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オトコの姫とヒゲデブの騎士  作者: あしき わろし
10 暗君の治世はいくさだらけ
55/69

宦官ヤゴチエヌス

 ミトラが乗る輿も投げ出されていた。



「痛た……」



 御簾から這いでたミトラは、すでに近衛兵が逃げ去っているのを知った。

 つい先日と同じだった。あの日も山中の旧道で、何者かの襲撃を受け、輿から転げ落ちてたところを、敵に捕まったのだった。

 そして、今日……。

 かわりに周囲を囲んでいるのは、長槍を携えた宦官たちだった。ミトラにとっては自分の世話をしていた者たちである。見知った顔もあった。

 なかでも、存在感のきわだつ巨漢については、とくによく知っている。宦官たちを統率している人物。そして犯され、殺されそうになったあの日、行列の指揮をしていた人物。



「ヤゴチエヌス……」



 ふらふらと立ちあがり、歩み寄っていこうとして、ふと、その足がとまった。真っ赤な返り血に染まった相手が、異様なものを片手にぶらさげていることに、気がついたからだった。



「……!」



 それがナセルスの生首だと知って、ミトラは息をのんだ。

 ヤゴチエヌスがぐるりと振り向いた。血走った眼に異様な憤怒がたぎっていた。


「ヤゴチエ……ヌス……?」


 見まわせば、彼だけではなく多くの宦官たちも、刈り取った首級を長槍に提げて、不気味な笑顔をみせている。恐怖にかられながらも、ミトラはヤゴチエヌスに歩み寄っていこうとした。



「ねえ、ヤゴ……」


「お黙り」



 巨大な掌に頬を張り飛ばされて、文字通りミトラは吹っ飛んだ。衝撃に目眩がするほどの平手打ちだった。



「……?」



 ヤゴチエヌスは斬馬刀を配下に手渡した。配下の宦官はさも嬉しそうに、自分の袂で血を拭い、舐めるようにして磨いていた。

 ヤゴチエヌスはそれを一顧だにせず、憎悪のこもる目でミトラを睨みつけた。



「こンのカマガキが、大人しく殺されてりゃよかったのに、うろちょろ逃げ回ってくれたおかげで、面倒くさいことになってンじゃないの!」


「え……」



 頬をおさえて見あげると、視線を合わせただけで毒気にあてられそうな、憎悪と殺意のこもった形相があった。



「た、助けにきてくれたのと違うと……?」


「助けるもなにも、旧道でアンタを殺そうとしたスケベどもを雇ったの、あたしだから。あーあ、こんなことなら自分でぶっ殺しておくんだった」



 腹に響く低い声には、耳が汚れるほどの悪意がこもっていた。

 べっ、と唾を吐いてからヤゴチエヌスは言葉を続けた。



「正規兵だと思って任せたのがバカみたい。ぶっ殺すどころか自分たちがぶっ殺されちゃって、まったく、お話にもなりゃしない」


「そ、それじゃ……」


「山狩りしても見つからなくて、いつの間にかエカサの奴隷市場に出品されてるなンて、どこをうろついたらそうなるんだか。おまけにオラスマの小僧はしゃしゃり出てくるわ、どっかのデブが引っ掻き回すわ、もうイライラするったら!」



 ヤゴチエヌスは腹立ち紛れか、ナセルスの首級を蹴り飛ばして、なおも憎々しげに、



「あげくに、よりにもよってナセルスに身柄をおさえられるなんて、ホンッとに役立たず!ムカつくから雇った連中、ひとり残らず斬り刻んでやったわよ。ぜんっぜんスカッとしないけど。やっぱり、このカマガキぶっ殺さないと、スカッとしないってことね!」



 まさにそう!おっしゃる通り!と、周囲をとりまく宦官たちが、口々に賛同の声をあげた。



「な、なんで……?」


「なんで?なんでっつった?馬っ鹿じゃないの?生きてたら邪魔だからに決まってるでしょ?」


「え……ウチ、生きとったら邪魔と……?」


「ホノリスを激推しして、王太子ほぼ確までこぎつけたのはいいンだけど、ナセルスがアンタの正体を嗅ぎつけやがってさ。そうなりゃもう、ぶっ殺すしかないでしょ?」



 と、さも当然のことを言うように、



「まあ先にナセルスをぶっ殺しちゃったンだけど。けど、やっぱりアンタもぶっ殺されてくれる?だって、そのほうが後々の心配がないんだもの」

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