137話 取捨選択
あの後、アルマも俺とルミエラの新しい訓練に参加し、的確な指示を出してくれた。そのおかげで、この2日間で少しずつ魔力の流れを掴めるようになってきた。
どうやら魔力の流れを掴めなくなったのは一時的なものだったらしい。少しずつ練習を重ねれば、以前のように魔力の流れを掴めるようになるだろう、というのがアルマの見解だ。
だが、『ゲート』を通さずに体内で魔力を動かすことは、どうやら完全にできなくなってしまった。体内の魔力の流れを塞ぐように、何か目に見えない力が道をがちがちに固めている感覚がある。
これについても、アルマは原因を結界魔法に求めたが、詳細は分からないようだ。
そんな状況のまま、3日目を迎えたとき、とうとう訓練場に備蓄していた食料が底を突いてしまった。
新たな食料を確保する必要があり、誰がアルマの家に取りに行くかを話し合った結果、俺が提案した「じゃんけん」で決めることになった。そして、見事に俺が負けることに。
「それじゃあ行ってきます。」
「おい、くれぐれも城の兵士どもに見つかるなよ!あ、肉も頼む。」
「ミルクをたくさん持ってきてね!私、朝はホットミルク派だから!」
ルミエラとアルマの注文を頭に刻み込み、俺は地上へ続く階段を登った。そして、慎重に身を潜めながらアルマの家を目指す。
道中は特に問題もなく、無事にアルマの家へ到着した。扉をそっと開けて中に入り、さっそく冷蔵庫を物色する。
しかし…この冷蔵庫、やっぱり前世で俺が知っているものとほとんど変わらない。だが、この世界の科学技術は、まだ電力というエネルギーを完全に手にしていないはずだ。
「どうやってこれが動いてるんだ…?」
冷蔵庫のコンセントのような部分を探すが、見当たらない。おそらく前世の冷蔵庫に似せて作られた魔具だと思うが、それをどうしてアルマが所持しているのかが頭に引っかかる。
そんなことを考えながらも、俺は持参した鞄に冷蔵庫の中身を手早く詰め込んでいった。ミルク、肉、保存食…必要なものはすべて揃っているようだ。ひとまず目的は達成できた。
食料の確保を終えた俺は、荷物を担ぎ、早々にルミエラたちの元へ戻ろうと扉に手をかけた。だが、そのときだった。
外から、誰かの足音が聞こえた。
(…誰だ?)
軽い足音だ。小柄な人物のものだろう。そして、一人きり。足音から推測するに、軽装備のようだ。住民か?
いや、このエリアには最初に来たときから人の気配なんて微塵もなかった。住民という線は考えにくい。
(もしかして俺を探してる兵士か?)
緊張しながら耳を澄ませると、その足音は徐々に近づき、ついに家の前で止まった。
(扉一枚挟んだ向こうにいる…!)
俺は息を潜める。今、扉を開けられたらまずい。音を立てずに動こうにも、荷物が多すぎて一歩でも踏み出せば何かが音を立てるだろう。
足音の主が扉を開けないことを祈りながら、ひたすらじっと息を殺していると、扉の前の相手がぽつりと呟いた。
「はぁ…今日もいませんか…。やっぱり逃げてしまったのでしょうか。」
その声を聞いて、俺は一瞬思考が止まった。
(…この声、エレーナ王女!?)
まさか王女がここにいるなんて想像もしていなかった俺は、驚きで一瞬動けなかった。どうしてここにいるんだ?何のために?
しかし、王女はそれ以上何も言わず、足音を立てながら去っていく気配がした。
(…どうする?)
一瞬、逡巡する。あの時、エレーナ王女が言いかけた言葉が今も引っかかっている。ノワラ国のことか、それとも別の何か重要な情報だったのか…。
もしここで彼女に声をかければ、それが聞けるかもしれない。
(…よし、行こう。)
俺は思い切って扉を勢いよく開けた。その音に振り返るエレーナ王女の姿が目に入る。彼女は驚いたような表情を浮かべ、すぐに安堵の色を顔に浮かべた。
「カイルさん…!やっと見つけました。」
彼女の言葉に、俺の胸が少しざわついた。
「探しましたよ…!」
エレーナ王女はそう言いながら俺に歩み寄ろうとしてきた。だが、俺は反射的に手を挙げてそれを制した。
「そこで止まってください。」
「え?」
俺の鋭い声に、エレーナ王女は困惑した表情を浮かべ、足を止めた。
「ど、どうしてですか…?」
「どうしてここが分かったんですか?」
俺は冷静さを装いながら問いかけた。
この場所は城から逃亡した俺とルミエラが身を潜めるために選んだ、アルマの家――いわば隠れ家だ。
城の関係者がここに辿り着くのは偶然では済まされない。それに、先ほど「今日もいないのか」と呟いていた。つまり、闇雲に俺を探して偶然ここに来たわけではない。何か確たる情報があってここを訪れたのだろう。
俺はその理由を知る必要があった。
俺の問いに、エレーナ王女は申し訳なさそうに目を伏せ、小さく息を吐いた。そして、意を決したように顔を上げ、静かに答えた。
「実は…あのとき、カイルさんが逃げる前に、失礼ながらカイルさんの魔力を記憶し、追跡可能な魔具をつけさせていただきました。」
「…え?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「どこにそんなものを?」
