199話 一人目
シルビア女伯の初来訪から数日が経った。
あの日以来、彼女はほぼ毎日俺たちの元を訪れていた。
最初こそ遠慮がちだったものの、今ではすっかり学園に馴染んでいる。さらに、最近は屋敷から出ることが増えたらしく、メイドや執事たちもその変化に驚いているらしい。
つい先日も、彼女を迎えに来た執事が泣いて喜んでいたほどだった。これまでシルビア女伯がどれほど屋敷に引きこもっていたのかが伺える。
そして、先日シルビア女伯が国王に送ったカインの学園の認可申請についてだが……俺たちの不安をよそに、予想以上に良い返事が返ってきた。
学園の修繕や維持費、その他諸々の経費をヒルデアの税金で補助してもらえることが決まり、さらには国外から魔法の教師を招聘する許可まで得られた。
現在この学園に通う生徒には奨学金制度が導入され、貧困問題も大きく改善される見通しだ。
どうしてここまで良い返事をもらえたのか、不思議に思い、俺はシルビア女伯の執事に尋ねてみた。すると、その理由は意外なものだった。
なんと、シルビア女伯自身が申請書に魔法と剣術の融合の有用性について、熱心に書き連ねたのだという。しかも、あの“めんどくさがり”のシルビア女伯がここまで力を入れた事案だということで、国王の興味を引いたらしい。
「ここまでシルビア女伯が熱を上げている案は面白そうだ。」
これが国王の言葉だったそうだ。
結果として、シルビア女伯の熱意が学園の未来を大きく変えることとなったのだ。
そして、この支援にはカインや生徒たちも大いに喜んでいた。
正式な学園となったことで、彼らは学歴を持つことができ、将来の仕事探しにも大きな助けとなる。カインの言っていた“生きる術”が、より確実なものへと変わりつつあった。
シルビア女伯からこの話を聞いたその日から、さっそく学園の改修が始まった。
しかし、それを良く思わない者たちもいた。
学園を不法に取り壊そうとしていた“あいつら”――この世界の不動産管理業者たちは、改修を阻止しようと暴挙に出た。
だが、魔法を習得した生徒たちによって返り討ちに遭い、そのまま衛兵たちに引き渡されてしまった。その後の行方は知らないが、街の酒場に入り浸っていたルミエラの情報によると、シルビア女伯に代わって土地の管理をしていたという別の貴族が最近失脚したとの噂が流れていた。
おそらく、その貴族こそが今回の一件の元凶だったのだろう。
この件について、シルビア女伯は深く反省し、カインに謝罪をした。カインは驚きつつも、「知らなかったのなら仕方ない」と苦笑し、許す姿勢を見せた。
そして、学園が守られ、子どもたちの未来も安泰となった今、ようやくカインをこの場所に縛るものはなくなった。
全てが終わり、ようやく落ち着いてきた頃、俺は再度カインに提案をした。
「カインさん。俺たちと一緒に戦ってくれませんか?」
誰もいなくなった夜の学園。月明かりが薄く照らす静かな校庭で、俺とルミエラ、そしてカインの話し合いは始まった。
カインは俺の言葉を受け、しばし沈黙する。夜風が木々を揺らし、遠くで梟の鳴き声が響いた。カインは腕を組み、瞳を伏せたまま思案している。彼の背中からは、迷いや葛藤が伝わってくる。
「……俺は、ずっとここを守ることが俺の役目だと思っていた。でも、それももう果たしたのかもしれない。」
ゆっくりと顔を上げたカインは、遠くに見える改修中の学園を見つめる。その表情はどこか寂しげで、それでいてどこか吹っ切れたようにも見えた。
「この学園はもう大丈夫だ。子どもたちにも未来がある。俺がいなくても、ここはきっとやっていける……そう思うようになった。」
「だったら……」
俺が言葉を続けようとすると、カインはわずかに笑って俺を制した。
「でもな、カイル君。俺は剣を握る理由を見つけられるだろうか?」
その言葉には、カイン自身の迷いが滲んでいた。剣を振るうことに意味を見出せるのか、自分が本当に戦うべきなのか。彼はまだ、その答えを見つけられていない。
ルミエラが腕を組みながら軽く息を吐く。
「別に深く考えなくてもいいんじゃないかい?戦う理由なんて、やりながら見つければいいんだよ。」
「……やりながら、か。」
カインは小さく呟くと、再び考え込んだ。
俺は静かに彼を見守る。どんな答えを出すかはカイン次第だ。俺たちは無理強いするつもりはない。ただ、一緒に戦ってほしいという気持ちは本気だった。
しばらくして、カインは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。そして、俺たちの方へと向き直る。
「……もう少しだけ、考えさせてくれ。」
その言葉に、俺は頷いた。
翌日、改修作業が再開しだした早朝、俺とカインは校庭の隅に立ち、訓練を続ける子供たちの姿を静かに見守っていた。
朝日が昇り始め、空気は少し肌寒いが、子供たちはそんなことを気にも留めず、木剣を振り、魔法の詠唱を繰り返している。彼らの額には汗が滲み、真剣な表情が浮かんでいた。
