198話 カインの悩み
「シルビア様……!シルビア様……!」
カインがシルビア女伯の肩を揺すりながら、何度も声をかける。すると、シルビア女伯はゆっくりと瞼を開いた。長いまつげが微かに震え、ぼんやりとした目で俺たちを見つめる。
「ふぁ……何ぃ?」
欠伸をしながら、シルビア女伯は身体を起こした。そして、まるで幼子のように目を擦る。その姿にはどこか愛嬌があったが、幼子というにはいささか歳がいっているはずなのに……と、そんなことを考えている場合ではない。
俺の考えた『特別訓練』を早くシルビア女伯に体験させなければ、せっかく興味を持ってくれた彼女がまた面倒くさがってしまうかもしれない。焦る気持ちを抑えつつ、俺は彼女に向かって話しかける。
「シルビア様、座学は退屈でしょうから、今から魔法を使った特別訓練をシルビア様に体験して頂こうと思いまして……ぜひ、どうでしょう?」
俺の言葉に、シルビア女伯の目がぱっと輝く。身体を少し乗り出し、興味津々といった様子で俺の顔を覗き込んだ。
「特別……!やりたい……かも!」
彼女の反応に俺は内心安堵する。よし、乗り気になってくれた。今がチャンスだ。
「それでは、校庭に出ましょう!」
俺たちは揃って校庭へと足を踏み出した。外に出ると、爽やかな風が頬を撫でる。陽の光が差し込む広々とした空間は、まさに実践訓練に最適だった。
シルビア女伯は辺りを見回しながら、期待に胸を膨らませたように小さく跳ねる。
「それで……特別訓練って何をするの?」
彼女は楽しげに身体をもじもじと揺らしている。その様子に、俺は咳払いをひとつして気持ちを整えた。
「ごほん……特別訓練とは――」
「特別訓練とは……?」
俺は少し間を取り、ゆっくりと口を開く。
「実践です!」
「へ?――」
―――。
数分後。
「いいいいいやあああああ!!!」
シルビア女伯の悲鳴が校庭に響き渡る。広い校庭に反響するその声は、まるで拷問でも受けているかのような必死さを孕んでいた。
俺は今、容赦なく水元素魔法を放ち続けている。
水の塊が次々と彼女に向かって飛び、シルビア女伯は悲鳴を上げながらも、必死にそれを回避する。
彼女の手には一本の剣が握られており、俺の魔法を回避するか、その剣で弾きながら、魔法の感触を肌で覚えていく。
魔法を知るには、こうした身体で覚える訓練方法が一番効果的だということは、俺が一番よく知っている。
しばらく適当に魔法を撃ち続けていると、シルビア女伯の動きが鈍くなってきた。体力が尽きかけているのだろう。息が荒くなり、動きに切れがなくなったのを見計らい、俺は魔法を撃つ手を止めた。
「はぁ……はぁ……!」
シルビア女伯は膝に手をついて荒い息を吐く。額に汗がびっしょりと浮かび、砂や泥で着ている服はすっかり汚れてしまっていた。しかし、その表情はどこか満足げな笑顔を浮かべている。
「どうですか? 少しは魔法について理解できましたでしょうか?」
俺が問いかけると、シルビア女伯は息を整えながら笑って答えた。
「えぇ……! 少しはね! こんな風に魔法を体感するのは初めてだったけれど、思った以上に面白いわね。自由に使えたら、どれほど楽しいんでしょう!」
その言葉に、俺は頷きつつ続ける。
「それじゃあ、今から魔法の勉強に戻りますか?」
しかし、シルビア女伯は苦笑しながら頭を横に振り、地面に突き立てていた剣を引き抜く。そして、疲れ切った様子で肩を落としながら言った。
「ううん、もう夜遅いし……正直、もう一歩も動けないわ。今日のところはここまでにしておきましょう。また明日も魔法を教えてくれるかしら?」
「もちろんです。次はもっとレベルを上げましょうか?」
俺が冗談めかして言うと、シルビア女伯は苦笑しながら手を振る。
「ちょ、ちょっと待って。それは考えさせてちょうだい……!」
それでも彼女の表情には、明らかに充実感が漂っていた。
「分かりました。よければ送りますよ?」
俺が提案すると、シルビア女伯は学園の門の方を指さした。