俺は驚きのあまり自分の体を無意識に探りながら問い返した。
エレーナ王女は申し訳なさそうに続ける。
「カイルさんが逃げた後、しばらくの間だけ魔具の効果が続いていたのですが…ある時、破壊されてしまったんです。私はてっきり、カイルさん自身が気づいて壊したのだと思っていましたが…。」
「いえ…俺は全然気づきませんでした。」
そう答えたものの、ふと考えた。
俺が魔具に気づかなかったのなら、破壊したのはルミエラかアルマの可能性が高い。特にルミエラは何かと俺を気にかけていたし、その辺りの敏感さは一枚上手だ。だが、今はそれを確認する時間はない。
エレーナ王女は話を続けた。
「最後に魔具が記憶したカイルさんの魔力の位置が…この家だったんです。それで、何日もここを訪れてみたのですが、中からは人の気配がせず、どうしたものかと考えていました。そこにちょうどカイルさんが現れて——」
彼女の言葉は辻褄が合っている。だが、それでも警戒は解けなかった。
「そういうことでしたか…。それで、俺に何の用ですか?」
俺は冷めた口調でそう尋ねた。エレーナ王女は静かに頷き、一呼吸置いてから口を開く。
「この間、伝えそびれたことを…どうしてもお伝えしたくて参りました。」
その言葉には、彼女の覚悟と焦燥が滲み出ていた。俺は、彼女の視線を受け止めながら、ただ次の言葉を待った。
「ノワラ国は、間もなく…魔王軍の侵攻を受けます。」
「…魔王、軍?」
口にしたその言葉は、自分でも驚くほど重く、場の空気に飲み込まれるようだった。
「はい。」
エレーナ王女は静かに頷き、続ける。
「この情報はまだ国民…いえ、私のお父様である国王にも知らされていません。」
「そんな情報をどうしてあなただけが…?」
俺は自然と質問を口にしていた。彼女の口から出た魔王軍の侵攻という言葉が事実であるなら、それは一国を揺るがす重大な情報だ。それを一王女が知り得るというのはどう考えても異常だ。
だが、次の彼女の言葉で全てが繋がった。
「ご存じの通り、私の未来を視る力で…です。」
俺の疑念を断ち切るように、彼女は続けた。
「今日から約一か月後、魔王軍がノワラ国に侵攻します。」
「一か月後…」
「ええ。魔王軍が何を目的としているのか、私の未来視でも正確には視ることができませんでした。しかし、これだけは分かります。このままでは…魔王軍はノワラ国を滅ぼします。」
その言葉の重さに、俺は自然と息を飲んだ。
エレーナ王女の真剣な眼差しには、嘘偽りの欠片も感じられない。その瞳の奥には、王国の運命を知る者としての苦悩と、それでも諦めないという強い意志が宿っていた。
「どうして…それを俺に?」
震えを抑えつつ、俺は問いかける。
「カイルさん、あなたが『勇者』だからです。」
その瞬間、心臓が大きく跳ねた気がした。
「私の未来視は、数ある『可能性』の未来を少しだけ視ることができるのです。」
エレーナ王女は話を続ける。その声には覚悟の響きがあり、無駄な迷いはなかった。
「つまり、どの選択がどのような結果をもたらすのか、事前に取捨選択することができるのです。そして、私はカイルさん、あなたがこのままノワラ国に戻らない選択をした場合の未来を視ました。」
彼女の視線が俺を貫く。重圧に耐えきれず、俺は無意識に聞き返した。
「…どうなるんですか?」
その言葉に、エレーナ王女は一言だけ答えた。
「確実に、ノワラ国は滅びの運命を辿ります。」
その宣告は、あまりにもあっけなく、あまりにも絶対的だった。
「ノワラ国が滅びた未来では…」
エレーナ王女は目を伏せ、言葉を選ぶようにして続ける。
「多くの人々が命を落とし、王城は陥落し、街は廃墟と化しました。残された生存者たちは奴隷として魔王軍に連れ去られ、再び解放されることはありませんでした。」
その凄惨な未来の光景が目に浮かぶようだった。俺の胸に冷たい何かが走る。
「そんな…そんなの、俺一人でどうにかできるわけがない。」
無意識に口を突いて出た言葉だった。それは諦めにも似た叫びだった。だが、エレーナ王女は真っ向から否定した。
「違います。」
彼女は真剣な表情で俺を見据える。
「カイルさん、あなた一人ではなく、あなたが人々を導くのです。未来視による可能性の一つでは、あなたがノワラ国を救うための『希望』となり、多くの人々がその背中を追いました。そして、その未来では…ノワラ国は滅びを免れたのです。」
彼女の言葉は力強かった。その声には迷いがなく、俺にとっては酷く重い現実を叩きつけてくるようでもあった。
俺は考える。
「…そんな責任、俺に負えるとは思えない。それに、その話を俺に信じろってほうが無理がありますよ…。」
「それでも…」
王女の声が響く。
「カイルさん、私はあなたを信じます。この国の未来のために、どうか…『勇者』として戻ってきていただけませんか。」
エレーナ王女は深く頭を下げた。その姿には、王族のプライドも何も感じられない。ただ、一人の国を愛する少女が、国を救いたい一心で俺に懇願しているだけだった。
俺の胸の中で何かが激しく揺れ動く。
(俺は…何をするべきなんだ?)
答えが見つからないまま、俺はエレーナ王女の姿を見つめ続けていた。




