185話 黒い影
オレンジ色の夕焼けが空を染める中、俺は静かに帰路についていた。
今日の訓練はかなり激しいものだったが、そのおかげか、最近溜まっていたストレスもだいぶ軽減された気がする。久しぶりに全力で魔法を使い、身体を動かせたのはやはり気持ちがいい。
(やっぱり、戦うって楽しいよな。)
そんなことを考えながら歩いていると、後ろからトボトボとした足音と、疲れ切った二人の声が聞こえてきた。
「カイル君……初日から張り切りすぎだよぉ……」
「これが、勇者の訓練なんですね……死にそう……」
振り返ると、エリスとルークが泥だらけの姿で歩いていた。
髪には枯れ葉が絡まり、服は土と汗でぐちゃぐちゃ。エリスは腕を抱えてぐったりとし、ルークに至っては今にも倒れそうな顔をしている。
「二人とも、そんなことで弱音を吐いてたら、魔王討伐なんて夢のまた夢ですよ。」
俺がさらりと言うと、エリスは歯を食いしばりながら拳を握りしめ、ルークはオドオドとした表情で俺を見た。
「そんなに……強いんですか?魔王って……」
ルークの不安そうな声に、俺は真剣な声色で答えた。
「……うん、強かった。みんなで掛かっても、死ぬかと思うほどに。」
俺の言葉に、エリスとルークがゴクリと息を飲むのが聞こえた気がした。
(あの時の戦いを思い返すと、やっぱり俺たちは運が良かったんだよな……)
ヴァルグ・アシュヴァルを倒せたのは、決して俺一人の力ではない。多くの仲間がいたからこそ、勝利を掴み取れた。だが、もし次に戦う魔王が、さらに強かったら……?
そんなことを考えていると、不意にルークが小さく呟いた。
「……それでも!今日のはちょっとやりすぎでしたけどね!?」
俺はそのツッコミに苦笑いを浮かべた。
確かに、考えてみれば少しやりすぎたかもしれない。初日から回避訓練を実戦レベルでやらせたり、魔力切れギリギリまで魔法を使わせたり……。
(……次からはもう少し、段階的にやるか。)
今後の訓練の進め方を反省しながら、俺たちはそれぞれの帰路についた。
帰り道、ふと気になったことがあったので、エリスに聞いてみた。
「そういえば、二人ってどこに住んでるんですか?」
エリスは少し考えるような仕草をしたあと、口を開いた。
ルークはなんだか驚いたような表情をしているが、エリスが静止する。
「私、実の両親を幼い頃に亡くしててね……。今はルークのお家に養子として迎え入れられているの。」
「そ、そうだったんですか……」
俺は知らず知らずのうちに、少し表情を曇らせた。
エリスは、これまで明るく振る舞っていたが、彼女はさらに苦しい過去を抱えていたのだ。
「でも、大丈夫!ルークの家族はすごく優しくしてくれるし、今は幸せだよ。」
そう言って微笑むエリスは、どこか儚げだった。
(……すごいな、エリス。)
両親や恩人を亡くしながらも、強く生きてきた彼女の精神力は、本当に尊敬するべきものだ。
俺は、ふと胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
(俺も、もっと強くならなきゃな。)
そんなことを考えながら、俺は宿へと足を運んだ。
宿に戻ると、俺はすぐにベッドに倒れ込んだ。
「ふぅ……今日は疲れたな……」
天井を見上げながら、今日の出来事を振り返る。
久しぶりに両親と再会したこと。エリスとルークと一緒に訓練をしたこと。
(明日からは、もう少し計画的に訓練をしよう。)
そう決意しながら、目を閉じる。
ゆっくりと、意識が闇に沈んでいく。
今日もまた、一日が終わる。
俺の旅立ちの日は、確実に近づいている。
―――。
それからも、俺の日常は変わらず続いていた。
毎朝、エリスとルークの訓練に付き合い、学園の授業が始まる直前まで指導を行う。
フェンリたちが授業をしている合間、学園の図書館で魔導書を読み漁り、夕方にはフェンリたちと合流して街へ繰り出す。
