ちいさな勇者
「邪魔だから、ぶっ殺されなさい。このカマガキ」
ヤゴチエヌスの目に宿っていたのは、隠そうともしない剥き出しの憎悪だった。
山中の狼藉者も、エカサの奴隷商人も、暴動を起こした群衆でさえ、これほど毒まみれの悪意をぶつけてきたわけではなかった。
ミトラは震える唇を噛みしめた。必死に歯を食いしばって耐えた。
剥き出しのまま向けられた悪意を受けとめられるほど、まだ強くはなかったが、懸命にこみあげるものを堪えていた。
「なーに泣くのガマンしてんのよ。意地でも張ってのつもり?」
ふん、と鼻を鳴らしたヤゴチエヌスは、
「まあ、こうなったらしょうがない。このことを知ってる奴はみぃんな始末して、むりくりホノリスを即位させちゃうしかないでしょ。王権でも使わなきゃ、この状況とまンないンだから」
と、意にも介さない。人間として大事な部分……ナニではなく……が欠落していた。
「王権を握っちゃえば統帥権がおさえられる。そうなりゃ法制上、軍は動けない。ううン、むしろ元老院を根絶やしにする手足になってもらわなくちゃ。でもね、なにも手塩にかけた宦官軍団まで動かす必要はなかったのよ」
ヤゴチエヌスは額がぶつかるほど顔を寄せて、
「アンタさえ、おとなしくぶっ殺されてればね!」
「は……母上は……」
震えながらもミトラは懸命に睨みかえしていた。
「母上はどうなっとか」
「それを知ってどうすンのよ」
ヤゴチエヌスは酷薄な笑みを浮かべて、
「さあ、どうなるかしらね。あの女の我が儘にも手を焼いたけど、こっちは王権さえ自由にできれば、もう用事はないンだから」
その横面めがけて、ミトラは小さな拳を突き出した。
しかし、ヤゴチエヌスはわけなく細腕を掴みとり、そのまま片腕で吊りあげた。
「カマガキがいっちょ前に、抵抗なんかしてンじゃないのよ」
ミトラの爪先が地面から離れた。凄まじい握力で掴まれる痛みと、全体重が片腕にかかる苦しみに耐えながら、
「母上には……手を出す……な」
「生意気」
片手にミトラぶら下げたまま、ヤゴチエヌスは逆の拳を引くと、次の瞬間、容赦なく腹部に叩き込んだ。
「ぐっ……ごほっ」
ミトラは宙に浮いたまま、身体をくの字に折って悶絶した。
「あの女がそんなに大事?」
「手を……手を出すなって……言うとろうもん」
「おめでたいわねえ。あの女が、このことを知らないとでも思ってンの?」
「え?」
苦悶に歪むミトラの、大きな目が見ひらかれた。
「そりゃ、あンたの子供をぶっ殺すって、かダイレクトには言ってないけどね。けど薄々は感づいてるに決まってンでしょ?感づいてるのに気づいてないフリしてンのよ」
「は、母上を……」
「お高くとまった王族だって所詮はそンなもんよ。自分の身がかわいくて、自分だけでも助かりたくて、お上品な顔で自分の子を見殺しにする。そうに決まってんの」
「母上を侮辱すっと許さんばい」
その状態からまだ反撃してくるとは思っていなかったのだろう。
ミトラが繰り出した小さな拳は、今度こそヤゴチエヌスの分厚い横面を打った。それはさしたる痛痒を与えなかったようだが、高慢な自尊心にとっては打撃だった。
「てンめぇ……」
サイズは数倍、威力は数十倍の大きな拳が、小さな勇者の顔面を襲った。
「誰が誰を許さないって?え?ぶっ殺されそうになってンのに?舐めんじゃないわよ……って、こいつ、ちびってンじゃないの!」
下半身が滴っているのを見て、ヤゴチエヌスはミトラを放りだし、巨大な石柱のごとき足で蹴りあげた。
「小便をもらすほどビビりまくってンのに、許せないからってどうすンの?ねえ、どうすンのよ?」
執拗に蹴りを入れられ、ぐったりとしたミトラを見おろしながら、
「か弱いわ、小汚いわ。やっぱり生きてる価値ナシね。もうぶっ殺されて、死になさい」
と、磨きおわって手渡された斬馬刀を、ゆっくりと振り上げた、そのとき……。
「?……なにこれ」
湧きあがるような地響き。振動する大地。
それは徐々に大きくなり、視界がぶれるほどの激しい揺れとなって、宦官たちをよろめかせた。
「どゆこと?」
「何が起きてるの?」
ざわつく宦官のひとりが、彼方に異変を見つけて、
「ちょっと、あれ!」
と叫んだ。