その先には彼女の迎えと思われる馬車が止まっている。
「すでに迎えが来てるから大丈夫よ。それと、ここの認可の件だけれど、今日中に国王の所へ申請を出しておくわ。だから、安心してちょうだいね!」
そう言いながら、シルビア女伯は疲労困憊ながらも満足げな表情で歩き出した。その背中を見送りながら、俺は少しだけ安堵の息をつく。
そして、シルビア女伯は軽やかに馬車へと駆け寄った。
迎えに来ていた執事と何か話しているようだ。彼女は満足げな笑顔を浮かべ、訓練を終えた充実感がその表情からにじみ出ている。
しかし、シルビア女伯の服の汚れに気づいた執事は、驚きを隠せない様子で目を丸くしていた。きっと、貴族のお偉いさんがこんなに泥まみれになることなど想像もしていなかったのだろう。
その様子を見届けると、俺たちは学園の中へと戻った。夜の冷たい空気が肌を刺し、先ほどまでの訓練の熱気が少しずつ引いていく。
校舎の一室で椅子に腰を下ろし、一息ついた俺は、隣にいたカインに話しかけた。
「よかったですね! シルビア女伯が国王に申請してくれるみたいで!」
俺の言葉に、カインはゆっくりと頷く。しかし、彼の表情はどこか曇っていた。
「どうしたのさ、カイン。嬉しくないのかい?」
ルミエラが不思議そうに尋ねると、カインは慌てて首を横に振った。
「いや! 違うんだ。ここが守られるのは嬉しいことなんだが……少し不安でな……。」
「不安?」
俺が首を傾げると、カインは少し考え込むような仕草を見せ、ゆっくりと口を開いた。
「子供たちのことだよ。もし申請が通って、ここが国公認の学園になったとしたら、環境の変化が子供たちにとってストレスにならないかって……。」
そう言ったカインの表情には、心から子供たちを気にかけている優しさが滲んでいた。
「それに……国公認ともなれば、きっと貴族の子供たちも入学してくるだろう? その時、今いる子供たちが肩身の狭い思いをしないか心配なんだ。貴族の子供たちと一緒に過ごすことで、身分の違いを気にするようになったら……あいつらが萎縮してしまうんじゃないかって……。」
カインの言葉に、俺もルミエラも沈黙する。確かに、それは俺たちが考えていなかった問題だった。
シルビア女伯が国王に申請してくれることで、学園の未来は守られるかもしれない。
しかし、その未来が子供たちにとって本当に良いものになるのかどうか――それは、俺たち自身がしっかり考えなければならない問題だった。
だが、俺はそんなカインの心配そうな顔を見て、ふっと笑った。
「多分、大丈夫じゃないですか?」
「え?」
カインは驚いたように俺の顔を見る。
「今いる生徒たちは、先行して俺から魔法を学んでいます。最近は毎日しっかりご飯も食べられているし、体力もついてきている。それに、剣や魔法の技術も着実に伸びていますよ。毎日の訓練の成果が、確実に彼らを強くしているんです」
俺は腕を組みながら、ここ数カ月の生徒たちの成長を思い出した。
最初は頼りなかった彼らも、今では魔法や剣を手に取り、自信を持ち始めている。訓練の中で自分の力を実感し、仲間と共に切磋琢磨することで、彼らは確実に逞しくなっていた。
「おそらくですけど……そこら辺の貴族の子供より、よっぽど強いんじゃないですか?」
俺の言葉に、カインは目を瞬かせた。
「身分の差なんて、力があれば何も気にすることはないですよ!」
俺は自信を持って言い切った。
実際、学園の生徒たちは苦しい環境の中で生き抜いてきた。その経験が、彼らの力となっている。
貴族の子供たちがどれほど裕福で恵まれた環境にいたとしても、彼らのような実戦経験や鍛え上げられた精神力は持っていないはずだ。
カインは少し考え込んだあと、ふっと口元を緩めた。
「……そうかもしれないな」
彼の表情から、少しだけ不安が和らいだように見えた。
その後、今日の夜は早々に解散し、明日のシルビア女伯の再訪に備えることにした。
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