そんな彼らの姿を目にしながら、俺はふと隣のカインを見る。彼の視線もまた、訓練に励む子供たちに向けられていた。
昨日の夜、カインは自分が戦うことについて迷っていた。学園を守るために剣を振るってきた彼にとって、その戦いの意味は明確だった。だが、その使命が果たされた今、彼の中に残るものは何なのか。
俺は声をかけようとしたが、カインの表情を見て、言葉を飲み込んだ。
半年間、彼はこの学園を守るために戦い続けてきた。
学園を取り壊そうとする輩から学園を守り、不安を抱える子どもたちに安心を与え、学びの場を維持するために力を尽くした。
その重圧は計り知れない。もしかすると、彼はもう疲れてしまったのかもしれない。戦う気力を失ってしまったのかもしれない。
「……」
カインは静かに息をつき、腕を組んだまま微動だにしない。彼の心の中にある葛藤を、俺はただ見守るしかなかった。
※※※
俺は学園の中庭で一人、じっと空を見上げていた。
昨夜、カイルから戦うことを提案された。
今までは、戦うことに迷いなどなかった。
子どもたちを守るため、学園を壊そうとする連中を追い払うため、そして何より、ここを自分の居場所だと認めさせるために、剣を握り続けてきた。
だが、今は違う。
学園は正式に国に認められ、修繕も始まった。子どもたちも魔法や剣術を学び、強くなった。
何より、これからは国の支援がある。もう、俺が居なくても学園は守られる。
——ならば、俺が戦う理由はもう、どこにもないのではないか?
そんな考えが頭をよぎるたび、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような気がした。
学園のために戦うことは、俺にとって誇りだった。
だが、それがなくなった今、俺は何を目指せばいい?
戸惑いを抱えたまま、俺は目の前の光景を眺める。
学園の校庭では生徒たちが剣を振るっていた。
「……」
気がつけば、俺は彼らをじっと見つめていた。
訓練に励む生徒たち。
誰もが真剣な眼差しで、必死に剣を振るい、魔法を操る。
子どもたちは確かに強くなった。
半年前、俺が初めてここに来たときよりも、遥かに逞しくなっている。
しかし、だからといって——
(あいつらが、外の世界で本当に生き抜けるのか……?)
ふと、そんな疑問が浮かぶ。
この学園の中では、彼らは守られている。だが、一歩外へ出れば、彼らを狙う悪意に満ちた世界が広がっている。
学園が正式に認められたことで、貴族の子どもたちも入学してくるだろう。身分の違いに戸惑う者も出るかもしれない。嫉妬や軋轢が生まれる可能性だってある。
学園の中だけで強くなったつもりでも、外の世界はそれほど甘くはない。
「まだ……足りないかもしれないな……」
俺はポツリと呟いた。
学園を守る戦いは終わった。
だが、彼らが自分の力で未来を切り拓けるようになるまで——俺は、まだ戦うべきなのではないか?
「やっと、考えがまとまったようですね。」
不意に後ろから声がした。
振り向くと、カイルが笑みを浮かべて立っている。
「……カイル君、いつからいたんだ?」
「最初から居ましたよ?カインさんがまだ悩んでいるようなので見てました。」
カイルはいつもの調子で肩をすくめると、俺の隣に立ち、訓練する生徒たちを見つめた。
「学園が国に認められて、もう大丈夫だと思ってましたか?」
「……そう思いたかったさ」
「でも、まだ足りないと思ったんですよね」
俺は無言のまま、訓練場の光景を見つめる。
「学園は守られました。でも、ここはあくまで学ぶ場であって、ゴールじゃない。いつか彼らが学園を出るとき、その先の世界で生きていけるかどうか……それはまだ分からない」
カイルの言葉に、俺は息を呑む。
「だからこそ、カインさんが戦う意味はあると思いますよ」
「……俺が?」
「カインさんがこの半年でやってきたことは、学園を守ることだけじゃない。あの子たちを強くしたのも、カインさんの力です。だったら、その未来を守ることも、カインさんにできるんじゃないですか?」
俺は再び、生徒たちを見つめた。
……あいつらが、この先どんな未来を歩むのか。
俺には分からない。
だが、一つだけ分かることがある。
この半年間、俺は彼らのために戦ってきた。
それはもう終わった、と思っていた。
でも、それは間違いだった。
子どもたちが本当の意味で独り立ちし、外の世界で生きていけるようになるまで——
「……まったく、君は本当に、面倒なことばっかり言うな」
苦笑しながら、俺は剣を握る。
「だが、確かに……もう少しだけ、この剣を振るうのも悪くないかもしれないな」
カイルは満足そうに笑った。
そうだ。
俺の戦いは、まだ終わっていない。
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