182話 家族
エリスと別れた後、俺は図書室で時間を潰すことにした。
授業が終わるまでの間、何をするか迷ったが、ふと思い出す。
(そういえば……1年前に途中まで読んでた魔導書があったっけ。)
あれから1年。学園を離れ、戦場を駆け、魔王を討伐し、そしてまたこの場所へ戻ってきた。
あの頃と今では、俺の立場も、力も、そして心も大きく変わったはずだ。
俺は懐かしい本を手に取り、席に座る。
「へぇ……これ、続刊出てたんだ。まぁ1年も経ってたらそりゃそうか。」
本の表紙をなぞりながら、俺は小さく呟く。
ページをめくるたびに、ほんのりとした懐かしさが込み上げてくる。
学園での何気ない日常。
机に向かい、魔法理論を学び、友人たちと語り合った日々。
あの時間は、俺にとって貴重なものだったんだと、今さらながら実感する。
(……戻ってきたんだな、俺。)
ぼんやりとした思考を巡らせながら、俺は黙々と魔導書を読み進めた。
―――。
どれほど時間が経っただろうか。
ふと、学園内に鐘の音が響き渡る。
「お、やっと終わったか。」
俺は本を閉じ、軽く伸びをする。
ちょうどキリのいいところまで読めたのは運が良かった。
本を元の棚に戻し、図書室を後にする。
廊下に出ると、ちょうど授業を終えた生徒たちで溢れていた。
にぎやかな話し声や、教室から出てくる音が入り混じり、活気に満ちている。
しかし、歩くスペースがなく、完全に渋滞にハマってしまった。
だが、そんな中――
「お、おい……!」
「勇者様だ……!」
俺の姿を認めた生徒たちは、ざわめきながら自然と道を開けてくれる。
(こういうときだけは、勇者って称号も便利だよな……。)
軽く苦笑しながら、俺は足を進めた。
やがて、修練場の前に着くと、ノアたちが立ち話をしているのが見えた。
みんな、それぞれの荷物を手にしながら楽しそうに話している。
「皆!」
俺が声をかけると、すぐに気づいたノアが弾けるような笑顔で駆け寄ってくる。
「カイル!」
ノアは俺の手を取り、嬉しそうに引っ張った。
「さ、行こ!」
「あ、ちょ……!」
突然の行動に俺が戸惑う間もなく、ノアはグイグイと俺を引っ張る。
「おいおい、ノア!カイルが千切れそうだ!」
「カイル!今日は付き合ってもらうからな!」
ライガやジャンガ、フェンリ、フィーニャも、次々に俺の周りに集まる。
俺は小さく笑って、彼らの後についていくことにした。
こうして、俺たちは街へ繰り出した。
食べ歩きをしたり、露店を巡ったり、くだらない話で盛り上がったり――
まるで、何もかもが1年前のままのように感じた。
だが、俺も、ノアたちも、確実に成長している。
それは、こうして再び肩を並べて歩いているだけで、十分に分かることだった。
――俺は魔王討伐を果たし、勇者として称えられた。
だが、こうして皆と過ごす時間こそが、俺にとって本当に大切なものなのかもしれない。
そして、この時間が長く続くように、俺はもっと強くならなければならない。
「よし……!」
未来へ向けた思いとともに、俺は笑顔で歩き出した。
―――。
翌朝――久しぶりに泊まった街の宿のベッドは、王城のふかふかベッドに慣れてしまった俺にとって、もはや拷問のような代物だった。
ガチガチに固いマットレスは、まるで全身を破壊しようとしているかのような感触だし、シーツのゴワゴワ具合も相まって、安眠とは程遠い夜だった。
(……これ、国王に言って改善してもらった方がいいんじゃないか?)
そんなことを考えながら、俺は大きく伸びをし、体のあちこちを鳴らした。
「ふぁぁ……最悪の目覚めだ……。」
まだ眠気が抜けきらないまま、顔を洗い、着替えをしようとしたところで――
――コン、コンっと部屋の扉がノックされた。
「ん?」
時刻は早朝。今日は休日。
(こんな朝っぱらから誰だ?)
宿の店主? それとも、ノアたちが遊びに来たのか?
どちらにせよ、急ぐ必要はない。俺は足早に着替えを済ませ、寝癖を整えながら、扉の前へと向かった。
「はーい、今出ます。」
軽く返事をして扉を開くと――
そこに立っていたのは、まさかの人物たちだった。
「……え?」
目の前にいたのは、一人の壮年の男性と、気品あふれる女性――俺の父親と母親だった。
「父上……母上!?」
驚きのあまり、思わず声が裏返る。
「どうしてここに!?」
俺の叫びを気にする間もなく、目の前にいる両親は勢いよく俺に抱きついてきた。
「カイル……!カイル……!」
母は俺の背中に腕を回し、その細い肩を震わせながら涙をこぼす。
「本当に、心配させて……!」
父は大きな手で俺の肩を掴み、普段の厳格な表情が崩れていた。
「お前……今まで俺たちが……どれだけッ!!」
父の目にも、大粒の涙が溜まっていた。
こんなにも強く、こんなにも温かい抱擁。
俺は――
(あれ、泣いて……? なんで。)
気づくと、俺の目からも涙がこぼれていた。
自分でも驚いた。
悲しいわけじゃない。嬉しい……いや、それだけじゃない。
なんというか――胸が締めつけられるような、でも同時にほっとするような、複雑な感情が心の奥底から込み上げてくる。
頭では、そこまで強く「会いたかった」と思っていたわけではないのに……
俺の意思に反して、勝手に身体が反応している。
心の奥底に、何かが揺さぶられる感覚。
これは――
(もしかして……)
そう思ったとき、俺の脳裏に ひとつの仮説が浮かんだ。
――もうこの身体に宿っていないはずの、本来のカイルの魂。その残滓が、きっと作用しているのだと。
もしそうだとしたら……
それは、この瞬間がどれほど特別なものかを示しているのかもしれない。
それに気づいた瞬間、この再会は、ただの”親子の再会”ではなく、もっと尊く、美しいものに思えた。
「……カイル、お前が生きていてくれて、本当に……本当に良かった……!」
母が震える声でそう言いながら、俺の背中をそっと撫でる。
俺は、ただ黙って、それを受け入れた。
――この瞬間だけは、何も考えずに、ただ”息子”として両親の温もりを感じたかった。




