196話 怠惰の領主
シルビア女伯の自室の扉を開けると、まず目の前に広がったのは――大きなベッドだった。
いや、"大きな"なんてものじゃない。
部屋の半分以上を占領するほど巨大なベッドが、そこに堂々と鎮座していた。
その周囲には豪華なカーテンや天蓋、繊細な刺繍が施されたベッドスカートがあしらわれ、まるで王族の寝室のような雰囲気を醸し出している。
このベッドに寝る者が、並の貴族ではないことは一目で分かった。
だが――
そのベッドのど真ん中に座っている女性は、その豪華な装飾とは到底釣り合わない格好をしていた。
銀髪に青い瞳を持つ、まさに"美"を具現化したような絶世の美女。
しかし――
髪はところどころ跳ね、枝毛すら目立つ。
服は着ておらず、純白の下着姿のままベッドに座っている。
目は眠たげで、威厳のかけらもない。
俺とルミエラは言葉を失った。
そんな俺たちをよそに、部屋の中では複数のメイドたちが機敏に動き回っている。
「シルビア様、朝食の準備が整っております。」
「シルビア様、まずは髪を整えさせてください!」
「お召し物をこちらにご用意いたしました。さぁ、お着替えを!」
まるで戦場のようにテキパキと動くメイドたちの中心で、シルビア女伯は力なく寝そべりながら、ぐったりと呟いた。
「……もう少し……もう少しだけ待って……今起きるから……。」
(絶対起きる気ないやつだ、これ。)
俺とルミエラは顔を見合わせ、ため息をついた。
「……これは時間かかるね。」
「ですね……。」
俺たちは黙って待つことにした。
――それから約三十分後。
ようやく彼女の身なりが整い、貴族らしいドレスをまとったシルビア女伯が姿を見せた。
だが、ベッドから降りる気配はない。
ちょこんとベッドの真ん中に座ったまま、俺たちをぼんやりと見つめている。
「……で、貴方たち、私に何の用なの?」
(いや、せめて椅子に座るとかしないのか、この人……!?)
俺は一瞬ツッコミたくなる気持ちを必死に抑え、静かに口を開いた。
「シルビア・アルダビス女伯。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。」
「別に、忙しくないわよ?」
「……え?」
「だって、めんどくさいことは全部、メイドや執事に任せてるもの。」
「…………。」
(うわぁ……この人、本物の"めんどくさがり"だ。)
俺は心の中で頭を抱えながらも、気を取り直して本題に入ることにした。
「本日は、東区にある自営業の学園をシルビア様に正式に認可していただくため、お願いに参りました。」
すると、シルビア女伯は、ぽかんとした表情を浮かべた。
「……あー、それなら無理。」
「即答!?」
俺とルミエラは思わず声を揃えて叫んだ。
「だって、そんなのめんどくさいもの。」
シルビア女伯の発言に、俺たちは驚愕を隠せなかった。
めんどくさい。
それだけの理由で、一切の説明もなく学園の認可を拒否したのだ。
(ここまでの"めんどくさがり"は、もはや才能だ……。)
俺は内心で頭を抱えながらも、食い下がることにした。
「面倒くさいなら、今の提案もメイドや執事に任せればいいのでは……?」
俺がそう言うと、シルビア女伯は髪の端をくるくる巻きながら、力なく答えた。
「貴方たちの提案ってつまり、ヒルデア全体でその学園の管理や資金援助をすることでしょう?」
「そうですね。」
「それを決めるには、私が首都の国王に申請を出して、さらに審議会で予算を確保して、それから実際に書類をまとめて――」
シルビア女伯は話しながら、目を瞑り、寝転びながらベッドのクッションを抱きしめた。
「――うん、やっぱりめんどくさい。」
「……。」
シルビア女伯は途中で考えるのを諦めた。
さすがに俺もルミエラも呆れ果てたが、ここで諦めるわけにはいかない。
俺はぐっと拳を握りしめ、再度交渉を試みる。
「女伯様。ですが、剣士の国アルガドにおいて"魔法を組み込んだ新たな戦闘技術"を確立できれば、ヒルデアの名声はより高まるでしょう。」
すると、シルビア女伯は少しだけ瞼を開いた。
「魔法?……続けて?」
(――興味を持ったか?)
