王の最期
国王イフススメスは、珍妙ないでたちで寝室を歩きまわっていた。
寝間着に緋色のマントを羽織り、腰に宝刀、素足に軍靴、頭には王冠をのせている。
起きぬけにヤゴチエヌス叛乱の急報に接して、武装したものか、それとも礼装したものか、迷ってどちらも採用し、とにかく手がとどくモノを身につけた……そんなところだろう。
どうやら、これが彼にとっての緊急時の装束らしかった。
「誰かおらんきゃ!」
王は甲高い声をあげた。おそらく、ずっとそうしていたのだろう。
重臣ナセルスが死んで、もうひとりの寵臣ヤゴチエヌスは、あろうことか王都を攻めている。
頼るべき家臣をなくした王にできることは、残された自分の世界……寝室を彷徨い、居もしない忠臣を呼ぶことだけなのだった。
「陛下」
ミトラが見たのは、そんな父親の姿だった。
同じ王都に暮らしていながら、会話はおろか顔をみたことすらない。
それほど厳重に存在を秘匿されてきたのだが、イフススメス王のほうでも、寝所をともにしない異性など、さほど興味がもてる存在ではなかったのだ。
たとえそれが、実の子であっても。
「だ……誰でや」
王は猜疑心を隠さずに訊いた。
艶やかな装束の少女(当然、彼にもそう見えた)の背後に、顔だけは一応見知った群臣が並んで、揃って膝をついている。
少女……に見えるミトラが顔をあげた。
「危急の折、ご挨拶ば失礼すっとです。ウチはミトラですばい、陛下。第三王妃の第一子」
「第三王妃……タビアの子……ホノリスではにゃあか」
「ホノリス殿下は弟ですたい」
ミトラは微かに唇を噛んだ。
が、感傷にひたっている時間はない。膝をついたまま言葉を続けた。
「陛下。ヤゴチエヌスが、この城ば攻めとっとです」
「それだがね。なんでありゃーは、そぎゃあなことをするがや」
「元はといえばナセルスとの反目。ばってん、もう、それを説明しとる時間はなかです」
振り返ったが、後宮に走らせた者たちは、まだ戻っていなかった。
間に合うか……?
ミトラは焦燥をおぼえながら、顔色の悪い父親に向きなおった。
「陛下。もうすぐ、ここにアルカデウスとホノリスの両殿下がおいでになるったい。そしたら、陛下にやってほしかことがあるとです」
「朕に……?」
「はい。こん国をお救いすっとには、もうこの方法しかなか」
「この国を救う?朕も助かるんきゃ?」
身を乗りだす父王を見て、ミトラには様々な思いがめぐっていた。
一瞬、視線を床に落とす。王都の郊外すら荒れ放題だというのに、敷きつめられているのは、沿海州から取り寄せた南海渡りの絨毯だった。
ミトラは決然として視線をあげた。
「陛下。今すぐホノリス殿下を王太子に、アルカデウス殿下を摂政になさっとです」
「ホノリスとアルカデウスを……すぐに?」
「はい」
そこへようやく、後宮に向かった数人が、少年ふたりを連れて戻ってきた。アルカデウスは十代の半ばから後半、ホノリスはまだ十歳そこそこだった。
王は訝しげな目で我が子たちを眺め、
「べつに構わんが……今でにゃあといかんきゃ」
「ナセルスとヤゴチエヌスの対立は、両殿下の王位争いというかたちをとっととです。即位の後押しをすっことで、自分はその後見人……摂政になるつもりやった」
「そんなことを、しとったかのう?」
王はあくまで半信半疑で、
「まあ、ええがや。それと朕が助かるのと、どう関係するがね」
「ヤゴチエヌスは王都を陥として、その武力を背景に陛下を恫喝し、強引にホノリス殿下を王太子にするつもりとです。やけん、その前に継承がはっきりすっと、奴は後見人になる理由をなくしますばい」
「むう……」
それでも王は、わかったのかわかってないのか、気乗りがしないようだった。
「しかし、それを言うならアルカデウスのほうが年長でにゃあがね」
「出生の序列やとそうなるばってん、もともとヤゴチエヌスが推しとったのはホノリス殿下ばい。アルカデウス殿下が王太子になっと、まだヤゴチエヌスにホノリス殿下をかつぐ反撃の機会が残るとです。奴がこん王都を攻めとることを、忘れんとってください」
「ふうむ……」
イフススメス王は、つまらなそうに唸った。
「子どものくせに、よう喋るやつだがね。まあええ、言うとおりにするがや。それで朕が助かるのは間違いないにゃあか?」
「では、ホノリス殿下が次の王、アルカデウス殿下が摂政ということで間違いなかですね」
「くどいがね」
「皆の者!聞いた通りばい。今の御言葉を忘れんで、必ず、新王に忠誠ば誓うとよ!」
そう叫ぶと、ミトラは異母兄と実弟に向きなおり、深々と頭をさげた。
「出すぎた真似をして申し訳なかです。けど両殿下……いや、陛下と閣下なら手を取りあって、こんヤゴナ王国を、きっとよか国にしていけると信じとります」
「そんで、朕はどうなるがや!」
背後でイフススメスが喚いた。
ミトラは父王に歩み寄って、
「陛下。立太子は無事に終わったとです。つぎは即位をしていただきますたい」
「な……即位ぃ?」
「はい。元老院が新王を承認して正式に即位する。そこまで既成事実となって初めて、ヤゴチエヌスには打つ手がなくなっとです」
「なにを血迷ってるがね!王位は終身制でや。ホノリスが即位するのは朕がみまかってからでにゃあか!」
「やけん、今です」
ミトラは、王の腰にある宝刀に手を伸ばした。流れるような、さりげない動作だった。鞘を残して刃を引き抜く。
白刃が決意をかためた横顔を映した。
儀礼用の宝刀なので、刃を打ち合うようにはできていないが、人ひとり斬るには申し分なかった。
「お父さん……ごめんなさい」
ミトラは宝刀を振りあげた。




