳴られて、とても人間のやれる仕事じゃありません』――だそうだ」
「…………っ」
「なあ、レオン」
ギルドマスターは、静かに彼を見た。
「カイ・ロウエル。あの男は、本当に『無能』だったのか?」
レオンは、答えなかった。
答えられなかった。
喉の奥に、何かが引っかかっている。
認めたくない何か。認めてしまえば、全てが崩れ落ちてしまいそうな何か。
「……あいつは、関係ない」
かすれた声で、レオンはそう言った。
「あいつは、ただの雑用係だ。俺たちの不調とは、何の関係もない」
「そうか」
ギルドマスターは、それ以上何も言わなかった。
ただ、哀れむような目でレオンを見て、退室を促すように扉を指差しただけだった。
◇
ギルドを出た勇者パーティの三人は、無言で王都の大通りを歩いていた。
すれ違う人々の視線が痛い。
ひと月前まで、彼らが通れば人々は道を開け、『勇者様だ!』と歓声を上げていた。今は誰も振り返らない。振り返る者がいるとすれば、それは未払いのツケを抱えた商人だけだ。
「……おい、聞いたか?」
ふと、通りの屋台の前で、二人の行商人が話している声が耳に入った。
「東の果ての、グラウヴァルト辺境伯領の話だろ?」
「ああ。二百年呪われてた土地が、たったひと月で麦畑だらけになったって」
「なんでも、新しく来た文官ってのがとんでもない奴でな。悪徳商会の不正を一瞬で暴いて、借金を帳消しにして、畑に手をかざしただけで麦を実らせたらしい」
「なんだそりゃ、聖人か何かか?」
「いやそれが、本人は『ただの経理です』って言い張ってるんだと」
「はははっ、なんだそりゃ! そんな経理がいてたまるかよ!」
レオンの足が、ぴたりと止まった。
――経理。
「……レオン様?」
「…………いや」
レオンは、首を振った。
「なんでもない。行くぞ」
まさか。
そんなはずはない。あの、戦闘中に後ろで突っ立っていただけの男が。
レオンは、聖剣の柄を強く握りしめた。
その手には、ひと月前にはなかった皺が、うっすらと刻まれ始めていた。




