188話 剣士の国
首都を出発してから、すでに約二時間が経過していた。
馬車の車輪が柔らかな土を踏みしめ、ゆったりとした揺れが続く。
ルミエラが手綱を握り、馬を操りながら、俺は車内で景色をぼんやりと眺めていた。
ノワラ国の首都を離れ、しばらくはのどかな田園風景が広がっている。
遠くには緩やかな丘陵地帯が続き、まだ見慣れた土地の空気が残っていた。
しばらく風景を見ていると、俺はふと重大なミスに気がついた。
「……あ!!!」
思わず大声を上げてしまう。
「うわっ!? びっくりしたぁ!」
ルミエラが肩をビクつかせ、ギロリと俺を睨んできた。
「な、なんだよいきなり大声出して!?」
俺は思わず平謝りする。
「す、すみません……実は、両親に別れの挨拶をするのを忘れてて……」
「……は?」
ルミエラの顔が一瞬で呆れたものに変わる。
「はぁ!? あんた、いや……え!?何やってんの!?」
彼女が手綱を握ったまま振り向き、驚愕の表情で俺を見た。
「いやぁ……急でしたから……。」
言い訳じみたことを言うと、ルミエラは大きなため息をつきながら頭を振る。
「はぁ……カイル君、まさかあんたがそこまで親知らずな奴だとは思わなかったよ。ご両親も可哀想に……。」
ぐうの音も出ない。
「どうしよう……。」
俺は思わず呟いた。
しかし、ルミエラは面倒くさそうに頭を掻きながら、簡単な解決策を提示した。
「どっかの街に着いたら手紙を出してもらえばいいじゃん。あんたの名前と、ディレオス王の名前を出せば必ず届けてもらえるだろ。」
「それだ!」
俺は思わず手を叩き、すぐさま荷物の中から紙とペンを取り出し、筆を走らせる。
本来ならば直接伝えるべきだった言葉を、紙に託すしかない自分が少し情けない。
父親は静かに頷いて受け入れてくれたかもしれないが、母親はきっと怒りながら泣いているだろう。
想像するだけで胸が痛む。
手紙を書き終えると、俺は深く息を吐いた。
「……よし。」
「ちゃんと書けた?」
ルミエラがちらりと馬車の中を覗き込む。
「はい。あとはどこかの街か村に着いたら郵便屋に託すだけです。」
「ったく……最初っからそうすればよかったんだよ。」
ルミエラは呆れたように笑いながら、馬の手綱を引き締める。
「さぁて、次の街まであと二時間くらいかね。ぼちぼち気合い入れて行くか!」
「そうですね。」
俺はしっかりと手紙を封じ、荷物の中に大切にしまい込んだ。
ノワラ国を出発してから、さらに数日が経過し、すでに知った風景は見えなくなっていた。
馬車の車輪がかすかに砂利道を擦る音だけが、静かな道中に響いている。
「おーい、カイル君。次の国に入ったぜ。」
馬の手綱を握っていたルミエラが、前を見据えたままそう言った。
俺は馬車の窓を開け、外の景色をじっと見つめる。
目の前には、アルガド国の国境が広がっていた。
剣士の国――アルガド。
ノワラ国の南に位置する国で、魔法よりも剣の道を極める者たちが多いことで知られている。
この国に住む者のほとんどが、先祖代々剣士の血を引いており、
その名の通り、国内には多くの剣術道場や学園が存在する。
(剣士の国か……。)
俺はふと胸が高鳴るのを感じた。
剣――それは、まるで“武士”や“侍”を連想させる響きがあり、妙に男心をくすぐる。
どんな剣士がいるのか? どんな技を使うのか?
興味は尽きない。
「剣士の国っていうからには、強いヤツもゴロゴロいるかも……。」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
「おいおい、まさかもう腕試しがしたいとか言うんじゃないだろうね?」
ルミエラが呆れたように振り返る。
「いやいや、さすがに今日はもう夜遅いですし……」
俺は苦笑しながら、目の前に広がる村へと視線を戻した。
村の入り口には、古びた木の看板がかかっている。
そこには“エルド村”と記されていた。
規模は小さいものの、こんな夜中なのに村のあちこちに灯りが点り、
人々の賑わいがまだ残っている。
「お、結構活気がありますね。」
俺がそう言うと、ルミエラが鼻を鳴らす。
「この国の住民は基本的に朝より夜の方が賑わうらしいよ。戦士たちは昼間に訓練や仕事をして、夜になると酒場に集まるんだってさ。」
「なるほど。」
確かに、道端では筋骨隆々の男たちが酒瓶を片手に談笑している姿が見える。
武具屋もまだ開いており、店主が剣の手入れをしていた。
なんというか……“戦士の国”って感じがする。
「とりあえず、手紙を出しに行ってきます。」
「あぁ。」
俺は村の郵便屋を探し、足早に向かった。
郵便屋は、村の中心にある小さな石造りの建物だった。
扉を開けると、中には赤い帽子を深くかぶった老人がカウンターに座っていた。
彼は帳簿を確認しながら、俺に気づくと顔を上げた。
「おや、坊ちゃん。その杖……まさか魔法使いかい?」
俺が頷くと、老人は顎を撫でながら「ふむ」と唸る。
「ノワラ国から来たんです。」
そう答えると、老人の表情が明るくなった。
「ノワラ国か! そういえば最近、勇者が現れて魔王を倒したんだって?名前は確かぁ……」
彼はしばらく考え込んだが、思い出せないのか、すぐに手を振った。
「んまぁ……良いか。坊ちゃん、名前は? 名簿に書かないとだから。」
「カイル・ブラックウッドです。」
俺が答えると、老人は用紙にペンを走らせながら復唱する。
「カイル……うん、ブラックウッド君ね。この手紙、確かに受け取ったよ!」
「よろしくお願いします。」
しっかりと手紙を預けた俺は、急いで馬車の方へ戻る。
「おう、終わったか?」
馬車の横で待っていたルミエラが俺に声をかける。
「はい、お手数を……。」
俺がそう言うと、彼女は馬車から飛び降り、軽く腰をひねった。
「うーん! よし! それじゃあ今日はもう遅いし、ここで泊まって、明日はもっと奥の方に行こう。“影”の情報も集めやすそうだし!」
「そうですね!」
村の宿を探すため、俺たちは歩き出した。
その時――
「ゆ! ゆ……! 勇者じゃったのかあああ!!!」
先ほどの郵便屋の老人が、突然大声で叫び出した。
「え?」
俺は振り返る。
老人は目をまん丸にし、顔を真っ赤にしながら周囲の人々に血相を変えて話しているようだった。
その様子を見ていたルミエラが、ぼそりと呟く。
「……あのおっさん、なんか叫んでるぞ?」
「どうしたんでしょうかね。」
俺たちは特に気にすることもなく、そのまま宿探しに意識を向けた。




