138話 王女と少年の覚悟
「お願いします!」
俺が言葉に詰まり、どう応えるべきか悩んでいると、エレーナ王女は深々と頭を下げた。
それは、王族としての高貴な姿などどこにもない、ただ一人の少女としての純粋な懇願だった。
「どうか…どうか力を貸してください!」
その声には震えがありながらも、強い決意が宿っていた。
俺はその姿に目を奪われたまま、動くことができなかった。
「で、でも…。」
気の利かない言葉が口を突いて出る。
そんな俺のためらいを見た王女は、さらに膝を曲げ、汚れた地面にスカートを下ろし、頭を地面に擦りつけた。
「お願いします!」
震える声で、彼女は涙ながらに言葉を続ける。
「どうか、ノワラ国を…私の故郷を救ってください!お願いします!何度でも頭を下げます!どうか…!」
土埃が舞い上がるその地面に、彼女は何度も頭を擦りつけるように下げ、涙を落としていた。
王族が、ただの一般人である俺に、ここまで頭を下げるなんて――。
その光景はあまりにも衝撃的だった。
俺は思考を巡らせる。
(どうして…?どうしてそこまでして、あの国を守りたいと思えるんだ?)
俺の中には、複雑な感情が渦巻いていた。
ノワラは、俺を否定し、利用しようとし、裏切った国だ。
国王は傲慢で、己の欲望のために…私利私欲のために他人を簡単に犠牲にするような人物だ。そして、その国王に何も疑問を抱かず、盲目的に従う国民たち。俺は、そんなノワラ国が嫌いだった。
嫌悪感が沸き起こる。
しかし、俺の中の冷たい部分が告げる。
(放っておけばいい。あんな国が滅びようが、俺には関係ない。俺は、ノワラ国に借りなんて一つもない。)
だが――。
目の前にいるエレーナ王女は、そんな俺の思いとは真逆だった。
彼女は自分のプライドも、王族としての威厳も投げ捨て、土下座という無様な姿をさらしている。
それは単なる演技ではない。
本心からの行動だと分かる。その涙が、震える声が、俺に嘘だと言わせなかった。
どうして、ここまでできる?
自分の故郷を守りたいという純粋な願い。自分の家族、国民を救いたいという祈り。それを実現させるために、自らの尊厳すらも捨て去る覚悟。
こんな人間がいるのか?
俺はその姿に、ただ圧倒されていた。
気づけば、俺の心の中で、もう一つの声が囁いていた。
(――お前は、その覚悟を踏みにじるのか?)
この少女の涙と懇願を、簡単に無視していいのか?
「…どうして、そこまでして…。」
俺は思わず問いかけた。
彼女は顔を上げず、地面に額をつけたまま答える。
「私には守りたいものがあります。この国は…私のすべてです。国がなくなれば、私の帰る場所も…生きる意味もなくなります。たとえどんな苦難が待ち受けていても、私は自分の力を尽くします。でも、それでも…私は一人では足りない。」
震える声で、しかし確固たる意志を持って続ける。
「カイルさん、あなたは私にとっての唯一の希望です。どうか…どうか私の手を取ってください。」
希望——。
その言葉が、俺の胸にずしりと重く響いた。
(俺が…希望?)
俺には分からなかった。どうして俺がそんな大層な存在になれるのか。俺はただの人間だ。ただの、仲間も守れないような力のない人間だ。
しかし、この少女は俺を信じている。
自分の未来視の力で視たという確かな可能性を信じ、俺にすがりついている。
その覚悟に、俺は心を揺さぶられていた。
俺の中の冷たい部分はまだ囁いている。
(お前はあの国を憎んでいるだろう。あんな国のために命を懸ける理由なんてない。)
だが――。
俺の心のどこかで、また新しい声が湧き上がる。
(それでも、誰かを信じてみてもいいんじゃないか?)
俺の目の前で涙を流し、無様な姿をさらしているエレーナ王女の姿に、俺はどうしても嘘をつけなかった。
「……分かりました。」
震える声でそう答えた瞬間、エレーナ王女は驚いたように顔を上げた。
「カイルさん…!」
その瞳には、涙と希望の光が混じっていた。
「…俺にできることがあるなら、協力します。」
それは俺の意地だった。この世界で憎しみのままに生きてきた俺が、初めて誰かのために動くという決意だった。
エレーナ王女の頬に涙が伝う。
「ありがとうございます…本当に…ありがとうございます…!」
その姿を見た俺は、心の中で決意を固めた。
たとえその道がどんなに険しいものであろうと、俺は王女の覚悟に敬意を表し、必ず王女の悲願を叶える。
「俺が、魔王を倒します――。」
第4章 冒険者編 -終-