俺は小さく息を吸い、続ける。
「さらに、ヒルデア発の"剣と魔法の学園"が成功すれば、他国からも優秀な剣士や魔法使いが集まり、この街の経済も潤います。技術の交流が進めば、より強力な"魔剣"の開発にもつながるかもしれません。」
シルビア女伯はふむ、と考え込むような仕草を見せた。
「確かに……それならヒルデアの利益になるし、予算の確保もしやすいかもしれないわね。」
少しだけ前向きな返答に、俺たちは小さく安堵する。
だが――
「でもやっぱり……めんどくさいわ。」
「やっぱり……!」
俺とルミエラは同時に叫んだ。
こんなにも順調に進めてきた計画が、一人の"めんどくさがり"によって阻まれている。
どうする……?どうすれば、この怠惰な領主を動かせる……?
俺たちは互いに顔を見合わせ、次なる一手を考え始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺はシルビア女伯を制止しつつ、ルミエラの腕を引っ張り、少し距離を取った。
そして、互いに顔を寄せ、小声で話し始める。
「ルミエラさん!これ、どうしましょう!?」
「うーん……。」
ルミエラは少し考える素振りを見せたあと、人差し指を立てて答えた。
「さっきカイル君が"魔法"って言ったとき、シルビア女伯の反応が少し変わったのが分かるかい?」
ルミエラの言葉に、俺は先ほどの記憶を探る。
確かに、俺が"魔法"という単語を出したとき、シルビア女伯の態度が少し変わったような気がする。
「はい……覚えています。」
「それだよ。」
ルミエラは小さく頷く。
「もしかすると、シルビア女伯は魔法に何らかの関心を持ってるのかもしれない。そこを突いてみる価値はあると思うね。」
「なるほど……」
俺は考えを巡らせる。
ここは、シルビア女伯が"魔法"に関心を持っている可能性に賭けるしかない。
俺は深呼吸し、シルビア女伯の前に戻った。
「女伯様、先ほど"魔法"という単語を出した際、少しだけ反応が変わったように見えました。もしかして……魔法に興味がおありなのでしょうか?」
シルビア女伯は、俺の問いに対して一瞬目を見開いたが、すぐに視線を逸らす。
「別に……そんなことは……ないわ。ただ、ちょっと聞き慣れない単語だったからよ。な、なんたってここは剣士の国なんだから……!”魔法”なんてあまり耳にしないわよ。」
(……明らかに動揺している!)
ルミエラも同じことを感じたのか、ニヤリと笑って俺の肩を軽く叩く。
「へぇ~、じゃあ女伯様は魔法とか使えないんですか?」
「そ、そうよ。私も剣士の家系だし、魔法なんて興味もないわ。」
シルビア女伯はそっぽを向きながらそっけなく答えるが、その頬が微かに赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
(これは……もしや……?)
俺は大胆な仮説を立ててみる。
「女伯様……もしかして、魔法が使えないことにコンプレックスをお持ちなのでは?」
「――!?」
シルビア女伯の肩がビクンと震えた。
(図星か!?)
ルミエラも口元を押さえてクスクス笑っている。
シルビア女伯は気まずそうにベッドの上で身をよじらせながら、小さな声で呟いた。
「……ちょっとくらい、使えたらいいな、とは思ってるけど……」
(やっぱり!!)
この瞬間、俺は確信した。
シルビア女伯は"魔法を使いたい"のだ。
しかし、アルガド王国は剣士の国。さらに貴族の家に生まれた彼女にとって、"魔法を学ぶ"という選択肢はなかったのだろう。
「なるほど……それなら、女伯様にも"剣と魔法の学園"は魅力的なものになるはずです!」
俺は自信を持って言い切った。
「な、何よそれ……。」
シルビア女伯はそっぽを向くが、耳が赤くなっているのが丸わかりだ。
俺は畳みかける。
「女伯様!ぜひ一度、私が教える魔法を体験してみてください!魔法が使えたら、きっと"めんどくさい"ことも楽になるかもしれませんよ?」
「……。」
シルビア女伯は腕を組み、しばらく考え込んだ。
そして、しばらくの沈黙の後――
「……じゃあ、一度だけ……一度だけ!試してみるわ。」
この瞬間、俺たちは"めんどくさい"領主を動かすことに成功したのだった。