そんな日々を過ごし、あっという間に五日が過ぎた。
そして、その五日目の朝――王城からの召喚が届いた。
(旅支度が整ったのか? )
そんなことを考えながら王城へ向かうと、ちょうどルミエラとアルマも城門前に到着していた。
「おぉ、カイル君!どうだい? 充実した青春を謳歌できたかい?」
ルミエラが軽く笑いながら言う。
「えぇ、楽しめましたよ。」
俺はそう返しつつ、アルマに目を向けた。
「アルマさんは、決まりましたか? ここに残るのか……エグザミートに戻るのか。」
アルマは少し驚いたように俺を見た後、口を開きかけた。
しかし、その瞬間――
「後でね。」
アルマは言葉を飲み込み、わずかに微笑む。
おそらくこの数日間で、悩みに悩んで決めたのだろう。彼女の表情には、迷いがなくなっていた。
俺たちはそれ以上は何も聞かず、王城の大扉をくぐる。
謁見の間に入ると、ディレオス国王と王妃イザベルが玉座に座っていた。
エレーナ王女の姿はない。
俺たち三人は同時に膝をつき、国王に敬意を示す。
「今日ここに集まってもらったのは、他でもない……カイル殿、ルミエラ殿。そなたらの旅支度が整ったからである。」
やはり旅立ちの準備が完了したらしい。俺は内心ホッとしつつも、これからのことを思い巡らせた。
国王は続けてアルマに視線を向ける。
「そして、アルマ殿。この数日間で決めていただけましたかな?」
国王の言葉に、アルマがそっと顔を上げる。
彼女の目には、強い決意が宿っていた。
「はい、決めました。私は――」
しかし、まさにその瞬間――
バンッ!!
突然、謁見の間の扉が乱暴に開かれた。
「お父様!!!」
その場にいた全員が驚き、一斉に扉の方を見る。
息を切らし、髪は乱れ、衣服も整っていない――まるで慌てて飛び出してきたかのような姿のエレーナ王女が立っていた。
「エレーナ!?」
国王ディレオスの驚愕の声が響く。
「エレーナ王女!!今は大事な謁見の最中ですぞ!」
「それに、体調が優れないのでしょう!? どうかお部屋に戻られた方が……!」
扉の前にいた二人の兵士が制止しようとするが、エレーナ王女はそれを振り払うように駆け出した。
まっすぐに国王へと向かい、その耳元に何かを囁く。
次の瞬間、国王の表情が凍りついた。
「何……!? それは本当なのか!?」
「はい……! 間違いありません! 敵意を持つ謎の“5つの黒い影”がこの国に迫っています……! 私の未来視はそう言っています!!」
エレーナ王女の未来視――それは彼女のもつ加護であり、これまで幾度となく王国を危機から救ってきた。
彼女の未来視は常に曖昧だが、その予言が実現しなかったことは一度もない。
国王は重々しく沈黙し、玉座の肘掛を強く握りしめた。
「“5つの黒い影”…………」
王妃イザベルも不安げな表情を浮かべる。
俺は、エレーナ王女に向き直り、恐る恐る尋ねた。
「エレーナ王女……具体的に何か見えたんですか? その“黒い影”とは、一体……?」
エレーナ王女は浅く息を整えながら、俺の方を見た。
「はっきりとは分かりません……ただ、巨大な影が5つ……それぞれ異なる姿をしているように見えました。禍々しく、まるで国を覆い尽くすような……!」
彼女の手が小さく震えているのを、俺は見逃さなかった。
未来視を発現するたびに、彼女は相当な精神的負担を受ける。
それでもこうして駆けつけ、報告するほどの事態――それがどれほど重大なものかは、俺にも察せられた。
ルミエラが腕を組みながら口を開く。
「ってことは、その5つの影がこの国を襲いに来るってことかい?」
「いえ……狙いは国ではなく……」
エレーナ王女はそこで言葉を一度区切り、鋭い視線で俺を見据えた。
「5つの影の狙いは……カイルさん、あなたなのです!」




